「マサヨシーぃ! 今夜はシチューよ」
「やったー!」
この会話を最後に、かあちゃんは死んだ。轢き逃げ……いや。オレに言わせりゃ、殺人だ。かあちゃんの葬儀が終わってすぐに、オレは犯人探しを始めた。それは、十九歳になった今でも続けている。
「マー君。もし、犯人を見つけられたとして、ひとりで犯人を捕まえられるの? どう頑張っても、小学生が大人の腕力には勝てないわ。ねぇ? 捜査は警察に任せて、友だちが通ってる道場を覗いてみない? 犯人探しは、強くなってからでも遅くないわよ」
小学生のオレに、姉ちゃんが言う。オレの身を案じての提案だった。学校帰りに道場へ通っている間、オレの身は安全だ。姉ちゃんに引きずられるように、オレは道場へ見学に行き、合気の凄さを目の当たりにした。子どもや女の人が、大人の男を投げている───これなら、勝てる!
「オレ、合気、やりたい……」
その場でオレは、姉ちゃんに言った。ただし、オレの入門には条件があった。小学校に通うこと。道場を休まないこと。犯人探しは警察に任せること。オレはふたつ返事で条件を飲んだ。強くなりたい一心だった。それからは、寝ても覚めても合気だった。オレは合気に夢中になっていた。それでもオレはこっそりと、犯人探しを継続していた……。
新しい技を習う度に、オレはおさらいをしに海へ行く。砂浜なら転んでも痛くないからだ。遠くからサヨっちが、オレの練習を見ていたのも知っている。でもオレは、知らないふりを続けた。
合気を始めて半年ほど経った頃。シャドー練習中のオレに、サヨっちが話しかけた。なんのアピールなのだろう? 高速で反復横跳びをしている。
「ひとりじゃ、成果も出んのとちゃう? 俺が練習台になっちゃるわ」
「いや、サヨっち。最初に受け身とか覚えないと……」
サヨっちに、怪我をさせては大変だ。
「オッツーの練習、見て覚えたで。三縁さんに、まっかせなさーい! てか……諦めてないんやろ? 犯人、ボコるの。オッツーと俺とは、親友じゃないか。にゃはははは。腕の一本や二本は、覚悟の上じゃ!」
そう言い終わるや否や、サヨっちがオレに襲いかかった。オレは反射的に小さな体を投げ飛ばした───ドン! しまった───サヨっちが砂の上で、大の字になったまま動かない。オレは慌てて、サヨっちの顔を覗き込んだ。サヨっちは、ボーッと空の一点を見つめている。死んだ……の?
素人に技を使っちゃダメなのに……顔面蒼白のオレに向かって、サヨっちが大笑いし始めた。てか……腹を押さえて、砂浜をゴロゴロと転がっている。打ちどころが、悪かったのかも? するとサヨっちは、ネックスプリング(首跳ね起き)で飛び起きた───忍者かよ?
「にゃるほどねぇ~、すげーな! 気づいたら飛んでるもんなー。それ、合気道、つーんだろ? もっと、オイラを投げてみそ」
サヨっちを、数回ほど軽く投げてみる───「だから素人は!」そう言ってやりたかった。けど……何その受け身上手。勘がいいのか? 器用なだけか? 今、思い出しても、サヨっちの受け身は見事だった。
それ以来、砂浜でオレを見つけると、いつもサヨっちが相手をしてくれた。桜木は堤防に腰掛けて、読書をしながらオレたちの練習を眺めていた。桜木には、桜木にしかできない役目があった。
「まだ、まだぁ!!!」
「いいえ。そこまでです」
甲高いサヨっちの声が限界に近づくと、すっと桜木が止めに入る。そんな小学時代を、雨の日も、風の日も……ツクヨっちが飛川家の一員になるまで。オレの練習は続いていた。
サヨっちを投げながら、オレは薄々気づいていた。もしかして……サヨっちは、オレの技を覚えてないか? と。気を合わせると書いて合気である。それは、不思議な力の技じゃなくて、物理法則に従う技だ。力の流れに身を合わす技。
オレに投げられながら、その技を体得している。そんな気がしていた。中学になったオレは、サヨっちの実力が知りたくなった。だから、学校でサヨっちにオレから仕掛けた。しかしそれは、卑怯な不意打ちだ。こうでもしないと、アイツの本気を引き出せない。はっきり言って、オレは強い。すまんな、サヨっち───ドン!
