地元の美容学校へ通うウチは、定期的にのんちゃんと連絡を取っていた。のんちゃんはガラケー派だけれど、両親が心配するという理由から、大学入学を機にスマホデビューを果たしていた。
のんちゃんは、大切な人だけにスマホ番号を教えるのだと言う。あの容姿なのだ。それくらいで、ちょうどいい。女子大生の身分でスマホとガラケーの二台持ち。人はそれを贅沢だと思うだろう。ところがどっこい、のんちゃんは天下の旅乃琴里である。それくらいの出費なら問題ない。今まで、そうしなかったのが不思議なくらいだ。てか、最も胸を撫で下ろしたのは、出版社の人だろう。なんてったって、ビデオ電話ができるのだから。打ち合わせの効率も上がる。
───ところで、のんちゃん。カブトムシと会えたの?
桜木君に止められて、のんちゃんは四国の大学に進学した事実をカブトムシに伝えていない。そこまでの話は聞いていたけれど、ウチも学校が忙しくて、のんちゃんまで気が回らなくなっていた。明日は日曜日。今夜なら、のんちゃんの迷惑にもならないだろう。ウチはのんちゃんへ連絡した。
「ゆいちゃーん。元気だったぁ?」
───相変わらずの可愛さだ。
のんちゃんの笑顔に、ウチは不覚にも見惚れてしまった。親友の美貌に嫉妬したくても、ウチの嫉妬が追いつかない。神様はとんでもない人間を創られた……いつもウチはそう思う。
「おひさぁ~、のんちゃん。元気、元気」
ウチはスマホのカメラに向かって両手を振った。一瞬で、ふたりの距離が縮む感覚が心地いい。それよりも何よりも、ウチには訊きたいことが山ほどあるのだ。
「ところで、ところで、のんちゃんさ。カブトムシと───会えた?」
のんちゃんが頬を赤らめ目を伏せた。わかり易さは変わらない。
「三縁さん?」
「それっきゃないでしょ!」
いつだって、ウチの知りたいのはそこなのだ。うかうかしてるとカブトムシ。知らない誰かに取られちゃうぞ。しれっと誰かに持ってかれっぞ。
「うん、会えたよ」
そっか、よかった。ウチは心から安堵した。
「のんちゃんから連絡したの? カブトムシは知らなかったんでしょ? のんちゃんがそっちに進学したこと」
「えっとねぇ~。連絡は……してないよぉ」
「じゃ、どうして会えたのよ?」
「えっとねぇ……」
のんちゃんの表情が意味深だ。ほっぺは赤いままだけど……。のんちゃんが画面の向こうで姿勢を正した。つられて、ウチも背筋を伸ばす。さぁ、のんちゃん。話を聞かせてもらおうか。ウチは万全の体勢で、のんちゃんの話に耳を傾けた。
「バイトの面接に行った日にね。面接したお店に三縁さんが来たの」
そんなの───ミラクルじゃないか! どうなってるのよ、アンタたち? いくらなんでも、それはない。ウチの心に衝撃が走った。あまりの驚きに、ウチは机に両手をついて立ち上がった。
「うぉぉぉうぉぉ……ぉぉぉぉ!!!!」
「ねぇ、ゆいちゃん。ホラ貝みたくなってるよ?」
そんなの、ホラ貝にもなるでしょ?
「のんちゃん、どうしてそうなるの? んなバカな……いくら田舎でもそれはないでしょ? てか、なんのバイトよ」
ウチはもはや保護者の気分だ。愛娘の近況が知りたい。是非とも知りたい。
「喫茶店。グリムっていうの」
のんちゃんが、喫茶店? そんなの危ない。だって、店に行列ができるじゃない。ウチの質問は止まらない。
「もしかしてだけれど、メイドカフェ?」
のんちゃんのメイド姿……それも、ちょっぴり見てみたい。
「ゆいちゃん。メイドカフェって、なぁ~に? こっちにも、カフェなら沢山あるけど……」
四国には、メイド文化はないのか?
「もしかして、ウエイトレス? そこにアイツが来たの?」
「うん。びっくりした。三縁さんに『いらっしゃいませ』って、言っちゃった」
のんちゃんはうれしそうに言うけれど、それはもはや運命じゃないの。のんちゃんの赤い糸って……まさかのピアノ線?
