ゲシュタルト崩壊

小説の話
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 同じような作業を繰り返すと、脳がバグってミスをする。たとえば、一桁の足し算をやり続けると、時間に比例してミスが増える。だんだんと、何がなんだか、ワケが分からなくなるものです。それをゲシュタルト崩壊というのだけれど、僕は学者さまでも何でもないただの愚民で。当たり前のように、ゲシュタルト崩壊の言葉を使うけど、どうやら、その使い方は間違いらしい。ウィキにそう書いてありました(汗)

 話は変わるけれど、これまで書いた小説は、まだまだ修正作業が続いています。誤字脱字はさることながら、表記揺れ……これが僕には難儀でした。記事冒頭で使った「何」という、日常的な文字でさえ、「なに」と読むか「なん」と読むかで、漢字と平仮名とを使い分ける。その習慣がまったくなくて、その「まったくなくて」も一年前なら「全く無くて」と書いたり「全くなくて」と書いてみたり。無意識で五十年以上もやっていたのだから、急にどうこうなるものでもなくて、相棒には気苦労の掛け放しの一年です。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。そう思いながらも、表記はゆれる。そして、いつも頭はゲシュタルト(汗)

 幼少期の星飛雄馬のように、お箸を持つ手を右から左に変えるくらい。僕には表記ゆれが、難易度高きルールでして。これ、漢字だっけ? 平仮名だっけ? カタカナけ? アルファベットは……ないか。そう悩んだらまだマシで。ゾーンに入ると気が回らなくて、イケイケドンドン!……そんな日々も、早一年……なのでした。

 ブログの毎日投稿を止めてから、時間に気が追われることもなく。これまで書いた小説の、不具合の修正作業に時間を回せるようにもなりました。これは、愛猫がくれたお休みです。この日曜日に投稿するスピンオフから始まった「のんちゃんのブログ王(第二章)」の最終話も書き終えて。今は微調整の段階で。これが終われば、愛猫サヨリの物語に腰を入れる予定で。クリスマスの頃までには……そのつもりで動いています。

 で、先日書いた「真夏の恋」は、その過程で生まれた物語で。さぁ……五話くらい書いたら完結でしょうか? それとは別に、ブログ王の第三章を、来年の四月に公開したいので、サヨリの物語は、その間に書くつもりです。

 小説とはまた別の。ブログの読者の方もいらっしゃるので、可能な限りブログとしての記事も書こうと思っています。あ、最近。〝音楽〟という小説を読みました、三島の。僕の本棚が本屋のようになっていて、相棒からの未読の本がたくさんあって。手頃な厚さと題名で、サクッと手にとって読み始めると……〝音楽〟の題名を裏切るような、火曜サスペンス劇場のような内容で。なんか知らんけど読みやすくて。作者は、三島由紀夫という、文豪と呼ばれる作家ですけれど。今読んでも古くなくて……まぁまぁ、狂ったエロさある(汗)

 読書が苦手な僕でも、シャカシャカと読めたのも不思議です。その原因が気になって、三島作品を読みながら、自己分析をしてみました。たぶん、文章をひと文字づつではなくて、単語ブロックで見ているのだと思います。頭の中で声を出す、黙読とは違う感覚。「禁止」とか「注意」とか。「チンコ」とか「うんこ」だとか。これらの単語は、記号として記憶していて。僕にとっては、読まずに見て認識可能な単語です。読むよりも見る方が、圧倒手なハイスピードで読了できます。そんな単語が頭の中に増えた結果が、これかもね? 太宰も漱石も何冊か読んでみたけど、文章の力を感じるのは、今のところ、三島です……。

 無理やり難解な文豪小説を読み続けるのは、これがまた、しんどいけれど。本を読むコツみたいなものが、脳の回路に組み込まれた気がしています。で、いつものように、学生時代に読んどけば……そう思ってしまうのですが、今が一番若いから。聖子ちゃんのキャンディボイスを聞きながら、学生気分で読んでいます。やっぱり、松田聖子の歌声は、枯れた脳まで若返る(笑)

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