飼い猫信長と野良猫家康(正解率五十パーセント)

ショート・ショート
猫の話
この記事は約5分で読めます。

───明日から八月である。

 梅雨が明けてからというもの、海の木陰で家康は夏の暑さをしのいでいた。猫カフェでバイトをしたい気持ちもあるが、老猫にお呼びがかかる場面などまれである。

───平成の猫カフェじゃ、ナンバーワンとうたわれたワシなのにな……年は取りたくないものじゃ。

 この数年間、家康は釣人のおこぼれで生計を立てていた。それが、老いた野良猫の末路である。けれど、家康はたくましく生きていた。

───そろそろか……。

 堤防で釣りをするふたり組。それに的を絞り込む。竿が引いた瞬間、釣人の横に座っておこぼれを待つ。それが家康のオペレーションストリクス

 男女の組み合わせなら、高確率で魚を得られる。男が釣った魚をくれるのだ。それは野良猫に対するお情けではなく、女へのアピールだ。〝俺って優しいやろ?〟的な、小賢こざかしいオーラがしゃくに障るのだが、この時ばかりは愛想を振りまき魚をもらう家康であった……背に腹は代えられない。

 今日のふたりは、若い男同士であるけれど、これまで何度も魚をもらった経験があった。つまり、このふたりには期待が持てる。

「サヨっち、今日は調子よさげやな」

 大柄の男が小柄な男に話しかける。

「まぁまぁかな……こいつのえさも釣れそうだわ、オッツーは?」

「ぼちぼちでんな(笑)」

 今日もビンゴだ。ふたりの会話に、わくわくしながら糸の先を見つめる家康であった。

「おっ、これは猫行きだな」

 サヨっちと呼ばれる男が、魚の口から針を抜く。そのまま魚を家康の前に放り投げると、家康はそれをくわえて木陰へ戻った。これで二匹目ゲッとだぜ。もう一匹ほど頂けば、今日はそれで手打ちにしよう。上出来だ。釣り場の祭りは突然始まる。

「サヨっち、仕掛けを変えようや!」

「オッケー、オッツー」

 潮目が変わると、ふたりの仕掛けがサビキへと変化した───ひゃっほーい! ビッグウェーブ到来だ。海面では、きっとアジとイワシが群れている。こうしてはいられない。家康は足取りも軽く、ふたりの横まで駆け戻り、ちょこんと座って待機に入る。

「キタキタキター」

 入れ食い状態に入ると、竿を上げる度に二、三匹の魚が釣れた。チャンス到来! 今ならバケツの魚を盗んでもバレやしない。バケツの中で泳ぐ魚から、家康はターゲットを絞り込む。

───このデッカイのを頂こう。

 ロックオンを完了した家康が、ゆっくりとバケツの中へと手を伸ばす……と。

「あ、キジトラちゃんだっ!」

 おかっぱ頭の女児が、家康に向かって突進してきた。家康は思う───こいつと関わるのは厄介だ。早く仕事を終わらせてトンズラしないと……だが、時すでに遅しであった。

「ほら、見てみて(笑)」

 家康の鼻先で小さな指が揺れている。どうしてワシはこうなるのか? 頭では拒みながらも、家康はどうしても指に鼻を近づけてしまう。そうしていると、女児のもう片方の手が伸びる。小さな手のひらで、家康の頭は撫で回されてしまうのだ。

「可愛いねぇ、キジトラちゃん」

 キャッキャと笑いながら、己の身体をいじる女児に、家康はこう思う……この悪魔めと。悪魔はワシの身体を撫で回しながら、膝の上で抱っこするのだ。このクソ暑いのにも関わらずである。そういうのは、猫カフェでやってこい!

 ガブリと噛みつくなり、鋭い爪で引っ掻くなりして、家康には逃亡する手もあった。だがしかし、この悪魔は釣人の連れだ。もしかしたら、どちらかの娘なのかもしれない。つまり、ここで暴れてしまえば、自分のこれからが不利になる。我慢、我慢、ここはこらえて……家康は、明日のために耐えていた。

「家康ぅ~! 何やっとん?」

「お───いいところに来たな、光秀っ!」

「信長じゃ! クソジジイ」

 渡りに舟とはこのことだ。家康は咄嗟に信長に向かってデマを流す。

「信長! この悪魔……いや、女の子がちゅーるくれるってよ」

「マジで、マジで!」

 信長の目がキラリと光った。

───チョロいなっ!

 信長は、女児の足元で自己アピールを開始した。さすがは飼い猫である。こびを売るのが実に上手い。幼女が手を放した隙に、家康はアジをくわえて木陰へ走り去る。許せ、信長! これが野良の生き様だ。

「茶トラちゃん、可愛いねぇ」

「うぉぉぉ! はかったな、家康ぅぅぅ!!!!」

 女児につかまった猫の末路は想像に難くない……てか、さすがは飼い猫信長である。女児と意気投合している。女児が猫の扱いが上手いのか? それとも、信長が人間のあしらいが上手いのか? ひとりと一匹は楽しげだ。その光景を家康はアジを食べながら眺めていた……。

 女児は小さなバケツに魚を入れて、木陰にたたずむ家康の前に置く。

「お供えものです。キジトラさんも食べてね。あと、バケツは返してね」

 そう言うと、女児は両手を合わせて拝み始めた……なんだか、お地蔵さんのような扱いだ。女児の後ろで信長は大きなアジをくわえている。

「おい、それどうすんや?」

 家康が信長に訊く。

「これは、ご主人様へのお土産や」

 信長は、ご満悦の笑顔である。

「ところで、信長よ」

 うれしげな信長に、家康は疑問を投げかけた。

「お前。ここに脱走してきたのなら、そのアジでご主人様に脱走したことがバレると思うのだが? そこら辺は大丈夫なんか?」

 信長が、小膝叩いてニッコリ笑う。

「それなぁ~」

 家康の言葉に我に返った信長は、くわえたアジを、そっと小さなバケツに入れた。

「家康にお中元です」

 そう言い残すと、信長は家に帰っていった。女児は家康の前に座り込んだままである。ひたすら〝可愛いねぇ〟を連発している。さて、これからどうしたものか? 家康が考えていると、ふたり組の小柄な方が、女児に向かって声をかけた。気づけば西の空が赤く染まっている。

「もう帰るぞぉ~! ツクヨぉ!」

「はーい」

 彼の一声で、女児は家康の前から姿を消した。家康は記憶した。女児の名前はツクヨであると。そして、父親があの男。

 野良猫家康。今日の正解率は、五十パーセントである。

コメント

ブログサークル