一大事

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 久々に喫茶グリムへ入店すると、オレを見るなりママが言った。

「あら、イケメンちゃん。お久しぶりねぇ~。すっかり、元に戻っちゃって! ツクヨちゃんがイケメンちゃんに会えなくて。ずっと、寂しそうだったわよん。このぉ~、女泣かせぇ(笑)」

 もう、十一月である。お盆に丸坊主にしたオレの髪は、すっかり元の長さに戻っていた。

「あれ、サヨっちは?」

 オレが店内を見渡していると……

「お盆以来ですね。お久しぶりです、オッツーさん。三縁さよりさんは今日、新人賞の授賞式です。ツクヨちゃんは、お家でお留守番しているみたい」

 のんちゃんが、カウンターの中で誇らしげに微笑んでいる。授賞式……? しまった、今日か。忘れてた……。咄嗟に、オレの口から言い訳じみた弁解が溢れ出た。

「お盆休みが終わってから、学校が忙しくて、厳しくて……。やっと時間が取れまして……ここならサヨっちいるかなと思ったんだけど……。ツクヨっちは、ひとりでグリムに来れないだろうし……せっかくだから、コーヒーひとつくださいな」

「はい!」

 のんちゃんはご機嫌さんでコーヒーを淹れ始めた。そりゃそうだ。自分へのプレゼントが、サヨっちの小説家への扉を開いたのだ。のんちゃんが、天にも昇る気持ちなのも理解できる。その気持ちはオレも同じだ。サヨっち、おめでとう。心から、そう言わせてもらうぜ(笑) オレがコーヒーを待っていると、ママがオレに言う。

飛川ひかわ君といえば、この前ね。大変なことがあったのよ」

一大事いちだいじですか?」

「一大事よ!」

 あの飄々ひょうひょうと生きてるサヨっちの、一大事とやらが気になった。サヨっちは、火事があっても、地震があっても、寝ているようなヤツだから。それはにわかに信じ難い。

「サヨっちに、何かあったんですか?」

「大ありよぉ~。駅前にコンビニがあるでしょ? のんちゃんが、不良たちに絡まれてね。偶々、私───そこにいたんだけど。飛川君、土下座してたの……私、がっかりしちゃった……」

「そういうことを、言うんじゃない! 飛川くんに失礼だ!」

 ママの口ぶりに、マスターの表情が険しくなると、ママが口を閉ざしてしまった。でも数秒で、その口は復活を遂げた。もう、黙ってられないのがよく分かる。ママは、おしゃべりな人だから。

「だって……土下座よ。のんちゃんの目の前で土下座したのよ。でもね、小学生のツクヨちゃんが不良どもをやっつけたのよ。コンビニからモップを持ってきて、バシバシ叩いて追い払っちゃったの。あの子、将来有望ね。イケメンちゃんも負けちゃダメよ!」

 オレの知らぬ間に、ママはオレを〝イケメンちゃん〟と呼んでいるらしい……。オレはコーヒーを待ちながら、ママの証言を推理していた。あの男が、土下座するなどあり得ない。だって、サヨっちは……曲者くせものだもの。

「三縁さんは、わたしを守ってくれたんです。三縁さんを悪く言わないでください」

 のんちゃんがママに向かって、プーっとほっぺを膨らませた。美人の眉間にシワが寄っている。のんちゃんがサヨっち推しなのは、誰の目から見ても明らかなのに、未だに告らぬサヨっちにオレは若干イライラしていた。今日はのんちゃんに、親友の自慢話でもしようかな……丁度いい。怪談話でもするように、オレは声のトーンを少し下げた。

「そりゃ~、一大事というよりハプニングですね。のんびり屋のサヨっちも、さすがに堪忍袋の緒が切れたんだろうね」

「え、三縁さんが?」

「まぁ、飛川君がハプハプですって?」

 オレのひと言が、のんちゃんとママの心を掴んだ。

「でも、飛川君。ヘラヘラしながら土下座していたのよ」

 まだまだ甘いなぁ~、ママは……。

「間違っても、世界がひっくり返っても。あいつは、そんな玉じゃないっす。ちっこくて、弱そうに見えるけど、普段のあいつなら───きっと言います。『じゃ。裏、行こか?』ってね」

「飛川君、強いの? うっそぉ~。イケメンちゃん、嘘はダメよ」

 嘘はダメよと言いながら、ママの目がギラギラしている。マスターの視線もオレに釘付けだ。のんちゃんは、平静を装いながら洗い物をしているのだが、オレの話に耳を澄ましているようだった。もう一押しというところか……。

「強いっすよ。十秒以内なら、オレよりも───アイツは強い!」

 のんちゃんの動きがピタリと止まった。

「え? でも……オッツーさんは、合気道の達人さんでしたよね?」

 のんちゃんの眼光が、オレに向かって眩しく光った……さぁ、ショータイムだ。間髪入れずにオレはのんちゃんに事情聴取を開始した。

「サヨっちは最初、土下座していたんだよね?」

「あら、刑事さんみたいね」

 ママが、オレの質問にチャチャ入れしたが、オレはそのまま話を続けた。

「のんちゃんに絡んだのは何人だったの?」

「三人です。背丈は、オッツーさんと三縁さんの間くらい……175センチくらいでした。だから、三縁さんの行動は正しかったと思います。三人相手に喧嘩しても……勝てません」

 のんちゃんが少しうつむいた。

「でも……その三人を、ツクヨっちが追い払ったんだよね?」

「えぇ……まぁ……ツクヨちゃん、カッコよかったです」

 のんちゃんは、自分の妹を誇るように微笑んだ。

「だったら、サヨっちがやったんだよ。たぶん、ツクヨっちが動く前に、のんちゃんに手を触れたヤツがいたでしょ?」

「どうして分かるんですか? そうです。最初は三人で、三縁さんを殴ったり蹴ったりしていました。そして、リーダーのような人が『こんなヘタレは放っといて、俺たちと遊ぼうよ』そう言って、わたしの肩を掴んだんです。そうしたら……」

 のんちゃんが驚いた顔で答えた。オレの中で推理が確信に変わった。

「サヨっちに暴行していたふたりが転んだ……ってとこかな?」

 うんうんと、のんちゃんがうなずいている。

「そうなんです、そうなんです。それで、わたしの肩を掴んだ人が、三縁さんを蹴ろうとしたら……」

 これから、キミの期待にお応えしよう。

「そいつも、転んだ。そいつをツクヨっちが、モップで殴った……『ぎゃー』とか『きゃー』とか、大声を張り上げていたでしょ? ツクヨっち。その声に人集ひとだかりができて、悪人は退散しました。めでたし、めでたし……って、ところかな? てか、ずっとサヨっちニヤニヤしてたでしょ?」

「ニヤニヤしてました……どうしてそれが、分かるんですか? あ、ごめんなさい。冷めないうちに、コーヒーどうぞ」

 のんちゃんが、オレの前にコーヒーを置いた。ああ、コーヒーのいい香りだ……。にしても、叔父と姪とで、ひと芝居打ちやがったな。さすがは曲者くせもの、飛川の血だな……オレの知る限りでは、最も恐ろしいのはアヤ姉だけれど……。

「それは、合気あいきだね……コーヒー、ありがとう」

「どういたしまして……合気ですか?」

「そう、合気」

 オレはコーヒーカップにミルクを入れて、スプーンでコーヒーをかき混ぜながら、のんちゃんに小学時代の思い出を語り始めた……。

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