「忍ちゃん。やしまーる、やしまーる!」
かわらけを投げ終えて、ツクヨが〝やしまーる〟に向かって指をさす。
「ぎょい!」
忍がツクヨに敬礼ポーズを取っている。にしても……「はい」とか「了解」とか「ラジャー」じゃなくて「御意」なのね? 最近の小学校では、戦国武将が流行っているのか? 忍の返事に気をよくしたツクヨの顔が、オッツーに向けられた。
「オッツーもぉぉぉ!」
まぁ、そうなる……。オッツーの背中をツクヨが押すと
「はい、はい。行こうな、ツクヨっち(笑)」
オッツーからの色よい返事に、ツクヨの顔から二ーッと笑みがこぼれ出た。それは、オトンが嫉妬するほどのよき笑顔。これでもかと、小さな広角が上がっている。オッツーを真ん中に、右にツクヨで左に忍。三人の後ろ姿は、どう見ても……若きパパと娘の姿。二十歳にも満たぬオッツーには悪いのだけれど、それがいいなと、俺は思った。いつまでも、これでいい。
やしまーるへ向かう三人を、血みどろナースゾンビが追っている。ゆらゆらと、うーうーと、低い唸り声をあげながら、歩くゆきの将来が不安になった……だって、そうだろ? ほら、そこの。青い制服の天パちゃん。もしかして、ゲンちゃん噂のアムロ君じゃないのかい? アムロ君の隣の白ヘルメットもお友だち? なぁ、ゆきさん。いったい、大学で何があったんだ? 何がお前をそうしたのか? 俺の脳裏でゆきパパの顔が、色鮮やかに浮かんでいる……。その高解像度は、VRくらい鮮明で、なんか……ごめん。心の中、俺がゆきパパに両手を合わせていると、ゆいの細い腕が、俺の首に蛇のように巻きついた。
「じゃ、ウチらも行こうか」
「そ、そうです……か?」
俺、知ってるぞ。この感覚は、キツネ先輩と同じだな。てか、ゆいの背丈は俺とあまり変わらない。それが今、ゆいはハイヒールを履いている。つまり、俺より背が高い。下手な抵抗は悪手に思えた。ゆえに俺は、されるがままに身を任せた。その護身は、かつてオッツーから学んだことだ。俺の首根っこをつかんだゆいが、のんに向かって了解を求めている。
「じゃ、のんちゃん。この子……少しだけ、借りるわね」
「え?……あ、う、うん」
のんの困り顔も、いと雅。このやり取りの中で、終始無言なのがアケミであった。ゆいと性格が似ているのであろうか? ふたりはアイコンタクトを取っているように感じた。女の敵は女だというけれど、このふたりには、目に見えない絆があるようだ。ゆいの真意を、アケミは察しているかのようである。そこでふらふら歩くゾンビの考えは、未だ不明なのだけれど……。
「のんちゃん。ここは、ゆいちゃんに任せるべきね。ねぇ、ゆいちゃん。こいつにガツンと言ってやってねぇ~。じゃ、サヨちゃん───後でねん♡」
ガツンとは、なんぞや? 不吉なワードを言い残し、アケミとのんはナースゾンビの後へと続く。なんだかもう……ツクヨ様御一行が、異色を放つカオスであった。ゆいが向かう先にあるものは、瀬戸を見渡す展望台だ。
昨日の真紅のスーツ姿とはまた別の、今日のゆいはラフな服装だった。純白のTシャツにスリムなジーンズ。足元には真っ赤なハイヒール。昨日と同じポニーテールではあるけれど、今日は前髪を下ろしている。バッチリメイクのゆいよりも、すっぴん顔が美人に思えた。ここだけの話。白いTシャツから、黒いブラが透けている……。
「もう、やった?」
展望台に設置された、大きな有料双眼鏡に小銭を入れて、ゆいは双眼鏡を覗きながら俺に問う。展望台からの瀬戸の景色は、晴天と青空とが相まって、瀬戸内国立公園ならではの美しさ。なのに、どいつもこいつも、「もう、やった?」他に訊くことはないのかね? 俺は軽くムッとした。
「やってねーし!」
「告ったの?」
「告ってねーし」
「じゃ、どうすんのよ? ウチの親友を泣かせたら、ウチはアンタを許さない!」
ゆいが語尾を強めて俺に言う。
「つい、先日。のんに告るつもりだったけど……予期せぬ邪魔が入ってしまって……」
俺は素直に事実を述べた。
「あぁ……のんちゃんの部屋に泊まった夜ね。昨日の夜、のんちゃん、それを楽しそうに語っていたわ。でも、あれよね……手も握らなかったんでしょ? それって、どうよ? 健康な男子としてね。で……いつ、告るのよ。その確約をもらいに、ウチは遠路はるばるここへ来たのよ。さぁ、答えて。ウチに告白宣言して頂戴!」
「新人賞の手土産もできたので……」
「あぁ、そうだったわね。おめでとう」
「ありがとう……ございます」
カシャンと双眼鏡から音がした。それは、使用時間終了の合図であった。双眼鏡から目を離し、振り返ったゆいは、俺を真っすぐな目で見つめている。
「で……?」
「俺は去年……クリスマスにのんに本を渡したから、クリスマスに告ろうかなと……」
ゆいの鋭い眼力に、俺は軽く目を伏せた。アケミといい、忍といい、キツネ先輩といい、ゆいまでも……どうして、俺の周りの女子の戦闘力は高いのか? 神様がいるのなら、お伺いしてみたいものだ。俺の言葉に被せ気味にゆいが言う。
「だったらさ。十二月一日に告りなよ」
「え?」
それは、なんの記念日ですか?
