吾輩だって猫だった

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 人は神様の自分勝手な気まぐれを〝奇跡〟と呼ぶ。

 もしも生まれ変わりがあるのなら、猫でよろ……。死に際に老人はそう願い、その長き人生を終えた。かつて、この老人と暮らした猫がいた。息を引き取るその日まで、自由奔放に暮らした愛猫に、老人は憧れを抱いたのだろう。その猫の微笑むような死に顔は、水色の夏空のように清々すがすがしかった。

「そうなれば、いいですね。へへへへへ」

 老人を迎えに来た死神は、そう言って笑った。

「お主の行き先はここじゃ」

 そう言って産神うぶがみは、新たな未来の扉を開いた。老人は産神の声に従って、扉の中へ身を投じた。扉の向こうは暗闇のトンネルのようで、遠い先に光が見えた。老人は、光に向かってトボトボと歩く……こんなふうに、あの子も来世へ旅立ったのだろうか? 老人の人生半ばでこの世を去った、愛しき人の行く末を案じながら……。

「げっ! マジっすか? 猫やん?」

 老人のリクエストどおり、彼は猫としての生を受けた。小さい腕を眺めると愛猫と同じ柄だった。これも因果というものか。それとも神様の酔狂すいきょうか? 子猫は飼い主に可愛がられながら、一年ほど自由奔放な生活を続けたのだが、その幸せは長くは続かなかった。成長した猫など用無しで、飼い主が飽きたのだ。それは、子猫だけを可愛がるやまいであった。そんな人間など、表に出ないだけでごまんといる。お約束のように段ボール箱に入れられて、猫は山の中に捨てられた。

「まぁ、これも一興か。にしても……人間という生き物は、今も昔も勝手だな」

 大自然に囲まれて、猫はニヤリとほくそ笑む───自由だ! 小鳥と虫。トカゲとヘビ……ここは、幸いにも山の中。食料たっぷりの桃源郷。つまり、食いっぱぐれなし! 気になる天敵の存在も皆無であった。二年ほど山暮らしを謳歌おうかした。獲物をくわえた帰り道。ふと山から見下ろす風景に、もしかしてと猫は思う……里は、人間だった頃に住んでた場所じゃね? 興味と本能が猫の体を動かした。一気に山の細道を駆け下りる。

 コンビニ、うどん屋、あの信号……全部知ってる。里に下りると野良猫の思ったとおり、そこは人間として過ごした町だった。心の底から込み上げる懐かしさで、猫はかつての家を見たくなった。この角を曲がって真っすぐ歩く。そうそう……この小さな橋を渡って、公園からふたつ目を右に曲がると───〝ね・22-22〟

 目の前に駐車する車のナンバープレートに、猫の心は混乱した。あれは……俺が乗ってた車じゃねーの! 刹那せつなに記憶が蘇る。それは愛猫と初めて出会った日の記憶。もうすぐ運転席のドアが開く。猫の直感どおり、運転席のドアが開いた。車から降りた人間は……若き日の自分であった。あの日の自分と同じように、若き自分が猫を見つけてしゃがみ込む。すべてが猫の記憶のとおり───

「こっちおいで」

 若き自分に呼ばれた猫は、あの日の愛猫と同じを行動を取った。若き自分の足にあごを擦りつけた。そしてそのまま、猫はかつての我が家に住み着いた。神様の気まぐれも大概たいがいだよな……猫はそう思いつつ、これからの二十年を確信した───将来は公務員くらい安泰あんたいだと。控えめに言っても、自分は愛猫を心から大切に扱った。それだけは絶対だ。

 その日から、猫は主人となった自分を見守りながら、二十年を自由奔放に楽しんだ。猫は自分の運命の日を知っていた。静寂に包まれた雨の夜。主人の隣で、猫は眠るように息を引き取った。最後に猫の瞳に映ったものは、主人の横にたたずんだ、美しい女性の姿であった。それは、願い恋した理想の世界。我が主人殿、末永くお幸せに……猫は大満足で旅立った。

「また、お会いしましたね。へへへへへ」

 猫を迎えに来た死神は、そう言って笑った。

「お主の行き先はここじゃ。すでに存じておろうがな───」

 そう言って産神うぶがみは、新たな未来の扉を開いた。猫は産神の声に従って、扉の中へ身を投じた。扉の向こうは暗闇のトンネルのようで、遠い先に光が見えた。その光は、まばゆいばかりの輝きを放っていた。もう一度、あの子に会える。神様の自分勝手な気まぐれを信じて───猫は光に向かって駆け出した。

 あの子に会ったら、こう言おう。吾輩だって猫だった……と。

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