「今日から、お前。オレらのパシリ決定なっ!」
五年生の二学期初日。林君の宣言に、ボクの地獄が始まりました。ボクはイジメの対象になったのです。十月まで我慢して、その我慢が限界を突破して、ボクは不登校になりました。もう、ボクなんて……どうでもいい。その日から、ボクの時間は止まりました。スマホから見えるネットだけが、ボクの世界になりました。ネットの海で、とあるブログと出会いました。カブトムシさんのブログです。
そのブログは、他のブログと違って、ほっこりしてクスっと笑う。日記のようなブログでした。膨大な記事の中に、小学生時代に書いた記事までありました。あんなブログが書けたらな……ボクはそう思いました。けれど、誰かにそれが読まれたら、きっとバカにさにされるだろう……それを思うと、ボクには何もできません。ボクがブログだなんて……どうでもいい。
カブトムシさんのコメント欄は、コタツに集まって大富豪でもやっているかのような……いつも賑やかでワチャワチャです。そこでパワーワードを連発するのが、テントウムシさんの役目です。ボケ役がカブトムシさんで、ツッコミ役がテントウムシさんで、そのノリとツッコミが絶妙なのです。一緒に住んでるの? そう思うくらいに、ふたりの息はピッタリです。そして、ボクは気づきます。テントウムシさんにもブログがあることを……テントウムシさんは、どんなブログを書いているの?
スマホをタップして、テントウムシさんのブログを開くと、ブログのてっぺんに大きなイラストがありました。セーラー服姿の美少女が、仮面ライダーの仮面をワキに抱えたイラストです。少女の髪はボーイッシュなボブカットで、腰に大きな変身ベルトを巻いています。吹き出しには〝正義の味方、ベルトの少女!〟……オタクの少女の間違いでは? ボクは思わずツッコみました。でも、そのイラストには惹かれる何かがありました。
彼女のブログには、沢山のイラストが貼ってあります。キジトラ猫と茶トラの猫のイラストが超かわいくて。仮面ライダーのイラストは、まるで写真のようでした。プロフを読むと、彼女はボクと同じ年でした。彼女は絵の天才でした、びっくりです。ゲンちゃんうどんのイラストで理解しました。彼女はボクの近くの町に住んでいる。一気に親近感が湧きました。
〝ボクは引きこもりの五年生です。二宮小でイジメられて引きこもりになりました。ボクは、どうしたらいいですか?〟
ボクは質問箱から相談しました。だって彼女は、正義の味方なのだから……ボクの何かが変わると思いました。
〝わぁ~タメだぁ。タメタメだぁ~! 同級生? 二宮小って近くじゃん! わたしは、イジメを決して許さない。小学校は無理だけど、明光中学で待ってるにゃ。そこならイジメっ子なんていないと思うし。あなたの名前は、なんつーの?〟
ボクはギョッとしました。明光中学は中高一貫の学校で、偏差値の高い進学校です。ボクの学力では到底無理です。受験にも合格できません……。小学校にすら通えないボクが、受験だなんて……できません。まぁ、確かに……勉強嫌いの林君が受験することは、ないけれど……。
〝はじめまして。黄瀬学公です〟
〝黄瀬君……じゃ、きいちゃんね(笑)〟
〝明光中学は、バカなボクには、とても無理です〟
〝簡単よ、きいちゃん。教科書を、ぜーんぶ丸暗記するだけだから。やってみなよ。諦めるのは、今じゃない。自分の名前が言えるなら、それはバカじゃない証明よ! そして、正義は必ず勝つの! 明光中学で待ってるにゃん〟
あれだけのイラストを描くテントウムシさんです。きっと、ボクと違って学校の成績も優秀なのでしょう。尊敬するテントウムシさんからの返信が、ボクの人生を大きく変えることになりました。彼女と同じ学校へ通いたいと思いました。だから、一年生から五年生までの教科書を、ボクは必死に覚えました。一週間後、ボクは教科書の丸暗記に成功し、少しだけボクは変身できました。根拠なき自信を、ボクは持つことができたのです。
