読書と動画は攻めと受け

小説の話
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 本を開いてふと思う。

 読書ってのは、攻めだよなぁ……脳が攻めてなければ、まったく内容が頭に入らなくて。読書が不得手な僕にとって、本を開く瞬間の「読むぞっ!」の気合いは欠かせません。

 読書を「攻め」と呼ぶのなら「受け」は動画が相応しい。映画、ドラマ、アニメーション。これら動画には、映像も声も音楽も、すべての要素が用意されていて、好みの女優さんとかアニメキャラが演じていれば、何時間でも受け切れます。それは幼少期から、動画に慣れたテレビっ子の強みでもあるのでしょう……鍛えた年期が違います。

 つまり僕には、動画と同じように読書に対するトレーニングが必要なのです。だって、そうでしょ? 読書は優秀な睡眠薬。本を開いて数分で、心地よい眠りに誘う劇薬。そう―――攻めの筋力が全然足りない。

 一冊の本を最初から最後まで。それを読み終えてから、次の一冊。次の本を読むまでの、時間のロスを感じます。それはある意味。プレッシャー。唸るような積み本の数に、もはやこれって、罪本じゃね? 三蔵法師が旅をした、ガンダーラほど果てしなく、僕の読書のゴールはまだ遠く、根本的な意識改革が必要な時期だと思うのです。

 じっくりと、一途に読み解く読み方をバッサリ切り捨てて、読み方を変ました―――禁断の浮気です。

 すまんな、三島! 美徳のよろめきを数ページ読むと、火垂るの墓じゃない方の節子のように「私、浮気をしてもよくって?」と、別の本へとランデ、ブー。つまり、数冊を並行して読む乱読を試しています。友人とも、乱読の話をした記憶が……。一冊の本を、目を皿のようにして読んだとて、枯れた脳がすべてを記憶できるはずもなく、つまみ食いならぬ、つまみ読みをしてみると、これが不思議と眠くならずに長い時間───攻められる。それぞ、攻め!

 そして、もうひとつ。ストーリーなど気にせずに、適当に開いたページに目をとおす。そもそもが、比喩とか語彙とか表現だとか。読書は小説を書く勉強だから。体育会系の脳みそは、手数で勝負が合うようで、それもまた、戦略のひとつなのだと割り切れるようにもなりました。難解だった、太宰と三島も二度目なら、すんなりと読めるのですから、初見はそれでよいのでしょう。味わうよりも読むが先(笑)

 今現在、本丸の「美徳のよろめき」(三島由紀夫)によろめきながら、デジタル満載「滅私」(羽田圭介)、温泉に行きたい「坊ちゃん」(夏目漱石)、教科書で読んだ気がする「羅生門・鼻」(芥川龍之介)の四冊を乱読中。赤川次郎から始まる、八人の小説家の短編集「我が輩も猫である」は、おやつです。中高生時代、本屋の棚を制圧していた赤川次郎作品を、生まれて初めて読みました(汗)

 文豪相関図とは面白いもので、男性ばかりが並んでいると、おっさんずラブ要素満載です。漱石ラブの龍之介なので、夏目漱石と芥川龍之介。このカップリングは外せなく、かといって、五冊になると辛いので、龍之介ラブの太宰を交えた三角関係はお休みです。

 早急に三島を読み進める背景には、ブログ王第三部の主人公があるからです。三島が大好きな設定上、手元にある三島作品だけは頭の中に入れておきたい。でなければ、面白みが欠けてしまうから。

 僕が所有する三島作品は、毎度おなじみ相棒ご推薦の作品なので、その艶っぽさに間違いなどありません。読書を楽しむ技量がないなら、明確な目的だけでもほしいもの。その理由から、三島をターゲットに絞りました。とはいえ、主要人物は中学生。ツクヨと忍ときいちゃんですから、ツクヨの気質を生かすなら、コメディーたっぷりになるでしょう。

 ところで、明晰夢の続きは何処行った? そんな声も聞こえそうですが、要望が多いブログ王を先行で書く予定です。明晰夢は……複雑なんです(笑)

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