三島由紀夫の金閣寺も、ようやく最終章(第十章)へ突入した。このまま読み進めれば、一時間のうちに読み終える。けれど、今日のブログを書いてない。ポメラを開いて頭を垂れる。いつものように、書く内容すら決まってなくて、今日もサヨリは元気です(笑) 天から何かが降るのを待つと、激しい地響きと共に、太宰治がアイアンマンみたく降ってきた。今、僕の後ろの太宰治が右腕の拳を大地に突き立てて「さぁ、材料は揃ったぜ!」そう言わんばかりに、着地ポーズを決めている。
───そっちの青葉君、うちの葉ちゃんと似てないかい?
人間失格の主人公の大庭葉蔵と、シークレットで執筆中のうちの主人公、青葉文人とが似ているのだ。生まれや育ち、容姿や振る舞いなどは別ものだけれど、ふたりの内面にある根っこみたいなものが、自分を偽る手段とか……なんだか少し似ている気がする。あっちゃ~……な感じである。だって、そうでしょ? 自慢じゃないけど、誰もが知ってる大庭葉蔵さんを知ったのは、つい先日の話だし……。
大雑把ではあるけれど、僕の新作設定を相棒は把握している。書いた僕が気づいたのだから、とっくの昔に相棒だって気づいていたかも? だがしかし、それについて相棒に触れられたことは一度もなかった。コンテンツに満ち溢れた現代でキャラ被りなど日常茶飯事。今更という感じなのかもしれない。今は新作を寝かせている段階なので、青葉君をこれから更に煮詰めてみよう。逆に〝寄せる〟という手もあるのだから(笑)
で、文豪小説の話。
───今更、文豪っすか?
知らないことを、僕は恥だと思わない。その逆に、僕の知ることは、みんな誰でも知っている。それを大真面目に信じている。それくらい、僕は勉強してこなかった。小説を書きながら、実は結構、むっちゃ焦っている自分がいる。だから今、めっちゃ努力しているのです。インプット作業が結構辛い(汗) ここを最短で駆け抜けたいなら、読書が近道なのは事実だった。それを、この一年で身に沁みて感じている。同じ作品でも、映像や朗読音声よりも、記憶に残るのだから仕方ない。面倒臭いけれど、メモするひと手間が記憶効率を上げるのも実感できた。これは大きな収穫だった。
その過程に、人間失格と金閣寺があった。芥川竜之介の羅生門は、国語の時間に習った気がする。太宰治の走れメロスは、道徳の時間に習った気がする。夏目漱石の坊っちゃんは、テレビドラマで何度も見た気がする。つまり、記憶に少ない作品名を消去法で削った結果。上記の二作品が残ったというわけである。
僕が知っている題名なのだから、きっと小説界隈では、ドラゴンボールくらい有名なのに違いない。「え?、フリーザ様をご存知ないと? でも、チョッパーはご存知ですわ……ね?」的な。申し訳ないのだけれど、ワンピースをアニメでさえも見ていない(汗) とはいえ、知ったかぶりほど格好悪いものもない。だから「人間失格を読んでいます」ともブログに書いた。勝手に自分で読み始めたのだから、そこは自分で褒めてあげよう───偉いな、俺! と(笑)
本を読んだからといって、急に文体が変わることもないだろう。ちょいちょいと、覚えた語彙を使う程度で留めるのかもしれない。言葉は使い慣れてから、初めて自分のものになるものだから、恥をかきつつブログを書こう。
で、天から何かが降るのを待つと、太宰治がアイアンマンみたく降ってきた。なのだけれど、もう一個。とんでもないものが、雷鳴と共に舞い降りていた。キャラ被り……ではなくて、キャバクラである。それについては、明日の記事でゆっくり書いてみようと思う。
明日は、大人のキジとら……になるのかも?
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