桜満開とお庭の神様

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桜満開(2023)
雑記・覚書き

───急げ!、急げ!、急げ!。

春の日差しに包まれながら細い田舎道をひた走る。ゴールはそう、トイレである。数億年に渡り行われた、自然の摂理に逆らえるワケが無い。長年の経験から、頭のグーグルマップに記録された場所へと急ぐ。あの神社には誰もが使えるトイレがあるのだ。成就が先か成仏が先か、安全運転を心がけながらも身体は正直である。既に発射体勢に入っている。つまり、残された時間はあとわずか。

───時間が無い。

境内に入ると満開の桜であった。花びらが今にも散りそうな百分咲きである。それはそれは美しい桜のアーチ。毎年ここには、ちびっこ連れのママ友会、仲むつまじい老夫婦、何故かぼっちのサラリーマン…。そこそこ大勢のお花見客で賑わっていた。けれど、今日は妙に静かである。こんなに青空が広がっているのに。人っこひとりいやしない。そうだった、そうだった、自分が馬鹿なの忘れてた。そんな事など言ってられない。満開の桜を横目にそそくさとトイレに入る。間に合った、そして、マジっすか?。お花見客がいない理由を僕は察した。

───「使用中止」の貼り紙があった。

3つの大きい方のトイレの全てにである。このトイレは男女兼用。つまり、女性が使えるトイレが無いのだ。ここからトイレに行くならば、最短でも車で5分は掛かるであろう。「ママ、トイレ!!!」小さな子は絶対に間に合わない。その子らは、たぶん氏子なのだろうに…。ここは田舎である。いうなれば、ここは花見のレアスポット。花見客は近隣の人々なのは想像に難くない。そこにこの貼り紙である。神社に遠慮してお花見を控えたのであろう。かつてこんな事など無かったのに。神社もお寺も人が訪れてこそなのに。それこそ神様からバチが当たると少し思う。

───世知辛い世の中になったものだ。

桜満開(2023)

とは言え、折角の桜である。トイレの前で桜満開を独り占めであった。今日の青空のような、何処までもすっきりした気分で桜を眺めていると、どういうワケだがばあちゃんの言葉を思い出して、今日もサヨリは元気です。

───お庭の神様に当たったらバチが当たるよ。

幾つの頃だったであろう。ばあちゃんと住んでいたのは幼稚園の頃だから随分と昔である。その頃、トイレットペーパの出番は無かった。便所でチリ紙や落とし紙を使っていた頃。借家の庭でスタンドアップトイレをしていると、「お庭の神様に当たったらバチが当たるよ」とばあちゃんから諭された。僕はばあちゃんが怒った顔を見たことが無い。最後の最後まで見なかった。無口であまり喋らない人だった。だがしかし、その時ばかりはボソリと言われた。子供心におっかない理由を添えて。

ばあちゃんは、家の周りを神様がグルグルと走って回っているという。もし、おしっこが神様に当たったら、バチが当たってどうなるか分からない。最悪、神様に連れて行かれるかも知れない。だから、庭でしっこしてはいけないよ。しっこは便所でしなさい。

この話はみんなが知ってる「夜に口笛を吹いたら蛇が来る」系の話かどうか僕は分からない。無口だったばあちゃんのオリジナルな脅しだったのかも知れない。それ一度きりで耳にした事が無いからだ。今想えば、その内容がユニークで何年も忘れていたからブログに残そう。

昔々の記録として。

もし、ばあちゃんのオリジナルなら才能のてんこもりなばあちゃんであった。

コメント

  1. 今ではあまり聞く機会も少なく地域により多少の違いもあるようですが、地神、地の神様、土地の神様、屋敷内の決められた場所に祠があったり、神様が土地を守っていらっしゃるとか、土地は神様の物で人間は借りている…とか。お庭の神様は小さな子供でも理解が出来るようにする為の神様のお名前かな?と思いました。トイレの為に立ち寄った神社さん。桜満開の空の下で忘れていた懐かしい思い出を思い出して良かったですね。神様のお陰でしょうね。

    • 日本には全てのものに神様が宿っていますよね。昔は神様にバチが当たると1日何回も大人たちから言われていましたが、そんな台詞を聞くことも口に出すことも無くなりました。お天道様に顔向けが出来ないなんて、時代劇の台詞だけになってしまいました。子供の頃の記憶を呼び覚まして、自分だけでも古いタイプの日本人でいようと思います。多分、そっちの方が心が豊かでいられるような気がして(笑)。

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