「え?……じゃないわよ。知らないの? その日が、あの子の誕生日よ。マジでアンタ、知らなかったの? バカなの? 死ぬの? 殴るわよ!」
そこまで言うか……。ゆいは、俺に対する苛立ちを隠せない。でもそれは、俺にとって有益な情報だった。そっか、そっか。俺はその場で宣言した。
「分かった。俺は、のんの誕生日に告ります!」
すると途端に、ゆいの表情がやわらいで、またもやゆいは、俺の肩に手を回す。さっきと違って今回は、フレンドリーな感じがあった。ゆいの胸先がちょこちょこと、俺の体に触れている。女性に慣れない俺は、その現実に困っていた……。
「もうね、ウチ。中学からずっと、この日だけを待ってたんだ。のんちゃんにメールを打たせたのはウチだもの……そう仕向けたのがウチだから」
そ、そうなんですか?
「ずっとウチは、その言葉を待ち望んでいたんだよ。奥手か何かは知らないけれど、ずっと待ってるあの子が心配だった。だって、ウチの名前は〝結ぶ〟と書いて、ゆいだもの。ようやく、ウチの夢が叶った感じよ。ありがとうね、カブトムシ! 遠路はるばる、ここまで来た甲斐があったわ(笑)」
そう言って、にっこりゆいが微笑んだ。
「のんは、いい友だちを持って幸せです」
それは俺の本心だ。するとゆいは、のんとのエピソードを語り始めた。
「ウチね、小学校の頃さ。ずっと、あの子をいじめていたの。小学時代から、あの子はキレイで可愛くて、おまけに頭がよくて秀才で、男子からの人気も高かった。でもさ……ほら、ウチだって。それ相当な美人さんでしょ?」
そりゃ確かに……こんな田舎と比べりゃ、ゆいの容姿はレベチの美人だ。それよりも、それを自分の口で語る女性の存在に驚いた……都会って、スゲーのな……。
「だから、ウチは嫉妬に狂った。あの子が消えてなくなればいい……そう本気で思っていたの」
こいつは何を言い始めるのだろう? ゆいの口から出る言葉の数々が、ホラーのように聞こえ始めた。
「あの子の人気が気に入らなかった。だから……トコトンいじめたの。中学になると、ウチがいじめの対象になっていた。クラスのみんなにシカトされて、ずっと独りぼっちの毎日だった。だから、ウチは学校に行かなくなった。いいえ、行けなくなって、悪い奴らと付き合い始めた。何もかもがつまらなかった。死にたかった……その地獄から、あの子がウチを救ったの。ウチの親友はね、ウチの恩人でもあるの。これはね、あの子への罪滅ぼしなの。だから、あの子を泣かせないでね。アンタに言いたいのは、それだけよ。ヨシ!戻ろう。何まーるだっけ?」
「やしまーる」
「そうそう、やしまーるへ戻りましょう。ねぇ、カブトムシ。もうこれからは〝カブちゃん〟でいいわよね? みんなの所まで、ウチと手を繋いで歩いてくれない? 今のウチは、なんだかそんな気分なの」
俺は一瞬だけギョッとした。けれど、ゆいと手を繋ぎながら来た道を歩いて戻った。戦闘態勢を解いたゆいは、あんなことやこんなこと……のんとの記憶を懐かしんでいる。その声音と表情が、愛情たっぷり温かな、激甘スープのようであった。俺は声に出さないけれど、ゆいに心から感謝した……のんの親友でいてくれて、ありがとう。
やしまーるに到着すると、やしまーるの中庭で、ツクヨがオッツーの頭を撫でていた。五厘刈りの丸坊主。そのジャリジャリとした手触りを、ツクヨは楽しんでいるのだろう。俺がツクヨに手を振ると、ツクヨの顔から笑みが消えた。
「うぉぉぉうぉぉ……ぉぉぉぉ!!!! う、う、浮気だぁぁぁぁ!」
ツクヨが放つ甲高い声が、やしまーるに響き渡ると、その場にいた観光客の冷たい視線が、俺の胸を貫いた。俺は何も悪くないのに……。俺は何も悪くないのだが、手を繋ぐ俺とゆいを目撃した、のんの白い指先から缶コーヒーがこぼれ落ちた。落ちた缶コーヒーの隣にナーズゾンビが倒れ込む。きっと、のんが落とした缶コーヒーは、俺のために買ったのだろう。呆然と……のんは落ちた缶コーヒーと、その横に転がるナースゾンビを見つめている。肩を落として、しゅんとして……のんはそのまま動かない。
アケミは缶コーヒーを拾い上げ、のんの背中に手を当てて、何かを諭すように話している。てか、赤の他人のおばさんまでもが、のんの周りに集まっている。今現在、この瞬間。やしまーるは、俺にとって完全アウェイな空間となっていた。誰しもが、冷たい目で俺を見る。俺は思った……人を指さしちゃいけないんだぞ!……と。
