シュークリームが新メニュー

ブログ王スピンオフ
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 のんがグリムでバイトを始めると、客層が一気に変わった。のん目当ての客が増えたのだ。来客増加は売上げに繋がるけれど、マスターは困り顔だ。にしても、今日はお客が少ないな……そっか、のんは早上がりの日だったっけ。そんな日は、のんは一度、アパートへ戻る。ラフな姿に着替えてから、お客として来店するのだ。そして、俺の隣で勉強を始める。本でパンパンに膨れた、のんのリュックを見る度に、俺は桜木のランドセルを思い出していた……。

「ねぇ、飛川君。若い男の子が来てくれるのはうれしいけど……飛川君なら分かるでしょ? 何かいい案……持ってない?」

 グリムの奥さんが俺に問うのだが、都会からレベチな天使が舞い降りたのだ。ただそこにいるだけで、とてつもない輝きを放つ。その端正な顔立ちと透明な白い肌。それに加えて少女の幼さ。そりゃ、田舎だってざわついて当然だ。とはいえ、田舎は田舎。都会じゃどうだか知らないけれど、天使を強引に誘うやからなんてそうはいない。とはいえ、あのざわざわである。執筆が始まれば俺だって、常にヘッドフォンを装着するほどの騒がしさ。いい案ねぇ……あるにはあるけど、それも俺には諸刃の剣。でもまぁ、のんの身の安全を考えて、俺は奥さんに提案した。

「女性客を増やしましょう。女性の数が増えれば、必然的に男性の数は減ります。数年前から流行ってるんですよ、讃岐のマダムのカフェ巡り。古民家カフェだって、急にたくさんできたでしょ? 需要はあります」

「そりゃそうだけど……そんなこと、できるのかい?」

 奥さんは心配そうだ。のんはそっと、俺の背中に手を当てた。

「三縁さんなら、きっとやってくれますよ」

 のんの笑顔に奥さんの表情がゆるくなった。

 可愛さに男が寄ってくるのなら、美味しさにだってマダムは寄ってくる。その夜から、俺はツクヨと開発に没頭した───喫茶グリムの新メニューである。のんは、自分も手伝うと言ってくれたのだが、「困ったら相談するね」そう言って、俺はその場をはぐらかした。のんに、いいところを見せたかった。格好つけたくなったのだ。とはいえ、女性好みの味である───で、ツクヨちゃん! 俺はツクヨに泣きついた。

「なぁ、ツクヨ。こんなのどうや?」

 ネットでスイーツの画像を見つけては、ツクヨに見せて意見を乞う。

「いいと思うよ。それ、サヨちゃん作ってみてよ。わたしが、ぜ~んぶ食べてあげる」

 こう見えても俺はブロガーだ。◯◯をやってみた。それがブロガーの嗜みだ。食レポもすれば、お菓子作りだって手慣れたものだ。パフェから始まり、ケーキを作り、試行錯誤を繰り返し、俺はツクヨのリクエストのすべてを受けきった。そして、ツクヨは俺のスイーツを食べきった。なんだか、ツクヨのほっぺが……いや、何でもない。

「サヨちゃん、これ! 昔作ってくれたよね? わたし、これ好き。明日、忍ちゃんにも食べてもらおうよ。総理大臣にだって、センタクしない忍ちゃんだから、忍ちゃんが美味しいって言ったら合格にゃ」

 そうだね。そこは、忖度だけどな。とはいえ、新人賞の発表を待つ俺である。そんな俺が、シュークリームを作っているのが不思議に思えた。だって、そうだろ? 川端康成が好んで食べた洋菓子がシュークリームなのだから。にしても……昔っから苦手なんだよなぁ、忍って子。

 俺は翌日、シュークリームを用意して、忍の到着を今か今かと待っていた。コンビニで売っているような、オーソドックスなタイプだけれど、中学時代に死ぬほど作った、カスタードクリームには自信があった。控えめに言っても、まいう~なのだ。

「いらっしゃい、忍ちゃん」

 俺は忍に全身全霊の笑顔を見せた。

「なんや!」

「……え?」

 相も変わらぬそっけなさ。それは、いつもと同じだけれど、心を削ぐような言葉の刃が、食べる前から不合格な気分にさせる。やっぱり俺は、この子のことが苦手だなぁ。のんのためじゃ。我慢、我慢……。気を取り直して、俺はお皿にシュークリームを盛り付けた。

「はい、どうぞ」

「……う!」

 忍は、謎の「う!」の言葉を吐き出した。もしかして、ありがとうの「う!」なのか? そんな淡い期待を抱きながら、俺はツクヨの好きな甘いココアもお皿の横に並べて置いた。終始、喋りながら食べるツクヨと違い、無言で黙々と食べ続ける忍であった。美味いのか?  それとも……不味いのか? 忍のポーカーフェイスからは、何ひとつ読み取れない。業を煮やした俺は、忍に向かって口火を切る。

「忍ちゃん。お味は……どう?」

「合格や!」

 忍の言葉に、俺の顔がほころんだ。そして……

「ありがとうございます」

 深々と、小学生に頭を下げる俺がいた……。

「おい、もう一個!」

 つっけんどんな忍の言葉に、俺は深い感銘を受けていた。「もう一個」それは忍からの最高の褒め言葉なのだから。「おい」は余計であるけれど……緊張の糸が緩んだ俺は、ほっと胸を撫で下ろす。てか、どんだけ食うんだ? お前たち……。10個作ったシュークリームが、見る見る俺の前から姿を消した───ゲホっ! ひとつ残さず平らげて、ふたりの少女がゲップする。お行儀はともかく、その顔は共に満足げであった───さてと……もう一回、焼きますか。今からでも、グリムの閉店までには間に合うだろう。冷蔵庫の中に、カスタードのストックはあるから……俺は台所でシュー生地を作り、オーブンで焼き始めた。小さな生地が一斉に、ぷ~っと膨れる瞬間が俺は好きだ。