「で、なんでアイツがそこにいたの? 偶然にしては出来過ぎよねぇ」
そう、そこよ。
「三月から三縁さん。ずっと、グリムで小説を書いていたの。だから、わたしの面接の日に三縁さんが来ても不思議じゃないの」
「でもさ、そうだけれどさ……のんちゃん、それって偶然かしら?」
のんちゃんは、首を横に振った。
「違うよ。たぶん、マコちゃんの思惑どおりになったと思うの。三縁さんにグリムを教えたのはマコちゃんだし、わたしに喫茶店のバイトを提案したのもマコちゃんだったから」
「桜木君が?」
赤い糸を強引に繋げる離れ技。彼なら簡単にやれそうだわ……桜木の響きに、ウチは妙に納得していた。だって、彼の進学先は……
「そういえば、桜木君って、関東の大学に進学したよね?」
「うん、T大だよ」
知ってる、日本一の大学だ。
「そうだよね。のんちゃんが蹴った大学だよね。でも、後悔しないの?」
「しないよ、後悔なんて」
さらりと言うんだ。
「あっちに入れば、のんちゃんの未来は安泰なのに……どうして?」
ウチには当然の質問だ。
「好きだから……」
ア・イ・ツ・を・か?
健気というか、バカというか……。それが、のんちゃんのいいところだけれど、ウチには日本の損失に思えてならない。だって、やっぱり、カブトムシだもの。ウチには、アイツのどこがいいのか理解できない。
「で、のんちゃんの夢は叶ったの? アイツと一緒に、さぬきうどんが食べたかったんでしょ?」
のんちゃんの瞳に光が差した。パッチリお目々がピカピカに輝く。
「うん。食べた」
食べたのか。てか、食べたんだ……。
「そう……で、おいしかった?」
「うん。すご~く、おいしかった。あのね、あのね。三縁さんが、おうどんの作り方を教えてくれたの。なんかねぇ~、それがとても幸せだったの」
やっぱ、カブトムシにメロメロなんだ。のんちゃんの幸せ笑顔にウチはやっぱり嫉妬した。昔も今も、ウチは嫌な親友だ……。
「で、どうなのよ? カブトムシに告られた? チューくらい……した? てか、やっちゃった?」
「うーんとね……」
したの?
「うーんとね?」
してないの?
「……まだでした」
チューがですか?
「でもね、でもさ。親友からの推測だけれど、のんちゃんって、カブトムシに何度も好きって言ってそうじゃん?」
「うん。いっつも『大好きです』って言ってるよ」
そうなのね……。
仮にも相手は、のんちゃんだよ。カブトムシは、アホなのか?
「それはもう、のんちゃんから告ったってことじゃないの?」
「それは違うの、ゆいちゃん。キチンとお付き合いしてくださいって……言ってないから」
ウチはふたりがどうなっているのか? それがさっぱり理解できない。旅乃琴里の小説と同じで奥手にも程がある。ふたり揃って、異次元の奥手なの? ねぇ、のんちゃん。赤ちゃんの作り方……知ってる?
ウチが困惑していると、画面の向こうでのんちゃんが、カチャカチャとキーボードを叩き始めた。そっか、カブトムシにメールしているのね? なんだかウチは寂しくなった。
「ゆいちゃん。写真、送ったよ。今日ね、グリムで写真撮ったの」
ウチはもう、寂しくない。
「ちょっと待って、タブレットから見るね」
タブレットからメールを開くと、長文メールに添付された、のんちゃんからの写真があった。それをまじまじとウチは眺める。
「ねぇ、のんちゃんとツーショットの子がカブトムシだよね?」
なんか、腹立つ……。
「そうだよ。ふふふ」
カブトムシとのんちゃんの組み合わせが、ウチにはとても不釣り合いに見えた。もっとイケメンを選べばいいのに……。正直、ウチはそう思うし、ウチにのんちゃんの美貌があるのなら、ウチはイケメンを選ぶ───絶対そうする。
「このワンピでリボンの子が、ツクヨちゃん?」
この子は、可愛い。
「そうそう。可愛いのぉ~、ツクヨちゃん。なんかねぇ~、すごく可愛いの」
その時すでに、ウチはツクヨちゃんの隣の少女から目が離せなくなっていた。超絶という言葉は嫌いだけれど、この子はまさしく超絶に育つ。
「こ……この美少女は?」
「この子はね、忍ちゃん。なんかねぇ~、三縁さんのこと……好きみたい」
え、なんで?
