絵も文字も、上手くなる方法はひとつである。とにかく書け、だまって描け。モダンホラーの帝王スティーヴン・キングでさえもが自著『書くことについて』で「書け」と語っているのだ。
キングに逆らえる物書きって…いる?
要領だとかテクニックだとか、それは当然あるのだろう。そのための学校もあるし、そのためのコースもある。器用な人だって、そこら辺に転がっている。そこで培った技術を駆使しても、器用に物事を運んでも、結局、書き切らなければゼロである。
良作でも駄作でも書き切ることに意味があって、今日もサヨリは元気です(笑)
僕は字書きだけれど、急成長を遂げた絵描きを知っている。コロナ禍で突如始まった絵の投稿。それは、X(旧ツイッター)での出来事。僕は最初からそれを見ていた。お世辞にもなな鉛筆画である。
色鉛筆で写真のような絵を描く技法がある。
その人の被写体は猫であった。描いたまでのを写真に撮って、それを毎日のように投稿していた。タイムラインに流れる画像に、へぇ…描き始めたんだぁ…というのが第一印象である。
その実、その界隈の指南書も持っている。色鉛筆を買ったのに、速攻で挫折した経験もあって、興味本位で行く末を眺めていた。
一作目。
猫は猫だけれど何かが違う。口には出さないけれど写真の領域には届かない。でも、普通の人より上手に見えた。初めてなのだから上出来だった。上手い。
上手になってる……でも……
もうちょいなのに届かない。そんな画像が何枚も流れる。変化が訪れたのは、初めての投稿から半年くらい後である。惜しい! でも、凄い! お世辞の書けない僕だけれど、その写真にコメント入れた。
───凄い、めちゃ猫です!
ハイハイしていた赤子が壁立ちした。その感じがしたからだ。この人はもう諦めない。そんな確信がどこかにあった。
アンドロイドが人間の容姿に近づくにつれ、人の脳は妙な違和感を感じるようになる。それを“不気味の谷現象”と呼ぶのだけれど、もう少しで不気味の谷を突破する予兆は十分あった。
絵の猫から写真の猫へ。
猫の瞳の輝きと、緻密に描かれた体毛と、作者のセンスと努力の結晶。それが花咲かせる日はすぐそこに。画像が流れるたびに、猫は猫の姿になってゆく。
マジっすか?
徐々に上達していたはずなのに、絵と写真との狭間を飛び越して、猫の絵は写真になった。こんなの才能のてんこもりじゃん(汗)
X(旧Twitter)から眺めていると、今では猫の飼い主さんからのリクエスト依頼を受けているようだ。継続とは素晴らしきかな。
僕もギアを上げないとデス(汗)
コメント
とにかく書く。
本当にそうなんだよね〜(〃ω〃)
ガリガリ…ガリガリガリガリ_φ(・_・;;
がんばろな〜(笑)