梅雨も明けたある日。
縄張りを監視する家康のニャルソックだが、焼けるように熱い瓦の上になんていられない。野良猫のサマータイムの導入だ。日中は海の木陰で涼をとる。海に出たついでに、釣人から魚を分けてもらう。人間なんて、チョロい、チョロい。近づいて、ニャーニャー鳴いてりゃ勘違いを起こす生き物だ。あわよくば、ちゅーるがもらえる特典もある。家康はのんびりと、夏のバカンスを楽しんでいた。
「こんなところにおったんか? やっと見つけたぞぉ、家康ぅ!」
木陰で涼む家康に、暑苦しい猫の声。信長が家康に向かって走り寄る。
「久しぶりやな、秀吉」
「信長じゃ!」
毎回、繰り広げられる茶番にも、そろそろ家康は飽きていた───もう、秀吉でええやん? 猫に名前など、どうでもいいのだ。そんなもんで、空腹なんて満たされない……そろそろか? 釣人の動向をうかがう家康に、信長が話しかける。
「なぁ、閻魔様って誰や? そいつ、お前よりも強いんか?」
もしかして、お前は無敵の猫なのか?
この町の猫にとって、閻魔様は絶対的な存在だ。それを知らない信長を、心からの同情の目で家康は見ている。
「閻魔様は絶対的な存在やで。もしかして、お前……友だちおらんのか?」
「おらん! 俺には貴様だけが癒やしだ」
……貴様って、どこで覚えた?
「ほれ。あの山の中腹で、閻魔様は暮らしておられる。閻魔様はものすごく大きくて、ものすごく優しくて、恐ろしく……強い。そして、ワシに対して貴様はやめろ」
家康は、山の中腹を前足でさした。
「で、閻魔様。どれだけ強いんや? 家康ぅ」
若さとは無謀である。
「よく聞け、信長。閻魔様の強さはなぁ……」
「戦闘力53万!」
「フリーザかっ!」
家康は思う。きっと信長は、それが言いたくて閻魔様の話題を持ち出したのだと。愚かな坊やだ……家康はさげすむ目で信長を見つめた。
「もう一度言う。よく聞けよ、信長。閻魔様は猫ではない。あのお方は、たぶん虎だ」
家康はドヤ顔でそう言った。
「閻魔様ってタイガーなのか? お……俺、タイガー見たい。タイガーなんて、ご主人様とユーチューブでしか見たことないから。なぁ、行こ、行こ。閻魔様のところへ」
信長の興奮が冷めやらない。けれど、閻魔様と会うには条件がある。閻魔様と会えるのは、月に一度の満月の夜。各縄張りの長が閻魔様にご報告に行く日だけ。それ以外で、閻魔様と会えるのは悪党だけだ。猫の世界に悪影響を及ぼすと認定されれば、強制的に連れて行かれる。悪に対する制裁である。これにより、これまで猫たちの統制が取れてきたのだ。
それを知る家康は、信長に向かって大きなため息をついた。
「信長よ、お前如きが閻魔様と会うなんて……十万年と三日早いわ」
そう言って、家康は信長の頭をコツいた。
「だって、だって、家康ぅ。俺は、タイガーに会いたいよぉ!」
「お前は、おもちゃ屋の前で泣く子どもか?」
家康は思う。どう育てば、こんなアホな猫に育つのかと。飼い主の顔が見てみたいものだとも。猫カフェで浮気するような男らしいからな。大した人間でもなさそうだ……。
「え? おもちゃ買ってくれるの?」
信長は、どこまでも楽天家だった。ケイティの次は閻魔様。
家康は釣人を眺めている。信長は家康の横に座っている。期待に満ちた黄色い目をキラキラさせて……。
「八月の満月の夜。お前、家から抜け出せるか? 夜の道は怖いぞぉ、途中で貞子と会うかもな」
鬱陶しい信長に、家康は問う。
「貞子は怖いなぁ……でも、閻魔様にも会いたいなぁ……」
貞子はテレビから出るお化け。外にはテレビなんてありゃしない。つまり、貞子と会う確率はゼロパーセント。だから、俺は怖くない! 信長はそう思った。
「大丈夫やで、家康! 満月の夜に脱走するわ。いつもの屋根の上に集合な」
それが信長にとって、初めての夜遊びを決めた瞬間である。この綿のように軽い決断が、若き信長にとって、恐怖の一夜になるのだが……。
コメント