今年のお盆休みもいつも通り、八月十四日から十六日までの三日間だ。うちの会社は、お役人さんや大手企業とは事情が違う。働き方改革の恩恵を受けるのは、ルールを作った彼らだけ。庶民はね、そんなにお休みなんてもらえないよぉ~。十三日のお盆の入りですら休めない。まったくね、考えるだけでイライラしちゃう。
わたしの家は母子家庭だ。離婚じゃなくて別居だった。お父ちゃんの住んでいるアパートは知っている。暇を見つけて、お父ちゃんの様子を見に行くけど、そのたびにお母ちゃんは不機嫌になる。でも、世界にひとりだけのお父ちゃんだから、できることはしてあげたいの。ご飯くらい……作ってあげてもいいじゃない。
一日の仕事を終え家に帰ると玄関に、お父ちゃんとお母ちゃんの靴が並んでいる。何しに来たの? あのふたりのことだから、復縁するとは思えない。もしかしたら、キチンと離婚するつもり? お父ちゃんに好きな人ができたとか……がさつなお父ちゃんにそれはないかな? 嫌な予感がしないでもないけど、ふたりのいる空間が、とても明るくて新鮮に見えた。
「たたいまぁ~! 明日からお盆休みよぉ~」
わざと大きな声を上げてキッチンに入ると、すでに夕食が並べられていた。今夜のおかずは、わたしの大好物のハンバーグだ。大きなお皿の真ん中にハンバーグが乗せられて、右隣には昔ながらのスパゲッティ。左側にはポテトサラダ。それと、うさぎちゃんのリンゴがデザート。今日はニ匹も並んでいる。懐かしいなぁ~。
わたしが小さいときに、お母ちゃんがよく作ってくれた、お子様ランチ風のワンプレートだ。うちは貧乏だったから、レストランやファミレスに行けなかったの。だから誕生日とかの特別な日に、お母ちゃんが作ってくれたのよ。うちのは煮込みハンバーグ。それを口の中に入れた途端にね、舌の上でとろけちゃう。うふっ、まるで濃厚なジュースみたい。デミの味と肉汁とが相まって、胃袋の中に吸い込まれるの……これぞまさしく母の味ってね! なつかしい、お母ちゃんの味。
「食べて、食べて」
「はーい」
お母ちゃんに言われるがまま、わたしは夕食に箸をつけると、お父ちゃんとお母ちゃんが、わたしの前に並んで座った。こんなの……何年ぶりだろう? 幸せだった昔と同じだ。わたしは少しだけうれしくなった。でもね、まだ安心はできないの。いつだって、わたしの幸せは一瞬だから。突然、始まる夫婦喧嘩。そのトラウマには慣れっこだけど、いつもみたく、口論が始まったら嫌だなぁ。せっかくのハンバーグプレートが、宙を舞うのを見たくない。そうなる前に、ポテサラ、ポテサラ……わたしの胃袋にしまわないと。
お母ちゃんのポテトサラダには、つぶしたゆで玉子が入っている。マヨとジャガと玉子の絶妙なハーモニーに加えて、カリッとしたキュウリの歯ごたえ。わたしは、その食感がとても好き。キュウリ、最高!(笑) こんなに幸せな夕食は何年ぶりだろう? 争いもいざこざもない、ステキな時間をわたしは過ごした。こんなの、普通のお家なら当たり前なのにね。
「お風呂、できてるわよ。はやく入りなさい」
「はーい」
いったい、どういう風の吹き回し? 今日のお母ちゃんはすごく優しい。こんなの至れり尽くせりじゃん? 生まれたままの姿になって、肩まで湯船にどっぷり浸かると、一日の汗と疲れがお湯の中にとけてゆく。心も一緒にとろけちゃいそう。髪を洗って、体を洗って。もう一度、お湯に浸かると天国よ。今頃、お父ちゃんはビールを飲んでいるのかな? お父ちゃんは、酔うと人が変わるから、今夜だけは飲まないでほしいな……まだまだ油断は禁物だ。
そんな不安を抱きながら、わたしは浴室から出てパジャマに着替えた。いつものように体重計……あらやだ、体重計が壊れてる。とてもうれしい表示だけれど、ゼロキログラムはないでしょう? デジタル数字が表示されているのだから、電池切れでもなさそうね。やっぱり、故障? 明日、新しいのを買わないと。日課の体重測定を諦めて、脱衣所のドアを開いて二度見した。応接間に彼の姿が見えたから。まだ告白もしていない、片思いの彼がいる。
あわわわわ───わたしは、あわててドアを閉めた。服に着替えてメイクする。彼にすっぴんなんて見られたら、お嫁に行けなくなってしまう。赤がいいかな? それともピンク? 口紅の色で少し迷う……。でも、どうして? 彼がわたしの家にいるの? まぁ、そこは素直に喜んでおこう。彼がわたしの家に来てくれたのだから。きっとこれは、神様からのサプライズね。
これからお盆のお休みだし、美味しいご飯もたくさん食べたし、わたしの家に彼がいる。彼と同じ屋根の下で、彼と同じ空気を吸っている。それだけで、わたしは天にも昇る気持ちになれた。
身なり、ヨシ! メイク、ヨシ! 鏡の前で軽く微笑む。笑顔も、ヨシ! わたし、今日も可愛い! 彼の前だけはキレイでいたい。乙女ですもの、当然よ(笑)
───そうだ、彼を脅かしてやろう!
抜き足、差し足、忍び足……お父ちゃんとお母ちゃんの前で、彼は何かを話している。そうっと、そうっと……わたしは、彼の背中の前に立つ。就職してからずっと見てきた、彼の背中が愛おしい。彼ってね、スーツ姿がカッケーの。ゆっくりと、彼の肩に手を伸ばすと、彼の言葉に時が止まった。
「お嬢さん……もう、一年が経つんですね。早いものです」
お父ちゃんとお母ちゃんの顔が見る見る崩れ落ちてゆく……その時、わたしはすべてを悟った。お父ちゃんが家にいて、お母ちゃんが優しくて───ここに彼がいるワケを。
彼の背中に顔をうずめてわたしは泣いた。「大好きです」と何度も叫んだ。彼を強く抱きしめて、彼の名前を何度も呼んだ。彼の心にむしゃぶりつきたい……やっと、好きな人に〝大好き〟だと言えたのに。初めて好きになった人なのに。それでも、わたしは幸せだ。とても、とても、幸せだ。
ねぇ、いいよね? ねぇ、わがままじゃないよね? なんかねぇ……だって今日は、お盆ですもの……。泣きじゃくるわたしの耳に、優しい彼の声が聞こえた。
「おかえんなさい。待ってたよ……」
コメント
何回読んでも、せつなくなる。
この話、だぶん、また読みにきます。
ありがとうございます。