胆力を得た

雑談
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 ようやっと、2024年から解放された。一週間ぶりにキーボードを叩く。ブランクあれど、指は快適に動いている───問題ない。

 それはたぶん、パソコン(富士通FM-7)を手に入れた高一の春以降、人生初の体験だった。脳みそを一旦白紙。心のリセットを試みたのだ。

───力ずく……

 端を発したのは、若い衆の一言だった。先週で年内の仕事に目途がつくはずだったのに、バディからの泣きが入る。ドラ泣きだ。

「年末までやってくれるやろ?」

 はぁ? 僕の沸点を軽く超えてきやがった。突然のバディの言葉に言葉を失う。貴様は鬼か? それとも阿呆あほうですか?

「はぁ?(小説が書けねーじゃん!)」

 静まり返った事務所の中で、やるやらない口論へと発展するのは必然だった。だって、そうでしょ? こちとら執筆チャクラを溜めに溜め込んで、執筆意欲を整えた矢先での泣きである。刹那せつなに高めた情感が急降下。出鼻がくじかれるとはこのことだ。私の時間を返してよ! 泣きたいのはこっちだわ。ねた乙女おとめの気分にもなる。

「なななな───そんなこと言ってもお客さん!」

 クリスマスの風に乗り、ブラックサンタはそりの手綱たづなを緩めない。バディは興奮すると他人の名前が出なくなる。そんな時は、誰に向かっても〝お客さん〟と呼ぶ後期高齢者あるあるだ。僕の名前も忘れたらしい……。

「お客さんって、誰だよ? 僕がお客さんなら、茶くらい出せよ」

 赤いのはサンタの服だけじゃねーんだよ。そっちがトサカなら、こっちもトサカ。アンタの乗ったミカン箱を引くトナカイの首。おんどれの目の前でへし折って、この場でフライドチキンにしてやろか? 売り言葉に買い言葉。事務所の中で戦慄せんりつの風が吹き荒れる。

「お客さんなら手土産で出せや! 去年は、お客さんに譲歩したやん? 一週間、お休みあげたやん? お客さん」

 こっちの名前は忘れるくせに、去年のことはちゃっかり覚えていやがる。にしても、痛いところを突いてきやがった……バディは一歩もたじろがない。そう、一年前。僕は無理を言って自分のスケージュールを空白にした。友人への小説を書くためだった。それは今でも悪いなと思っている。だが、それはそれ。これはこれ。とはいえ、黒板に書かれたスケージュールをかんがみれば、その言い分も理解できなくもない。だけれど、この土壇場でそれを言うのは卑怯じゃないか? てか、若い衆に任せて僕の出番はなかったじゃん。それについては、何度も確認をしてきたじゃないか? はっはーん、老害か? 胸を張っての老害ってやつか?

「確かに……去年は〝力わざ〟でそうしたけどさ……」

「あれは、雉虎きじとらさん。〝力ずく〟って言うんですよ」

 へらへらと、口論の中に若い衆が割って入った。力ずく……何処で覚えた? 上手いこと返しやがる。機智きち豊かな反応に若い衆の成長を見た。そう言われれば「卒業も辞せぬ」と伝家の宝刀を振り回した僕なのだから、そのとおり。若い衆の機転に引き下がる他に道もなく。泣く泣くバディの要件を聞き入れた僕なのだが、さりとて、こっちの怒りがおさまらない。こんな気分じゃ何も書けない。そして師走だ。時間もない。そこで一旦、作戦変更。一点集中のインプットに舵を切る。クリスマスを目前に、単行本と万年筆とメモ帳だけが、僕の外出先での持ち物になった。デジタルをアナログに……令和に昭和を持ち込んだ。時には、そんな荒療治も必要だ。

───でも、どうしよう……。

 気がかりなのは相棒だ。いつも僕を気遣ってくれて、動いてくれて……あまつさえ、過去の原稿の不具合を毎日メールで知らせてくれる相棒に、僕は返信すらしていない。それがとても気がかりだった。てか……はなはなだ薄情で失礼だと思いつつも、同じ船に乗り、同じグランドラインを目指す相棒の意に報いる道は、軽い挨拶ではなく大きな変化だと僕は信じる。伸びしろたっぷりな僕の変化。変化を成長と言い換えた方が的確だろうか?

