どうしましょう、太宰さん(笑)

ダイソーの読書台で写経
雑談
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 筆が止まった───洒落にもならん(笑)

 書くには書くけど、書いた文章が暗いのだ。どうやっても明るくならない。だから書くのを途中でやめる。書いては保存、書いては保存。僕は書いた文章を絶対に捨てない。どんな駄作であったとて、いつか日の目を見るだろう。そんなケチな思いがそうさせるのだが、それはいつもの〝読む読む詐欺〟で、読み返すこともないのだろう。書いては保存。それは、僕の無意味なへきのようなもので、今日もサヨリは元気です(笑) だから取りあえず、保存である。

 で、こんな状態に陥った原因も理解している。それは、秋の夜長のお友だち。太宰シリーズがエヴァシリーズのように刺さるのだ。太宰さん、あんたすげーな……いいや、こぇ~な。こっちの筆まで引っ張られちまう。太宰作品には自己破滅型の話が多い。文豪と呼ばれる作家の作品とは、少なからずそうなのだろう。破滅型……三島の金閣寺もそうだった。けれど、三島は最後に〝生きたい〟と書いた。まだまだ、先の長い太宰シリーズだけれども。太宰の描く男は弱く、女は強い存在のようである。どの男も情けない。ホント……読めば読むほど、凹むのよ……こっちとしては(汗)

 元々、陰キャな僕だから、ブログじゃ明るく書いていたい。己の傷すら笑いに変えて「どこぞのアホが書いてる」その程度で丁度いい。とはいえ、最近、太宰さんばかりなものだから、ずるずる引っ張られてしまうのも、それはそれで、困ったものだ。文豪に、ついつい、ため息が漏れてしまう。凄いの分かった、引っ張らないでぇ~。そんな気分で読んでいる(汗)

 気分を暗くさせるのは簡単だけれど、明るくさせるのは難しい。笑わせるとなればステージも変わる。まぁ、暗い感じで始めたのだから。今日は、この流れで書いてみよう。

───あの世なんてのは、あるんでしょうかねぇ?

 子どもの頃、あの世はあると信じていた。閻魔様もいらっしゃる。だから、悪事を働けば地獄に堕ちる。たとえ誰が見てなくとも、お天道様が見ているのだ。そこから誰も逃れられない───だから、悪いことをしてはいけない……

 ご先祖様が家に帰る。そんなお盆の季節になると、そう思わされる雰囲気があった。それが、昭和という時代であった。荒くれたヤンキーほど、話せば情にもろかった。だが、大人になれば考えも変わる。あの世なんてありゃしない。今では、多くの人がそう考えているのだろう。

 昨今のニュースを垣間見れば、その傾向の強さを感じる。それ……やる? それ……言う? それ……ずるくない? 口から出たものは引っ込まない。そう言っていたものだけれど、堂々と記憶を飛ばして引っ込める。やったもん勝ちで、言ったもん勝ちで、逃げ切ったもん勝ち。そんな風潮がもてはやされて、決して善人じゃない僕だって、少し引くことの多いこと(汗) 世の中にある利権と銭とは有限で、限りがあるから、富と貧とに別れてしまう。この人生ゲームに勝ち続ければ富を得る。その過程で、弱き者の富は奪われる。その繰り返しの終着駅が、人生最後のお迎えだ。僕のキャラなら、死神チハルの出番ですよ(笑)

 もし仮に「あの世、ありまーす!」っと、「アムロ、行きまーす!」の勢いで、お偉い学者様の論文なんぞが発表されたら。それが揺るがぬ理論で正当化されたなら。もっと進んで、あの世と交信なんてのが可能になったら……。それが、人類にとっての技術的特異点。真のシンギュラリティなのだろうなと、割と真面目に考えている。もしかしたら、こういうのこそが、諸悪の根源に対するアルマゲドンなのかもしれないな。あの世と交信……可能なら、是非とも実現させてほしい技術である。それだけで、悪人など消し飛ぶだろう。

───あの世なんてありゃしない。

 この数年で、あの世があったらいいのにな。そんなことを思うようになった。あの世の世界があるのなら、僕は地獄に堕ちるだろう。でも、やっぱり……あったらいいなと思っている(笑)

コメント

  1. あの世のことは知らないけれど、雉虎さんは地獄に堕ちないよ。もし、堕ちたとしても助けた亀が迎えに来るか、雷電に乗った友人がソッコーで助けに来るんじゃない? あ、クモも助けたことある?

    • クモは助けたことがありませんが、夜のクモは縁起が良いらしいので、殺した記憶はありません。ほんと、雷電が大編隊を作って、助けてくれそうな気がしました(笑)

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