「今日も暑いなぁ~家康ぅ!」
いつもの海の木陰で釣り人を眺めている家康に、信長が声をかけた。
「そんなに外出して、ご主人様に怒られないのか? 信長! 今朝だって午前様だったろ?」
昨晩、閻魔の背中で眠りこけた信長である。睡眠不足の家康とは裏腹に、絶好調な面持ちの信長に、家康は思う。このバカに聞くんじゃなかった……と。
「ご主人様はお優しい人なのじゃ。てか、信長じゃ! あれ、いつものアレは?」
「アレとは、なんじゃ?」
肩透かしを食らった信長は、急に不安な顔を見せた。
「なぁ、光秀は? ミ・ツ・ヒ・デ!」
「お前への光秀の呼び名はな、閻魔様に譲ったんじゃ。だからこれからワシは、お前を信長と呼ぶことにした。どうだ、これでお前も満足だろ?」
「チャッピーちゃんは、チャッピーちゃんやろ? 家康は家康やん?」
「チャ、チャ、チャ、チャ、うぉぉぉうぉぉ……ぉぉぉぉ!!!! お前って奴は……閻魔様を───その名で呼ぶのか?」
バカのチャッピー発言に、家康は信長の未来を案じている。
「あのさぁ、家康ぅ~。漫才でも、ユーチューバーでも、つかみのセリフっての、あるやんか? てか、もうさぁ。俺と家康だけの問題じゃないと思うんだわ……実際」
「どういう意味だ? お前は不思議ちゃんだが、俺とお前との他に誰がおる?」
「誰って……勿体ぶっちゃって。ほら───」
信長は青空に向かって、白足袋の指先をにゅっと伸ばした。指先の白いうぶ毛が、キラキラと夏の日差しに輝いている。
「ほう……で?」
信長の指の向こうを眺めながら、家康は首をひねる。
「俺たちの会話を、毎週、楽しみにしている人がいるってことだよ。家康だって、分かってるくせに……」
天を見つめて信長が笑う。それを察した家康は、大きな、大きなため息を漏らした。
「それ……ここで、言う?」
「分かってんじゃん。家康、はよはよ!」
どうあっても、いつものアレがやりたい信長である。だが家康は、それに応じぬ姿勢であった。
「ところで……だ。信長よ。ひとつ頼まれてほしいのだがな……」
「何を?」
光秀が諦め切れない信長は、へそを大きく曲げている。
「閻魔様に光秀と呼ばれたら、素直に〝はい〟と、言ってくれないか? 閻魔様も、もう、お年じゃ。それくらい、許してやってくれ」
信長に向かって、ペコリと家康は頭を下げた。
「俺が光秀と呼ばれたら、チャッピーちゃんに〝はい〟言うたらええんやな? 分かった。理解した。大丈夫だ───たぶん!」
「大丈夫か?」
「たぶん!」
心配げな家康に、信長は元気に答えた。
「……なんか、お前。すごく得するキャラ設定やな。まぁ……それも、こっちの話だが、信長よ。閻魔様をチャッピーって呼んでも構わんのか? 他の猫たちを敵に回すぞ。すでに、お前は敵として見られてるけどな……そういうことだぞ?」
「それなー。さっき、ケイテイちゃんに頼まれたんやで」
「ケイテイが、なんて?」
「本当の名前で閻魔様を呼んでほしいって。俺はバカだから、その理由は知らなくてもいいってさ」
「ケイテイが……か?」
家康には家康の思惑があり、ケイテイにはケイテイの思惑があるようだ。
「家康くん。まぁ、こんな事情になったから……」
家康と信長の前に、ひょっこりと年老いたキジトラ猫が現れた。その姿に家康が目を細めた。どうやら彼らは顔見知りらしい。
「はい。お話は、耳にしていますよ、サヨリさん。これから寂しくなりますね」
「まぁ、そういうことなので……後のことは、家康くん。よろしく頼むね。そこの茶トラの若い子も、色々あるけど頑張って(笑)」
「お前、誰や?」
「信長! お前という奴はぁぁぁぁぁぁ!!!!」
家康が全身全霊を込めて頭をしばくと、信長の目から火花が飛び散った。あまりの家康の形相に、身の危険を感じた信長は、尻尾を巻いて猛ダッシュで帰ってしまった。もうしばらくは、家康の前に信長が姿を見せることもないのだろう。
「そんなに力いっぱいで殴らなくても……でも、変わらないね。家康くんは」
「いいんですよ、サヨリさん。それくらいしないと、あ奴の性根に入りませんから。オリクさんなら、半殺しどころじゃ済みませんよ」
これが最後の会話だと知りながら、照れくさそうに言う家康に、うんうんと頷きながら、サヨリは別れの挨拶をする……。
「それでは、家康くん。元気でね……それと、ボクのご主人様のこと。よろしく頼みます」
サヨリは家康に頭を下げると、家康は恐縮したように言葉を返す。
「えぇ、お任せください。あなた様も……お元気で。あ、お迎えが来られましたよ」
家康が海に向かって腕を伸ばすと、サヨリという名のキジトラ猫は、ピーンと長い尻尾を立てて、浜辺に向かって歩き始めた。
「あ、忍ちゃん。サヨリちゃんが歩いてるよ」
「そうね……」
サヨリの姿を見つけた小学生コンビが、彼の背中に手を振っている。サヨリの向かう先には、大きな光の玉が浮かんでいた。サヨリがその中に飛び込むと、光の玉はサヨリと共に、海の彼方へと姿を消した。それは、ほんの一瞬の出来事だった。
その日……家康は陽が沈むまで、光の消えた海の水面を眺めて過ごした。空に浮かんだ夕焼け雲が、猫のカタチに姿を変えた。その雲に向かって家康は、静かにぽつりと呟いた。
「おふたりとは、いつかどこかで……その日まで、ごきげんよう」
その日を境にサヨリの姿を見た者は、誰も居ない……。
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