猫のドッキリは心臓に悪い

　猫は吐く生き物である。これまで幾度、猫のマーライオンを見てきたことか。数えればキリが無い。猫とは何か？。その習性を知るまで、愛猫サヨリが吐くたびに病気を疑い心を痛めた。

――来るぞっ！。

　今では吐く前兆を見極め口元にトレイを差し出すワザも会得した。特定の状況が揃わなければどうと言うことも無い。そして、今日は最悪の状況が重なる厄日であった。

　四月に入ると気温も上がる。執筆作業ははコタツの上から広い事務デスクへと場所を変える。僕が作業中、サヨリは好きな場所で転がっているか、僕の前に座り込むか、僕の膝の上でゴロゴロ鳴くか。その三つのパターンを繰り返している。

　そして、今はポメラの前に凛と座り、軽やかに踊る僕の指を追っていた。ついこの間までは睨むような目つきであった。食欲が上がり体調が良くなったのだろう。ぬいぐるみのようなまん丸な芽が左右に動いている。それは可愛いの暴力であった。

――この記事を書き上げたら散歩に出かけよう。

　なぁに、小一時間の辛抱である。そこに座って待っていなさい。サヨリは無言で気配を隠して置物になった。それでは書きかけの小説を書き始めましょう。慌てて溺れないように、ゆっくりと思考の中へとダイブする。

　デスクの上にはポメラと、ｉＰａｄと、スケッチブックと、太さ１．０のボールペン。調べ物にはｉＰａｄを使い、必要な情報をスケッチブックに書きとめる。その役目はノートでも良いのだけれど、裏写りしないスケッチブックの方が僕にとって都合が良いのだ。

　ポメラを叩きながら、調べた結果と思いついたアイディアはスケッチブックに書き記す。今の場面とは違う発想が突然浮かんでしまう事がある。これはスゲぇな、後で書こ。そう思って、後で思い出せた事が無い。高齢者の記憶力を舐めてはいけない。思いついた記録に残す。これは絶対である。そうこうしていると、目の前で異変が起こる。

――ウィボッ、ウィボッ、ウィボッ……。

　嗚咽と共にサヨリの腹筋が大きく動く。ドリカムなら「あ・い・し・て・る」だけれどサヨリのそれは「は・き・ま・す・よ」である。まずい、まずい、まずい。時は一刻を争う状況。ポメラと、ｉＰａｄと、スケッチブックを避難させなければ泣くに泣けない。ポメラもｉＰａｄも落としてはいけない。視線はサヨリに合わせながら、ゆっくりとポメラを移動。次にｉＰａｄ、最後にスケッチブックを避難させる。

――もう、大丈夫だ。好きなだけやるが良い！。

　「しっかりして、おとっつあん！」

それは、昭和の時代劇の定番シーン。借金まみれの貧乏人は、父親は病弱で美しい娘が父親の背中を摩る。そんな事を考えながら、サヨリの背中を摩る。そして、僕はその時を静かに待つ。小さなマーライオンよ、好きなだけ吐くが良い。

――ゲェゲっ……。

　……。サヨリの口から何も出なかった。強いて言うなら空気出た。エアーゲロであった。それ、やめてよねぇ。半笑いでサヨリの小さな頭を撫でた。いつもよりも激しく撫でた。我関せずのキョトンとした目で、サヨリは僕の顔を覗き込む。

――ミルク……する？。

　ミルクの響きに反応して、サヨリはミルク皿の前に座り込む。背筋を伸ばして美しい曲線を描きながら。それでも嗚咽の後である。まだ気が抜けない。少しだけ皿の中にミルクを注ぎ、ポメラと愉快な仲間達を元に戻して再始動。サヨリはミルクの前から僕をじっと見つめていた。それは、無言の命令である。

「はいはい。分かりました」

　どういうワケだか、サヨリは僕が見てないと食べたり飲んだりしない時がある。折角座った椅子から立ち上がり、サヨリの隣にしゃがんで見ていると、ミルクを飲み始めるのも不思議です。それは昔からのサヨリの癖のようなものであった。ピチャピチャと、ミルクを舐める耳障りの良き音が事務所の中に響き渡った。

　でもやっぱり、猫のドッキリは心臓に悪い（汗）。