「ゆいちゃん、話はできたようね。ご苦労さま」
アケミがゆいに駆け寄って、労いの言葉をかけると、ギュッとゆいの体を抱きしめた。
「告白宣言、いただきました」
アケミの耳元に、ゆいは小声でそう告げた。その時、俺とゆいの手を引き剥がそうと、躍起になっていたのがツクヨであった。その横で、忍の視線が厳しさを増している。もはや、うんこでも見るような、ゴキブリでも見るような。そして、裏切り者でも見るような……忍の目が俺を見下していた。俺との距離を一定に保つ忍は、俺にそれ以上近づくこともなく、倒れたゾンビは、俺の足首をつかんで離さない……なぁ、ゾンビのゆきさんよ。噛みつくなよ、絶対に! そんな地獄絵図の中、ゆいがみんなに号令をかけた。
「じゃ、のんちゃん以外。全員集合! カブちゃんは、のんちゃんとここで待ってる!」
「御意!」
この場を鎮めてくれるのは、世界広しと言えども、ゆい以外にはあり得ない。のんと俺との二十メートルほど先で、ゆい様御一行様が円陣を組んでいる。その中に、ナースゾンビの姿もあった。ゆきの姿があるだけで、シリアスシーンがコメディなのな……。円陣の動向を眺める俺に、のんが缶コーヒーを差し出した。
「あの……これ、よかったら……どうぞ。落としちゃって、ごめんなさい」
「そんなの全然……ありがとね」
のんに手渡された、冷えた缶コーヒーを飲みながら、しばらくすると、円陣の中がざわつき始めた。てか、その中に……幾人かの野次馬おばさんが紛れ込んでいるのだが……。
彼らの意思の疎通が終了すると、なぜだか知らないおばさんが、代わる代わる俺に向かって言葉をかける。「あんちゃん、頑張るのよ」とか「若いって、いいわよねぇ~」とか「ふふふふ……お幸せに」とか、とか、とか……。俺とのんが、謎の祝福に戸惑っていると、アケミが悪い笑顔で俺に言う。
「じゃ───先ずはサヨちゃん。おめでとうを言わせてもらうわね。頑張りなさい。つーことで、ここから先は、ぜーんぶ、一切合切、費用はアンタのおごりよね? 久しぶりに私はね、お魚の顔が見たいのよ。のんちゃんだって、屋島の水族館は初めてでしょ?」
アケミはのんに話を振った。
「あの……お邪魔じゃなけば、わたしも水族館へ行きたいです。あ、お金は自分で払いますから……」
のんは遠慮気味に言うのだが、長いまつ毛に縁取られた、大きな瞳は嘘がつけない。期待に輝く瞳に俺は言う。
「じゃ、水族館へ行きますか!」
アケミの鶴の一声から、次の目的地は新屋島水族館に決定した。じいちゃんの話では、昔々……“日本一高い場所にある水族館”……そう記された大きな看板があったらしいのだけれど、今も果たしてそうなのだろうか? そんなことを考えながら歩いていると、先に到着したツクヨが水族館の入口で、俺に大きく手招きをしながら待っている。知ってっぞ! その行動、悪巧みなのに決まってる。
「サヨちゃん。わたしはね───ペンギンさんのハンドパペットが欲しいのじゃ!」
「そう……ですか? でも、お高いんでしょ?」
観光地のお土産に、安物など存在しないのだが、ツクヨからのおねだりに、忍までもが微笑んだ。俺にとって、忍の氷以外の微笑は貴重であった。水族館に入るや否や、小学女子ふたりの手には、ペンギンの指人形が召喚され、ご機嫌さんでオッツーと姿をくらまし、俺の臨時収入は泡と消えた……ま、いっか(笑)
「じゃ、ここからは自由行動ということで。ゆいちゃん、アシカショーを見に行こう。今から急げば間に合うわよ」
アケミがゆいをアシカショーに誘うと
「そうね。じゃ、ウチの親友をよろしくね。それと、カブちゃん。あの件、別に今日でもいいのよ。誰も邪魔しないから」
そう言い残して、アケミとゆいも姿を消した。その場に残された俺とのんは、のんびりと水槽の魚を眺めて過ごした。その時、ゆきは水族館の入り口で立ち往生していた。後で本人に聞いた話によると、子どもが怖がるという理由から、入場を拒否されたのだそうだ。それ以降、ゆきがゾンビコスプレを封印したのは語るまでもない……お気の毒。
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