後ろの席の飛川さん〝014 誕生会の送迎は、事前に連絡を取りましょう〟

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 五月七日は、ボクの誕生日である。その前日、ゴールデンウィークの最終日。

 お昼のうどんを済ませたボクが、部屋で三島文学を満喫しているのは、偶然ではなく必然だった。飛川ひかわさんの邪魔はない。それを見計らったかのように、ボクのマンションのチャイムが鳴った。

「ガクちゃん。広瀬さんって子が、玄関にいるんだけど。それが、とても美人なの……」

 予期せぬ美少女の訪問に、ママが驚いたのは語るまでもないのだが……。

 何事も、度を越せば恐怖である。ママの複雑な表情が、そのすべてを物語っている。広瀬さんが美少女すぎるのだ。だからママに罪はない。

「ボクが話すから大丈夫だよ、ママ」

 玄関へ飛び出すと、広瀬さんが立っている。なんの用事か知らないけれど、今日も広瀬さんはキレイだな……と、ボクは思った。

「誕生会」

 広瀬さんの言葉には、いつものように主語はない。

「え。それ、どんなリトマス?」

「お迎え」

 無表情で言う広瀬さん。

「は?」

 誰の? ボ……ボクのぉ? そんな話なんて聞いてない。

「初耳だけど?」

「サプライズ」

 ボクの困惑を、すかさずママが察知した。

「あらあら。ガクちゃんに、お誕生会をしてくれるの?」

 ママはとてもにこやかだ。そんなママを大人だなと、ボクは思う。

「そ」

 電話じゃ、あんなに流暢に話したのに、広瀬さんはいつもと同じ口調である。

「うちの子と、ふたりだけで?」

 ママの顔が若干曇るが、それはない。

「七、八人」

「どこで?」

 ママの質問が止まらない。その口調は、まるで小さな子どもに問うようだ。

「喫茶グリム」

「喫茶って、喫茶店?」

「そ」

 喫茶の響きに、ママの表情が険しくなった。

「中学生だけで喫茶店?」

 すると、黒いスーツ姿の紳士が、会話の中に割り込んだ……おじさんは、広瀬さんのお父さん?

「大変申し訳ありません。わたくし、近藤と申します」

 違った……。

「失礼ですけれど、どちらさま?」

「失礼いたしました。わたくし、こういう者でございます」

 ママに名刺を差し出す近藤さん。

「あら、それはそれは……に、二階堂?」

 ママが名刺を二度見した。とても大きな会社のようだ。

「二階堂家の一人娘。ゆきお嬢さまのご要望で、わたくし近藤が、責任を持っておふたりを送迎いたします。お母さまもご安心ください」

 ママに向かって、深々と頭を下げる近藤さん。

「ガクちゃん……ドラマみたいね。でも、子どもだけじゃないようだから……」

 そう。お嬢様とか紳士だとか……こんなのドラマのワンシーンだ。ただ、近藤さんの素性を理解すると、ママは誕生会への参加に合意した。

「あら、高級車。これ、高級車よね? ガクちゃん。やっぱり、大手さんの車は違うわねぇ~」

「そうだね。これが、ベンツだよ。ゆきさんちはお金持ちらしいから……何台も高級車があると思う」

「そりゃそうよ、老舗の大手さんだもの。パパにも名刺を見せないと───びっくりするわよ、きっと」

 名刺に書かれた会社名は、ボクの知らない名前だけれど、ママの顔色から察すれば、誰もが知る会社であるのに違いない。

「ガクちゃん、しっかり楽しんできてねぇ。広瀬さん、よろしくね」

「はい」

 ボクがベンツに乗り込む時の、ママの顔。ほころんだあの顔を、ボクは一生忘れないだろう。財力って怖いな……と、ボクは思った。

「広瀬さん。喫茶グリムって、どこにあるの?」

「二十分」

 まったく答えになっていない。それからは、永遠とも思える沈黙が続く……。車内は、終始無言だ。

 静寂の中で、ボクは津島君との会話を思い出す。

黄瀬きせ君、僕には無理だよ。広瀬さんは美人だけれど、あの沈黙には耐えられない。なんだか責められているようで。僕は……生まれて、すみません……そんな気持ちにさせられた。黄瀬君、広瀬さんはヤバいよ……気を付けて」

 広瀬さんとのデートに失敗した、津島君からの助言である。その嘆きにも似た言葉の意味が、今のボクにはよく分かる。この沈黙は……拷問だ。

「ここ」

 ようやく、広瀬さんが口を開いた。それだけで救われた気持ちにボクはなる。

 小さな喫茶店の扉を開くと、カランカランとベルが鳴った。すると、聞き慣れた甲高い声が、ボクに向かって飛んできた。

「きいちゃん。こっち、こっち。私の隣が、きいちゃんの席だお~!」

 飛川ひかわさんが、ボクに向かって手を振っている。飛川さんの前には、ゾ……双璧のゆきさんが、ステキな笑顔を振りまいている。

 なぜだか、テーブルの上に二枚のタブレットが置いてあるのだが。もしや……タブレットで注文するシステムだろうか? こんな小さなお店でぇ?