この子、五年もしないうちに化けるわよ。男なら誰だって、若い女を選ぶわよ。ウチは嫌な予感を感じた。のんちゃんには、まだまだウチの恋のレッスンが必要だ。
「のんちゃん、この子は危険よ。カブトムシを手放したくないのなら、すぐにでもカブトムシに告るべきよ。さもないと、この子がぜーんぶ、持ってちゃうわよ。この子は近い将来───化けるわよ。わかってる? 男はね、若い女を選ぶのよ!」
それは、歴史が証明している。高校時代、ウチの黒歴史も証明していた。画面の向こうで、のんちゃんが急にモジモジし始めた。
「えっとねぇ……女の子から告白したら、嫌われないかな?」
嫌わない! どうしてこの子は自己評価が低いのだろう。
「いーや。のんちゃんが嫌われるワケがない。それは、親友のウチが保証する。だから、大丈夫だよ」
「うん。言ってみる」
のんちゃんの顔が少し明るくなった。
「約束よ」
のんちゃんに、ウチは念を押した。釘でも刺さなきゃ、たぶん言えない。
「う……うん」
今夜はこれくらいね。あまり攻めても、可哀想だし。のんちゃんからの写真を眺めていると、タップする指がピタリと止まった。
「ね、ね、ね。この大きい子───誰?」
大きい子の顔を、ウチはマックスまで拡大した。
「その人は尾辻くん。みんながオッツーって呼んでいるから、わたしは〝オッツーさん〟って呼んでいるの。ツクヨちゃんが懐いていて、とても優しい人なのよ」
この子、異常に足が長い……七頭身? それとも八頭身? いずれにせよ、モデル体型確定ね。そそられるわね……。
「身長は?」
「百八十センチよりも大きいと思う。グリムのドアに頭をぶつけてたから……すごく背が高い」
この逸材、ウチの見立てどおりなら……。
「この子、ウチに紹介してくれない?」
「ねぇ、ゆいちゃん。オッツーさん、気に入ったの? なんかねぇ~……ツクヨちゃんの気持ちを考えると。だって、ものすごく懐いているから……」
「それはない」
相変わらず、のんちゃんは直球派だ。ウチのミットのど真ん中に剛速球を投げ込んでくる。でも、残念ね。これは仕事で恋愛じゃないの。イケメンなんて、彼程度なら東京にはゴロゴロいるわよ。
「じゃなくって、この子。ウチがハサミで手を入れたら……恐ろしく化けるわよ。そうね、ダイヤの原石を見つけたって感じ。美容師としてウチの腕が疼くのよ。ビフォー・アフターがどれだけ変わるのか知りたいの」
「そうなんだ。ゆいちゃん、すっかり美容師さんね。すごいなぁ」
のんちゃんに褒められた。ウチは、そっちがうれしいわ。このミッション、未来の美容師ゆいちゃんがいただきました。ウチは俄然、やる気を出した。
「そうすれば、ツクヨちゃんって子。もっとメロメロになっちゃうわね。夏休みにそっちに行くから、話だけでも通しておいて。彼の名前……尾辻くんだったわね」
「うん」
ウチは、原石の名前を確認した。
「わかった、ゆいちゃん。明日、三縁さんに訊いてみるね」
明日も会うのか……。最後にウチは、気になる質問を投げかけた。
「ねぇ、のんちゃん。もしかして、カブトムシと毎日、会ってる?」
「うん!」
のんちゃんが、今日一番の笑顔を見せた。それに悔しさを感じても……守ってあげたい笑顔だった。
この夏。遠く離れた讃岐の地で、ウチは〝ゆいちゃん旋風〟を巻き起こすことになる。
☆☆☆☆☆
───のんとゆいのビデオ通話の夜。
「サヨちゃん、ここに来るのって久しぶりね。うれしいわ……うふっ」
俺はゆきの部屋に……いた。
コメント
ん?
え?
日曜日をお楽しみに(笑)