それにしても、このニャンコ。恐れを知らぬバカなのか? それとも、天然のアホなのか? 好奇心に満ちた目で閻魔に顔を近づけて。信長は物珍しそうに、閻魔の細部に至るまで観察している。その無礼千万とも思える行動に、固唾を呑んで見守る猫たちは、同じ未来を思い描く……もうすぐ血の雨が降るのだろう───と。
淡い月光を反射させた閻魔の瞳は愛しい恋人を愛でるかのようで、閻魔の表情は夜空を流れる雲のように穏やかであった。虎柄の白く太い指先を、閻魔が信長に向かってゆっくり伸ばすと、桜色の肉球が信長の頭を優しく撫でた。触れただけで壊れてしまう、そんな……ガラス細工に触れるが如く、慎重に丁寧に、閻魔が信長の頭を撫でている。
キョトンとした表情で、閻魔に頭を撫でられる信長の姿が、家康には光秀の最後と重なって見えた。届かぬ想いと叶わぬ恋。光秀が息絶えたあの夜も、空には今宵と同じ満月が浮かんでいた。そっとふたりに背を向けて、家康はあの日と変わらぬ天の鏡を見つめている。信長と出会った時、こうなる運命を家康は感じていた。それほどまでに信長の姿は、光秀の生き写しそのものだった。
「まるで、恋する乙女やな。でも……それでいい」
家康は天の月に光秀の面影を重ねながら、ひとりポツリと呟いた。
「さぁ、みんな。今日はお開きだよ! いつまでも野暮ったいことしてるんじゃないよ。ケイテイちゃん。みんなに号令をかけて」
状況を飲み込んだオリクが機転を利かせた。ケイテイが慌てて、会議終了の挨拶をする。
「今夜の議題は次回に持ち越します。みなさん、この状況ですから、速やかにお引き取りください」
閻魔と光秀との物語を知るのは、この場において家康とオリク。そして、少数の老猫だけである。察した老猫がその場を離れ、その後にボス猫と手下たちが、その場を去った。月を眺める家康にケイテイが問う。
「パパ……閻魔様と光秀さんとの間に、いったい何があったの? そんなに、あの子……光秀さんに似ているの?」
「あぁ……光秀そのものだ。信長を最初に見た時、ワシだって動揺したさ。光秀が生まれ変わったのかと思ったくらいだ。アイツからバカ要素を取り除けばな……」
家康とケイテイとの会話に、オリクが言葉を重ねた。
「そうだわね。光秀さんを幼くした感じかしら……だから試してみたのよ。この子が光秀さんの生まれ変わりかどうか。わたしも一芝居打たせてもらったわ。ほんと……悲しいくらいの生き写しよね。あの子からバカ要素さえ取り除けばねぇ……」
「そうなんだよ、オリクさん。アイツからバカさえ抜けば……」
「そこはねぇ。わたしたちで、どうにでもなるわよ。そうでしょ? 家康さん。ところで……あの子、おいくつ?」
「……ひとつ」
二匹は無言で微笑みを交わした。かつて〝覇権〟と呼ばれたオス猫と、今現在〝絶望〟と呼ばれるメス猫が、閻魔の為に手を組んだ瞬間だった。二匹は並んで月を眺めて時を待つ。その横で、凍てつく顔のケイテイである。ガタガタと震えながらケイテイは、家康の背中をポンポンと叩く。
「パパパパパ……パパ……。あの子、とんでもないこと───閻魔さまにしてるわよ」
家康とオリクが閻魔に向かって目をやると、閻魔の白くて広い背中の上で、信長はスヤスヤと眠っていた……。
「オリクさん。コイツからバカ要素は抜けるかね?───」
「大変ね……でも、やらないと……」
呆れた顔で、覇権と絶望とが苦笑した。
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