〝テントウムシさん、教科書の丸暗記に成功しました。明日から、学校にも行きます。ボクもテントウムシさんと同じ、明光中学を目指します。再来年の春───明光中学でお会いできるように、がんばります(笑)〟
ボクはテントウムシさんに、感謝のメッセージを質問箱に投稿しました。今はまだ、テントウムシさんからの返事がありません……。質問箱へ投稿する前に、ボクはママに伝えました。明日から学校へ行くこと。そして、明光中学を受験したいこと。ママは、とても喜んでくれました。笑いながら泣いていました……。
☆☆☆☆☆
───同日、同時刻。飛川家……。
冬である……やっぱり冬はコタツだわ。コタツに足を突っ込んで、オトンはビール、オカンはミカン。ボーッと天井を眺め、遥か邪馬台国へ思いを馳せる俺……もちろん、それは嘘である。余念なく、のんとのデートシミュレーションに没頭している俺の隣に、ドテッとツクヨが居座った。
「きいちゃん、マジ? そんな小学生……いる? たったの一週間で、丸暗記できる?」
我が姪っ子は分かりやすい。眉間にシワを寄せて問題発生の様相だ。
「おい、ツクヨ。きいちゃんって、誰? もしかして、彼氏とか? そんなに睨むとスマホの画面に穴が開くぞ?」
「うるさないなぁ~。お気楽なカブトムシと違って、テントウムシちゃんは、つらいのよぉ。ブログの質問箱が大変なのぉ! パンドラの箱を……開けたかも?」
「きいちゃんは、アンチさん?」
「そうじゃない。でも、つらい……」
テントウムシとは、ツクヨが世を忍ぶ仮の名だ。「三縁がカブトムシなら、ツクヨはテントウムシじゃな。テントウムシは、野菜を守る正義の味方じゃからの」じいちゃんの〝正義の味方〟が気に入ったらしく、ツクヨは自分のブログでテントウムシと名乗っている。ブログに貼った、イラストへの評価とアクセス数は相当なものだ……それを思えば、こっちがつれぇ~わ!(汗)
「なぁ、ツクヨ。質問箱で、ビッグマウスでもほざいたか?」
「のんちゃんに告白もできないくせに。うざい、キショイ、うっせーわ!」
「ぐうぅぅぅ……」
ついにツクヨも、反抗期に入ったか? オッツーよ。そろそろ俺らの出番はなくなるようだ。よし! 人生のパイセンとして。俺から小五のキミに、いい感じの言葉を授けてあげよう。ニヒヒヒヒ……。
「なぁ、ツクヨ。知ってっか?」
「知らんわ!」
まだ、なんも言ってねぇーし!
「まぁまぁ……辛いって文字に、横棒ひとつ足してみな?」
「つらーい!」
ツクヨの〝つらい〟は、幸せになれなかった。しばらくスマホとにらめっこ。その後で、ツクヨの小さな手のひらが、コタツの天板をパンと叩いた。そして、声高らかに宣言した。
「わたし、明光中学の受験するぅぅぅ!」
ほう、明光とは強く出たな……。
「おう、がんばれ! エイプリルフールには早いけどな」
「じいちゃんは応援するぞぉ~! ツクヨ、がんばれ!」
俺とオトンは、笑って宣言を受け流す。オカンは翌日、ご機嫌さんで赤飯を炊くのだろう。ニコニコだ。けれど、入浴中のアヤ姉には伝えない。だって、そうだろ? 明光は、県下有数の進学校である。言うなれば、秀才桜木レベルが集いし学舎だ。仮にツクヨが合格すれば、それは飛川家にとっての偉業である。きっと現実を知れば、ツクヨの受験宣言が撤回されるのに違いない。俺はデートのシミュレーションに意識を戻した……が、きいちゃんとは、誰なのか? それが、妙に気になった。
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