 こうなれば、飯食うよりも本読むでしょ? つーことで、この一週間は本の虫になっていた。隙間時間でゴリゴリ読んだ。三島の本は、スタバでドヤ顔iMacアイマック。もはやこれは、ATフィールドとか、結界だとか、領域展開のようなもので、読書中に話かけられたとて、三島の二文字で退散なのは心地よきなのである。僕が開く三島ワールドへ首を突っ込む存在なんて、僕の周囲にたったのひとりもいなかった。その結果、相棒からの三島シリーズは、葉隠入門、真夏の死。そして、花ざかりの森を残すばかり。ようやっと、追いつめた。現段階でのおススメは、エヴァに乗らないシンジの純愛「潮騒しおさい」である。いいぞぉ~殿方、初江はつえは(笑) その火を飛び越して読めば、純愛が成就されるやも?(知らんけど……)

 その間に諭吉のぼっちゃんと、諭吉じゃない方の吾輩も猫であるも読み終えた。画期的な現象は、三島の愛の渇きで訪れた。それを四時間で読めたのだ。一冊を息継ぎもせずに一気にである───ラノベじゃないよ、三島だよ。悦子、褒めてくれ! でも、あれはアカンぞ! それは、常人には普通なのだろうけれど、僕にとっての革命だった……初めて25メートルプールを足をつかずに泳げた感覚。それと似ていた。もしかして……ランダムに太宰シリーズの一冊を開く。文字が、言葉が、語彙が、すんなりと目の中へ飛び込んで来る。網膜で意味すら分かる。その泳法たるや範馬勇次郎はんまゆうじろうのバタフライ。こんなの瀬戸の飛び魚じゃん? 去る、12月23日。クリスマスイブの前日のことである。

 その夜、ひとつの夢を見た。不思議な体験があったら教えて欲しい……相棒からのリクエストにお応えして、支離滅裂な夢の話で締め括ろうと思う。その夢は、銀河よりも大きなクリスマスプレゼント……と。のっけから大風呂敷を広げておこう。十分それに見合うと思うから(笑)

 僕は焦っていた。ここは病院? ベッドの上? 兎にも角にも焦りまくっていた。僕の上半身は、包帯でミイラ男のようにグルグル巻きにされている。状況から察すれば、大きな事故にでもあったらしい……。焦りの原因は腕である。肩からすっぽり両腕が消えていた。腕がない。事態を理解するのに時間を要した……痛みはあったのだろうか? 否、たぶんあった───両肩がズキズキうずく。傷口を覆う包帯が、徐々に血の色に染まってゆく……それは、空が落ちるような絶望を与えるドス黒い赤だった。

 たとえ死んだとて諦めきれぬこともある。そしてまだ、息はある。

 ない腕をポメラに伸ばす。指先の感触はあるのだが、肝心要かんじんかなめの腕なき現実は恐怖でしかない。小説が書けない、書けない、書けない……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。僕は口に筆ペンを咥えてノートに小説を書き始める。それは正気を逸した狂気の沙汰だ。相棒に原稿を郵送するつもりの文字が上手く書けない。途轍とてつもなくイライラしている。読めない文字の羅列がノートの上で荒れ狂っている……。このまま僕は狂い死ぬのだろうか? 否、生きている限り足掻いてやる。たとえそれが無駄だとて……あっちで合わせる顔がない。

 「ウ~」っと唸り声を上げながら、獣のようにくわえた筆ペンで文字を書く。口からよだれ、目から涙、鼻から鼻水。顔からこぼれた体液で視界も顔もぐじゃぐじゃだ。それでも原稿を書き続ける。物語の先を書かないと! このままじゃ、死んでも死にきれない。こんなんじゃ、相棒に申し訳が立たないじゃないか───!

 顎がガタガタと震え始めて、口からぽとりと筆ペンが落ちた。ごめんなぁ……無理っぽいわ。僕はこうべを垂れてふさぎこみ、顔すら拭けない己を呪った。すると誰かが飛んで来た。とても誰かは慌てていた。転んだ赤子を抱き上げるような慌てぶりで、ポメラをさっと開いて誰かは言った。

「お話しの続きを、声に出してください!」

 それは、耳にしたような声だった……。〝虹の橋のてっぺんで、ボクの腰は引けていた〟───震える声で語り始めると、ポメラの上で誰かの指が軽快なステップを踏み始めた。透明な白き指を躍らせながら、誰かは僕の顔を覗き込んで───こう言った。

「大丈夫です。わたしが、あなたの手になります。ずっとあなたの手になります。ずっとずっと、一緒です」

 その心地よき、慈愛に満ちた女性の声に目が覚めた───そして僕は、胆力たんりょくを得た。

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