三年前とは逆だった……。
「あ。ごめんねぇ~、オッツー。急に襲われたかと思った。ほら、中学って危険がいっぱいじゃん。気を抜くと、死ぬらしいじゃん?」
そこまで中学に危険はねぇ! オレの体を抱き起こしながら、サヨっちが笑っている。キレッキレな技の切れ味に、オレの全身から血の気が引いた。天賦の才能とは、これなのだろう。確実に、オレの技が盗まれている……。大柄なオレのコピーではなく、自分の体格に合わせたアレンジを加えて……。
「サヨっち! 放課後、オレと道場へ行こう。お前、絶対に強くなるから。いや、今でも強いわ」
オレは、その場でスカウトした。
「えぇ? 俺、幼稚園のお迎えあるし……ツクヨの面倒を見ると、アヤ姉からマネーがもらえるからなぁ~。それに、お月謝なんて払えねーもん。だから、やだ」
オレは道場で、合気の精神を学んできた。それに比べてサヨっちは、ピストルを手にした子どもと同じだ。オレは……とんでもない化け物を、生み出してしまったのかもしれない。
サヨっちの笑顔に、オレは恐怖を覚えたのだが、アイツが表に出ることなどあり得ない。いざとなれば───顔はやめな! ボディを狙え。裏で相手をボコる曲者だ……。それもこれも、いずれはバレる話である。オレは、のんちゃんに真実を告げた───斯々然々……
「三縁さんが?」
のんちゃんは、大きな瞳をパチクリさせている。猫を連れて帰ったら、虎だった。みたいな顔だ。
「あの、飛川君がぁ。冗談でしょ?」
普段は、ポメラを打つだけの男である。グリムのママは、オレの話を信じていない。構わずオレは、話を続けた。
「だから、のんちゃんがワルに触られた時。サヨっちは、マジで怒ったんだよ。土下座したのは、のんちゃんを守るため。立たずに投げたのは、正当防衛を主張するため。声を荒げてツクヨっちが、ワルをモップで殴ったのも同様の理由から。その上、巧妙に目撃者まで準備している。それは完璧な演出だよ。誰が、サヨっちを咎めるだろうか?……にしても、それを瞬時に実践するとは、恐ろしいコンビだわ。これが、飛川の血というやつか?」
ふたりは口をポカンと開けて、オレの話を聞いている。
「えっと、どれくらい……お強いんでしょうか?」
のんちゃんが、興味津々な顔でオレに訊いた。それを知って、どうするの?
「数秒だけなら、オレよりも強い。てか……オレ───強いんですよ、ホントにね。サヨっちは、オレに投げられ続けているうちに、体で合気の仕組み。つまり、動きの流れを覚えちまった。だから、厄介だと思っていたけど、安心しました」
「安心ですか?」
「そう。のんちゃんの前だからって、イキって暴走することもなかったから。女の子の前なら誰だって、男はいい格好するもんだから。ずっとオレ、サヨっちに言い続けてきたんだ。合気を使うのは、最後の最後だぞ……って。その約束は守ってくれていたから、安心です。でも……もうひとり」
「でも? 何か心配事でもあるんですか?」
「大アリです。モップを振り回していた、小学生……ツクヨっちも合気の使い手。もしかしたら……サヨっち以上のセンスの持ち主……かも」
「……かも? あら。それは……心配ですね。三縁さんも、ツクヨちゃんも、そんなふうに見えませんけど……」
「えぇ。倒れている人間の腹を、笑って蹴るくらいのことなら……ツクヨっちなら、平然とやるでしょう……。人は見かけによらない……の、典型です」
「でも、どうして? 女の子のツクヨちゃんが武道だなんて?」
「都会から来たツクヨっちは、いじめられっ子だったから」
ツクヨっちの運動会の日。仮面ライダーに扮したオレは、ツクヨっちのいじめを知った。そこで、幾つかの技をこっそり教えた。その練習相手を、サヨっちがやっていたのだろう。ツクヨっちの格闘センスは、オレとの格ゲー勝負で、遺憾なく発揮されていた。なんだよ───あの異常な強さは? あんなの、女の子の動きじゃない……。
