───喉元過ぎれば熱さを忘れた
そうだった、そうだった、五十肩治ってたの忘れてた。痛い時、辛い時、しんどき時。その苦痛が常に意識の中にあるもの。だけれど、自然に、勝手に、まるっと治ると、その事実すら忘れてしまう。しゃっくりと同じように、僕の中では無かった事になっていた。
一年越しの五十肩、いつの間にか完治
四十肩、五十肩と呼ばれる肩の痛み。その痛みたるや、ギックリ腰と同様で、なってみなければ分からない。ひどい時は自分でパンツ履けないもの。靴下をどうやって履こうか悩むもの。
そんな五十肩、肩こりの上位互換と勘違いされがち。「また、またぁ〜、おじいちゃんったら大袈裟」。若い頃、僕もそう考えていた。フリーザ級の不幸が我が身に降りかかるまでは。
現実の五十肩は肩の関節の中で痛みが走る。肩が抜けたかと錯覚するほどの痛みだ。もうね、変な体勢にでもなろうものなら、地獄です、生き地獄です。僕の声はカカロットには届かない。
その場で疼くまり、しばらく動けなくなる。ザ・激痛、不気味な絶望感、永遠とも思える数分間、軽く走馬灯が見えたよね、第四コーナー回ってた。
───こんなのが一年も続いた
で、今は一年で最も危険な二月でしょ?。希望よりも諦めが一人歩きをし始める。暖かくならないと到底回復の兆しなど見せない。下手すりゃ一生のお付き合い。諦めたらゲーム終了ですよって気にもなれない。
───その肩の痛みが、さっき、消えて無くなった
自分の体は誰よりも良く知っているんじゃ!。
昭和のドラマでジジイが言いそうなセリフだけれど、その気持ちがよく分かる。このポーズは激痛のポーズ。だからやっちゃダメ。その感覚を体が覚えていて、今日もそんな体勢になってしまった。
───あれ?、おや?、はて?、痛くない
恐る恐る腕を回しても、やっぱりあまり痛く無い。治った?、治ってるよね?、これ。半信半疑、首を捻りながら危険なポーズを繰り返しても痛みはそれほど感じない。
愛猫サヨリがこたつの上から僕を睨む。嬉しくなって、サヨリさんを抱っこしてチューしてやろうとしたら、逆に猫パンチをお見舞いされた。
───冬本番、一週間くらい前の話である
それは、僕の目の不調が激マックスな時期と重なった。目が痛くて何も考えられない。肩への意識が眼球へと移行した。聞いて、聞いて、五十肩治ったよ!。喜んでジェシカおばさんに伝えるべき事件簿なのに、目の奥が重くて、痛くて、それどころでは無かった。
───別パターンの生き地獄
SNSを休止させてブログだけを更新する日々が続く。もちろん記事の下準備はアナログの手書き。スケッチブックの文字を刻む。最小限の時間で事を運ぶ。動画鑑賞もファミコンと同じ。高橋名人の言葉を守り、動画は一日一時間。
───戸田恵梨香のSPECだけを観て過ごす
ようやく目の痛みも取れ始め、心に余裕が出来たのだろう、いただきました!。五十肩が治った事を思い出す。まだ、若干の痛みを伴うものの、懸垂くらい出来そうなまでにコンディションが回復した。
左肩の時もそうだったけれど、右肩も突然治ってしまった。何が良かったのか、何がキッカケだったのかも分からない。肩に良いことなどもしていない。コロナが怖くて病院すら行けなかった。ウォーキングかな?、お芋さんかな?。
───全てが謎の回復だった
ぶり返す事も想定して、ゆっくりと肩のストレッチなどを始めよう。桜咲く頃、懸垂が出来るまでに回復出来れば上出来だ。
僕の経験則からすれば、次回の危険ゾーンは腰である。持病のヘルニア。いつもそう、いつだってそう。このままでは終わらない。これからが季節の変わり目。愛猫サヨリは換毛期。高齢者の毎日は、ある日突然何かが起こる。
───ホラーで、サスペンスで、ミステリー
聞いたはずの話が思い出せない、知っている人の名前が言えない、目の前のメガネが突然消える。そして今日から県外出張。全てを笑い飛ばせる気持ちだけは持ち続けたい。
本日もご安全に。
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