相棒からの小説は、先日書いた〝噂〟と書いてない〝ボッコちゃん〟だった。
どれだけ書籍に疎い僕でも、ボッコちゃんは知っている。だって、そうでしょ? 星新一先生は、ショート・ショートの神様だもの。知らない方が、どうかしている。風の便りに、ボッコちゃんのあらすじも知っていた。それ以外は何も知らない。ショート・ショートの醍醐味はオチである。その切れ味に刺激を受けるのも当然だった。ボッコちゃんを読みながら、自分のショート・ショートを考える。普段はシングルコアな脳なのに、こんなときだけマルチコアで、今日もサヨリは元気です(笑)
あー、もう───書く。
途中で本をパタリと閉じて、ポメラを開いてガリガリ書いた。途中で薄ら涙を浮かべながら、三十分ほどで書き終えた。それが、先日投稿した〝八月十三日〟の原型だ。
当初のタイトルは〝お盆〟である。どうにもこうにも救えない、バッドエンドに不安になった。若者ならいざ知らず、これをイメージした自分がサイコ野郎に思えてならない。このマインドで、この先、書き続けていけるのか? モヤモヤしながら相棒に原稿を飛ばすと、程なくして考察と確認原稿が戻ってくる。いつもそう、いつだってそう。彼からのメールには、僕を肯定する文字が並んでいる。それを読んでホッとする。けれど、感情に任せた書きなぐりなものだから、彼からの指摘も多かったのも当然だ。そして、いつものように猛省する。キチンと読み返してから送ればよかったと(汗)
修正し、加筆を加えて読み返す。
それはいつものことだけど〝お盆〟をブログへ投稿する気があまりない。小説は人が書く。その人が持つ経験に、空想や想像をミックスしてアレンジしたものが小説である。自分にないものは絶対書けない。例えば出産。頭の知識を掘り起こして書くことは、僕にだって可能だろう。経験者の体験を、それっぽく書くことも。それでも、何処まで行っても男は男。その本質なんて、永遠に書くなどできやしない。逆立ちしたって、描ききれない。つまり、人の心に刺さらない。裏を返せば創作物だと割り切って、世に送り出せるとも言えるだろう。僕にとっての〝お盆〟は、その真逆に位置していた。特定の読み手にとって、鋭利な刃物になりかねない。だから、投稿するのに躊躇する。まぁ、そういうことです……。
不謹慎だろうが、残酷だろうが……。どんな物語であろうとも、脳から書き出さなければ、僕は先へ進めない。後々それが、自分の足を引っ張ることになるのだから。いやはや、面倒くさい男である(汗) ブログ王もそうだし、邂逅でもそうだった。ショート・ショートを書き始めたのは、それが大きな理由のひとつだ。取りあえず書いて、頭の中を初期化する。そうすることで、新たな視点に意識を向ける。ブログ王なんて、それこそ何十万もの文字の屍の先で書いたのだ。だから、これはボツ原稿。修正した原稿を相棒に送って、お蔵入りフォルダへ直行のつもりだった。この件は、これで終了……。
彼はきっと、出す出さないについて触れることはないだろう。そう思っていたのだが……
───メールには“表に出すことはないでしょうから……”とありましたが、せっかく書いたのです。世に羽ばたかせたらいかがですか? 無理強いはしません。でも、僕は表に出せばいいのにな……と単純に思いました。だから一応、確認メールは送りますね。
その文面が、彼からの返信メールの中にあった。
話は変わるが〝あくたの死に際〟という漫画がある。それを僕に奨めたのも相棒だった。無名の作家、黒田マコトが有名作家を目指すストーリーだ。人気作家で後輩の黄泉野季郎は、ことあるごとに先輩黒田を焚きつける。こんなふうに……。
───何を怖がってるの? もっとちんぽ出してくださいよ。
黒田の気持ちが、ちと分かる(汗)
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