てか、それ以降……いじめの話がピタリと止んだ。つまりは……そういうことか? そうなのかい? いつも笑顔のツクヨっち。「ぎゃはははははは……」楽しげに男子を投げる、ツクヨっちの姿が見えるようだ……。ついでに予言をしておこう。コイツは中学で大暴れするのだと。ツクヨっちに変身ベルトを渡したのは、大失敗だったのかもしれないな……。
「ふぅぅぅ……」
それを思うだけで、オレの口からため息が漏れた。すると、誰かのスマホが鳴り響く。のんちゃんのスマホだった。
「オッツーさん。話の途中なのにごめんなさい。三縁さんからメールです」
スマホを開いた途端、のんちゃんの顔がデレデレになった……もしかして、もう……サヨっちと、やったのかい? それなら、それで、いいのだが。それをオレに黙ってるつーのは、親友として寂しいもんだ。
「オッツーさん。見てください!」
のんちゃんがスマホ画面をオレに向けた。何かの画像が表示されている。
「これ、本?」
「はい。十二月に発売です!」
去年。みんなで作ったブログ王が、書店に並ぶ姿になった───スゲェーな、おい! 帰りにゲンちゃん寄って報告しよう。この本を、オレが本屋で買って、サインをもらって。それを、ゲンちゃんうどんの本棚に並べるんだ。
「それと……」
ハニカミながら、のんちゃんが言う。
「初めてデートに……誘われました! ふたりきりですよ、ふたりきり」
それ、まだだったの? てか、デートはふたりきりが原則じゃないの?
「やったな、サヨっち! バンザーイ!……」
オレは取りあえず、万歳三唱をやってみた。すると、グリムのママがボソっと言った。
「のんちゃん、ゴム……買ってきてあげようか? 女の子の身だしなみっていうからねぇ」
「ねぇ、ママさん……何……言ってんの?」
オレがツッコミを入れると、ママの頬が赤く染まった。そこは、あははと笑うとこでしょうが? オレとマスターは気まずくなって、のんちゃんと目を合わないように、顔を伏せた。
「ゴムって、なんですか? なんに使う、ゴムですか? どこで売っているんですか? 幾らですか? オススメのメーカーなんて、ありますか? わたし……自分で買えますよ。だって、ゴムでしょ? ホームセンターに売ってますぅ?」
のんちゃん。もう、やめてあげて。
「あのねぇ……私。そいう意味じゃなくて……」
ママが放つ言葉の歯切れが凄く悪い。だが、この責任───取ってよね? オレとマスターは、ママに目で訴えた。のんちゃんは、ピュアだピュアだと、耳にしてたけれど……この子には、ピュアという言葉さえもが色褪せて見える。
「もしかして、バイト料よりも高価なんですか? わぁぁぁ……大学の先輩、教えてくれるかなぁ~。なんのゴムかなぁ~」
───どこまでも、マジメか?!
「ねぇ、オッツーさん。三縁さんは、どんな柄が好きでしょうか?」
オレにも火の粉が……。
「うーんとね……それ。男の人の前で言うと、嫌われると思うよ」
それは、口からでまかせだ。
「え、そうなんですか? だったら、マスターとオッツーさんには訊けませんね。じゃ、ママさん。ご教示、よろしくお願いします」
のんちゃんは、ペコリとママに向かって頭を下げた。
「あれ? あれれぇ? 私……ゴムって言ったっけ? あら、嫌だねぇ~。ボケたかしら? 忘れっぽくて困ったものねぇ」
ママが老人力のギアを上げた。
「何と勘違いしたんだろう……そう、そう。ガムだよ、ガム。口臭予防のガム。年を取ると困るわねぇ……でも、接吻するときに必要でしょ?」
「接吻、口づけ、ベーゼ、キス……そうですよね。ゴムを噛んだら、逆にお口が臭くなっちゃいますものね。ガムは、ちゃんと準備しないと───うん! ガムなら自分で買えます。わたしは、イチゴ味にします」
「そうよ。女の子にはね、ガムが大切なのよ!」
「そうですね」
パワーワードにパワーワードをぶつけたか? のんちゃんも、ゴムから意識が飛んだらしい……おい、サヨっち。先ずは新人賞、おめでとう。こっちは、こっちで、大変なことになってるぜ!!! のんちゃん、やる気満々やで。
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