 飛川さんに呼ばれるがまま、ボクは彼女の隣に着席する。店内を見渡せば、カウンターの中で飛川先生が働いている。

「飛川さん。カウンターの中で、先生は何をしてるのでしょう?」

「あ、サヨちゃんね。今日は、喫茶グリムでバイトしているの」

 作家先生がバイトですと? あり得ない……ボクの脳内で、悲しい憶測が渦巻いた。

「飛川さんに、こんなことをお尋ねするのは、ボクとしても大変心苦しいのですが……先生のご家族に、大病を患っている方がいらっしゃるのでしょうか……?」

 すると、ゆきさんが大声で笑い始めた。

「違うわよぉ~、ドラマじゃないもの。でも、そんな考え方もあるのねぇ~」

 ゆきさんは、セーラー服の上に薄いピンク色のパーカーを羽織っている。大学生なのに、妙にセーラー服がよく似合う。

 にしても……先生は黒、先生の隣の女性は白。飛川さんはピンク、広瀬さんもちゃっかり赤いパーカーを羽織っている。背中には、謎の秘密結社〝放課後クラブ〟のプリントがあるのだろう。

「みなさん、揃いましたね」

 コロコロとした丸い声。な……なんだ? この美人さんは! ボクたちの席にケーキを運ぶ、白いパーカーを羽織った女性の顔立ちが、軽々と広瀬さんの美貌を超えている。

 ボクは思う───この人を野放しにしてはいけないと。時代が時代なら、一国が傾くぞ……とも。

「黄瀬さん、初めまして。わたし、早川花音はやかわかのんと申します」

「は、初めまして……黄瀬学公きせがくと申します」

 まだあげそめし前髪の───島崎藤村の詩が浮かぶ。得体の知れない感覚に、ボクはしばしたゆとうた……。

「黄瀬さんは、ツクヨちゃんのボーイフレンドさんですね。ふふふ……」

 違う! 断じて違う! 飛川さんは、友だちだ。

 彼女の笑顔が眩しくて、その輝きに目がくらむ。キュっと心臓が音を立て、ボクは初めて恋をした。この人は天使だ。ボクと結婚してください! 心で念じるボクである。

「のんちゃんは、サヨちゃんの彼女だお」

 うぉぉぉうぉぉ……ぉぉぉぉ!!!!

 それ今、言う? なんで、言った?

 ボクの初恋が一瞬で、飛川さんに打ち砕かれた。屈託のない、飛川さんの笑顔が悪魔のようだ。

「どうしたぁ? きいちゃん。元気ないね。お腹でも痛い?」

 お前が言うな!

「特製、バースデーケーキで~す。朝から、三縁さよりさんと作りました」

 ボクたちが囲むテーブルの真ん中へ、丁寧にホールケーキを置く早川さん。うるわしの指先が、ロウソク一本一本に火を灯す……。

 すると、ふたつのタブレットの中から声がした。ゆきさんが、タブレットを立てると、そこには桜木さんと……あなたさまは、どちらさま?

「黄瀬君、お・は・つー。私、近藤アケミ。よろしくねん♡ 今日、君を迎えに来た運転手さんは、私の叔父さんだよ。イケメンだったでしょ?」

「は、はい。とても、紳士な方でした……えっと、初めまして。黄瀬学公です」

 口ぶりから察すれば、とても軽そうな性格だ……。

「アケミちゃんは女子大生で、BLの同人界隈では、とても有名な作家さんなんだよ。私が表紙絵を描いているの」

 軽々しくBLを口にする飛川さん。知人を紹介する声が、とても楽しそうで何よりだ。

 BLとは……〝仮面の告白〟チックな何かなのだろう、たぶん。

 画面のふたりをよく見れば、桜木さんは青色で、近藤さんはオレンジ色のパーカーを着ている。そういえば……

「ボク、ゆきさんの苗字を知らないのですが? 運転手さんの名刺には、二階堂グループって書いてありましたけど」

 念のための確認である。

「あ、ごめんね。わたしのフルネームは、二階堂ゆきちゃんです」

 〝二階堂〟のその響き。何度聞いても強そうだ。

「それでは三縁さん、お願いします」

 早川さんが先生に目配めくばせすると、誕生日のメロディーが流れ始めた。

「「「ハピバースデー、ツーユー……」」」

 こんなのやるんだぁ~、実際。

 みんなが歌い始めると、一般のお客さんまでもが歌い始めた。なかんずく、キツネ目の女性の歌声が、まるでオペラ歌手のような声量だ。歌い上げるって感じである。隣のたぬき顔で眼鏡の女性は、まがうことなき音痴だった。

「時は来たれり」

 それは、漁港で飛川さんが発した言葉。そっか、そっか。早川さんの受け売りなのか。

「さぁ。おふたりで、ロウソクの火を消してください」

 早川さん、やっぱり好きです。

「待って、願い事、願い事」

 胸の前で手を合わせ、祈りを捧げる飛川さん。

 大人になったら、いつでも思い出せるよう、この光景を瞳の奥に焼きつける。もう、二度とないであろう。家族以外の誰かと祝う、ボクの誕生パーティの光景を。

「じゃ、きいちゃん。火を消そう」

 ロウソクに向かって、ふたりで息を吹きかける。ロウソクの炎が消えると、店内が歓声と拍手に包まれた。ボクにとって、非現実だった光景が、現実になった瞬間である───もしかして……VR? 現実を受け入れられないボクである。疑心暗鬼で頬をつねると、痛いだけだ。

「ねぇ、ツクヨちゃん。何をお願いしたの」

 ゆきさんは、飛川さんの願い事に興味津々のようである。

「もうすぐ、叶うよ」

 自信たっぷりな顔つきで、予言者のように答える飛川さん。すると、カランカランと扉のベルが鳴り響く。

「遅れてすまねぇ~、ツクヨっち!」

 カーキー色のパーカー巨人が、店内へ飛び込んだ。巨人に向かって、ふにゃりとした笑顔を見せる飛川さん。もしや、この巨人がっ!

「わたしの、オッツーぅ」

 やっぱり。

 戦地から生還した恋人を、出迎える乙女のように、巨人を目がけて小さな体が宙を舞う。すると店内が、さらなる拍手に包まれた。

 なんだこれ?

 こんなのラノベの世界じゃないか。その光景を、現実だと受け止め切れないボクがいた。

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