外套とは、防寒防雨のため服上に着用する衣服のこと。
シャーロックホームズや怪盗ルパン。ハリーポッターが制服の上から、冬の野外で着こなす上着。それが、僕の持つイメージである。現代の言葉に言い換えればコートであるが、昔の僕はその意味すら知らずにいた……。
文章には、人となりが滲み出る。
ブログに寄せられるメールから、僕が得られるのは文字情報だけである。人気ブログでないのだから、恥ずかしながら、その数も希少である。若い人たちなら意気投合し、オフ会と称して実際に会うこともあるのだろう。そこで親睦を深めたり、ブログ仲間を増やしてみたり……。
けれど、僕のようなオールドタイプにとって〝会う〟という行動は、チョモランマよりもハードルが高く「呼ばれて、飛び出て、ジャジャジャジャーン!」っと、人前に出られる見かけも有していない。つまり、メールの相手だとて会うこともない。さしずめ、空が落ち、海が割れ、大地が砕けるような、相手に絶望を与えるだけだ。それは、よくない(汗)
こんな僕でも有り難いことに、幾度もメールを交わす相手がいるにはいる。でもやっぱり、メールにお礼に回答を添えるだけ。今年で九年目に入るブログだけれど、そんな相手は片手にさえ余る。幸せを数えたら……ばんばの〝幸子〟の歌詞のようである。小規模過疎ブログなのだから、その程度のことであるけれど、メールに英気を養うほどの恩恵を受けるのも、また事実(笑)
話は変わるけれど、少し前。メールをやり取りしていた人物がいる。年齢も性別も知らない相手とメール。それを僕は幾度も交わした。こんな経験に疎い僕だから、やはり、お礼と回答だけを繰り返す。僕から質問だなんて無礼千万。恐れ多くて、できやしない。
僕の個人情報は、ブログにやんわりと書いてある。だから、敢えてメールに書くこともしなかった。書き手と読み手、問いに答える……ただ、それだけ。春から始まったメールのやり取り。それを重ねるごとに、徐々に相手の素性が明らかになってゆく。
春を過ぎ、スイカの季節。夏になると定型文のように固かった文章が、徐々にではあるが柔らいでゆく。「ねぇ、キジトラさん……」そんな感じに。その頃から、メールの頻度も増えてきた。
今でこそ、相棒からの享受もあるのだが、何故、当時の僕の文章が、相手の琴線に触れたのか? それは、今でも謎である。それに加えて、僕の文体に合わせていないか?……というよりも、明らかに合わせている。そう感じつつも、それを尋ねる度胸もなく、せっせとブログを書いていた。
夏が過ぎた頃……「公募で賞を貰ったりしています」と、衝撃の告白を受けてしまう。メールの相手は、さしずめ雲の上の存在であったのだ。マジっすか? いい気になってビッグマウスを吐かなくてよかったと、僕は心の底から安堵した。それもこれも、まるで昨日のことのよう。そこまでして、僕に合わせる必要もないのに……。メールのやり取りを続けながらも、僕はそこに疑問を感じ始めた。
最後となったメールでも、僕のレベルに合わせた文字が並んでいる。でも、しかし、だけれども……たくさんの楽しさたっぷりな文章だった。それでいいと、僕は思った。それもこれも、僕が小説を書き始める以前の話。
今では連絡を取ることもないけれど、時折、当時のメールを読み返す。僕に合わせた文章で、句読点の位置が不自然で、ちょっぴり誤字脱字があったりして……それを読み返す度に、どこまでも続く謎解き遊び。見えないメッセージを僕は探す。
最近になって気づいたのが〝外套〟の文字である。滅多に使うことのない単語。読み方すら分からない漢字。どう考えても、現在に於いては死語である。でもそれは、三島や太宰の小説で、頻繁に登場する単語であった。
それに気づくまで、僕は何年もの時間を費やしたけれど、その遥か彼方に彼女はいる。まだまだ、彼女からのメールに学ぶことが多そうだ。これからも、メールに隠れた伏線の回収が続くのだろう……。
文章には、人となりが滲み出る。
そういうことか……と、僕は思った。
今はどうしているのだろうか?……笑っているかな? 元気でいれば、何よりだ(笑)
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