飼い猫信長と野良猫家康(悪魔の子)

ショート・ショート
猫の話
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 悪魔……

 信長のぶながの寝息を背に感じながら、閻魔えんまは己の過去を振り返っていた。それは、楽しくも悲しい過去であった。閻魔がチャッピーと呼ばれていた過去の記憶が蘇る……。

「今日から貴様は、俺の仲間だ!」

 あの日から、わたしは光秀みつひでのグループに入った。そして、わたしは光秀を兄様あにさまと呼んで、心から慕っていた。わたしには、新しい世界が広がって見えた。仲間と寝食を共にする。共にじゃれ合い、共に笑う……みんな気さくで優しかった。だが、それも長くは続かなかった。わたしは日を追うごとに大きくなった。我が子のように遊んでくれた、あねさんたちの優しい目が、わたしが大きくなるにつれて冷ややかになった。

「あの子、どれだけ食べるのかねぇ。あんなに食べられたら、うちの子の分がなくなっちまうよ。光秀の親方も、とんでもない拾い物をしたもんだ」

 一番若い姉さんが、兄様に愚痴を漏らす。

「そのうち、成長も止まるさ。好きなだけチャッピーに食わせてやれ」

 兄様は、わたしの味方をしてくれた。大飯ぐらいのわたしを見捨てることなどしなかった。たとえ、わたしが悪魔の子と呼ばれても、兄様だけが守ってくれた。そしてわたしは……兄様に恋をした。それが叶わぬ恋だと知りつつも、わたしには、それを押さえることができなかった。

「大きくなったな」

 わたしは、兄様よりも大きくなった。兄様は優しい笑顔で、わたしの頭を優しく撫でた。それが辛くて悲しくて……その日から、わたしは食事を絶った。これ以上、大きくならない。わたしは神にそう誓い、悪魔がわたしに微笑みかけた。

「どうした、チャッピー? ボラ食うか?」

「兄様、ありがとう。でも……」

 ことあるごとに兄様は、わたしに何かしらの食事を与えた。わたしは、そのすべてを拒んだ。何も食べていないのに、わたしの体は大きくなる。兄様の二倍、三倍……それにわたしは恐怖を覚えた。それと同時に、わたしは恐ろしいことを考えていた。仲間が、とてもうまそうな餌に見える。

 食いたい、食いたい、食いたい……食らう!

 わたしは必死に気持ちを抑え、己の体の呪いを恨んだ。食欲が、わたしの中でヘビのように、のたうち回る。どいつもこいつも、ごちそうに見える。そして、わたしの恋しい兄様までも───。恐ろしくなって、わたしは山に飛び込んだ。そして明け方、仲間のねぐらにこっそり帰る。

 巨大な力を手に入れて、わたしは兄様最強の部下になった。兄様の為ならわたしは死ねる。それほどまでに、わたしは兄様を慕っている。いつ死んでも構わない。それがわたしの幸せだ。

 ただの野良猫グループが、わたしの戦果で強大になってゆく。わたしは猫たちに〝白い悪魔〟と呼ばれ恐れられたが、それでもわたしは幸せだった。兄様を背に乗せて闊歩する。それだけで、わたしの心は満たされた。なんて幸せなのだろう……このまま時が止まればいいのに。

 わたしは、数日おきに山に入る。その理由を誰も知らない。ある日、わたしが山に入るとき、二匹の仲間がわたしをつけた。わたしは、それに気づかなかった。それがわたしの失敗だった。

 慎重に体を洗ったはずなのに、丹念に血の臭いも消したはずなのに……いつものように、こっそりと。ねぐらに帰ると、わたしを見るなり、仲間たちが逃げまどった。

「こいつは、本物の悪魔の子だった!」

 化け物を見るかのように、その場にいた猫たちは、わたしの姿に震えていた。わたしをつけた二匹の猫が、わたしを指さし、こう言った。

「こ、こいつは───イノシシの胃袋の中に頭を突っ込んで、むさぼり食っていたんだ。俺は、あんな恐ろしい光景を見たことがない。猫にそんなこと、できっこない! あの時のこいつは、悪魔そのものだった。笑いながら、イノシシのはらわたを食っていやがったんだ!」

「こいつは、正真正銘の悪魔だ。こいつがいるだけで、もう、うかうか眠れない。いつか、俺たちに牙をむくのに決まってる。出ていけ、悪魔!」

 わたしは何も言えなかった。何ひとつ否定できなかった。それは、事実だったから。恋しい兄様でさえ、わたしの胃袋は獲物だと認識している。いつ、わたしの暴走が始まるのか? これまで、それに怯えて暮らしてきたのだ。わたしの正体がバレてしまった。もう……ここにはいられない。

 わたしが、みんなに頭を下げて、山に向かって歩こうとすると、兄様は、わたしの行く手をさえぎった。初めて兄様と会った日と、同じ笑顔でわたしに告げた。

「だ・か・らぁ~! 今日から貴様は、俺の仲間だ! つっただろうが。チャッピー、ここがお前の家なんだよ。何度も、俺に言わせんじゃない」

 それは、いつもと変わらぬ笑顔だった。わたしの目から涙が溢れた。兄様だけが、わたしの味方だった……。あの夜も、今宵と同じ満月だった。

「兄様……」

 わたしは、月に向かって問いかける。何度問うても、愛しい兄様はもういない。わたしは涙を堪えながら、虫の音に耳を傾ける。わたしの背中の信長の温もり。それを今は、感じていたい……。

「ふあぁぁぁぁぁぁ~。よく寝たぁ~! 閻魔様、俺、帰る」

 信長が大きな欠伸あくびをしながら、閻魔の背中からひらりと降りた。

「おや、もうお目覚めですか?」

 閻魔の瞳は切なげであった。

「うん。朝までに帰らないと、ご主人様にぶん殴られるから。俺、帰る!」

 あっけらかんと、信長は答えた。即座にケイテイが一歩前に出ようとすると、家康とオリクが首を振った。ピーンと尻尾を立てて、信長が歩き始めた。その後ろ姿を閻魔は眺めた。愛おしさを堪える閻魔の瞳に、家康が信長に向かって声をかけた。

「なんか言うことあるだろう? なぁ、光秀!」

「信長じゃ! 閻魔様、また遊びに来ても……いっかな?」

「いつまでも……待っていますよ、信長さん」

 閻魔の声は、白く輝く月光のように澄んでいた。

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