───午後五時四十五分。

 紙箱に入れた試作品を手にした俺が、喫茶グリムのドアを開く。すると、のんと若い男が話し込んでいた。きっと話に夢中なのだろう、俺に背を向けたのんは、俺の来店に気付かない───あゝ……来るんじゃなかった。今年一番のショックである。うなだれた俺の背中をマスターがポンと叩く。

「飛川君。こっち、こっち」

 にっこり笑って、俺をカウンターの中へ招き入れた。マスターは、お客に悟られぬよう、こっそりとカウンターの陰にしゃがみ込んだ。つられて俺もしゃがみ込む。

「飛川君。のんちゃん、君が来ない間ね。ずっとあんな感じなんやで」

 声のトーンを下げて、マスターが俺に言う。

「そ……そうなんですか……」

 そりゃ、のんはモテるもんな。声をかけられて当然だ。のんと話しているアイツだって、高身長のイケメンだもの。もはや、俺の出る幕なし……か。体育座りでふさぎ込む俺に、マスターが話を続ける。

「飛川君は愛されているね。もう、彼女にアタックとかしたの? てか、やっちゃった?」

「え?」

 やってない。

 てか、俺にはマスターの言っている意味が理解できない。だって、ほら。のんは、アイツと仲良く話しているじゃないか。あの雰囲気は、ただの客との距離じゃない。何も答えられない俺は、マスターから視線を逸らす。俺に構わず、マスターは話を続ける。

「飛川君。のんちゃんはね、話しかけられた男たち全員に、ケータイを開いて見せているんだよ。それが何だか分かる? あれ……君のブログやで」

 ここ最近、ブログへのアクセスが急上昇した原因はこれなのか? 俺はカウンター越しに、息を殺して、ふたりの会話を盗み聞く。

「これこれ、わたしの大好きなブロガーさんなの。キュンキュンしちゃうの。とても面白いから読んでくださいね。感想とか聞きたいです……」

 そんなの言われりゃ、あの男。リピーター確定だ。

 でも、マジっすか? ウエイトレスをしながら、のんは俺のブログの宣伝までしてくれたのだ。あんなうれしそうな笑顔で語られたら、男ならそりゃ嫌でも読むわ……呆然と俺がのんの横顔を見ていると、俺の耳元でマスターが囁いた。

「のんちゃんは、飛川君の世話女房みたいやねぇ」

 マスターはそう言って、ポン、ポン、ポンと、俺の背中を三回叩いた。

女房、奥さん、お嫁さん、妻……恋人がすっ飛んでるやん?

 きっとその時、俺はニヤケ顔をしていたのだろう。マスターの細い目が更に細くなり、二日月のカタチに変わった。ちょっぴり恥ずかしくなった俺は、シュークリームに話題を変えた。

「マスター、これ。試作品ですけど、食べてもらえますか?」

 俺は紙箱を開き、中のシュークリームをマスターに見せた。それを察した奥さんが閉店の準備を始めた。店内に流れるシューベルト。それが、蛍の光のメロディーに変わる。カウンターに俺の姿を見つけたのんは、俺に向かって小さく手を振っている───はい、今の僕は幸せです。

「あら、あらあらあら……もう六時過ぎちゃってるわね。閉店ね」

 残ったお客さんにお引き取りを願うと、奥さんがマスターの耳元で囁いた。小膝叩いてマスターが俺に言う。

「あ、そうだった。もうひとつ、飛川君に言うことあった」

「なんでしょうか? マスター」

「のんちゃんね。まだ、さぬきうどんを食べてないんやって」

「……は?」

 これだけは断言できる。神に誓って、それはない。

 四月から換算しても、のんが讃岐に来てから三ヶ月以上が経過している。その間、うどんを一杯も食べてないって? そんなことがあり得るのか? マスターの証言は、日本に来てから一度も米を食ってないのと同等の意味を持つのだが……。続けて奥さんの声が飛ぶ。

「ほら、のんちゃん。お店をがんばってくれるからね。お礼のつもりで、行きつけのおうどん屋さんに誘ったの。歩いて行ける距離にあるし。そしたらね……『初めては、三縁さんとじゃないとダメなんです。それがわたしの夢なんです。せっかく誘ってくれたのに……ごめんなさい』この一点張りよ。もう、その顔が健気に見えてねぇ……」

 奥さんの瞳がウルウルしている……。

「あ……そうなんですか……」

───いつか、本場のさぬきうどんが食べたいな……。

 思えばメールでも、うどんの話をしてたっけ。この地でうどんを拒否る行為。その困難さを俺は知っている。キャンパスで友達や先輩に誘われても、のんは、同じように断り続けていたというのか? てか、入学式とか引っ越しとかで、ご両親にだって誘われただろう。だって、ここまで来てうどんを食べない選択肢などあり得ない……それをのんは断った? 何故だか俺まで目頭が熱くなった。

「ねぇ、飛川君。愛されてるわね。もう、告白とかしたの? てか、やっちゃった?」

 だから、やってない……。

 グリムの夫婦は文字どおりの似たもの夫婦だった。しれっと俺に、きわどい質問を投げかける。その度に、レジの横に置いてある、謎のピコピコハンマーに俺の目が向くのだった。ツッコミたい衝動に駆られながら。奥さん曰く、春休みに遊びに来たお孫さんの忘れ物なのだとか……次回、お孫さんが来る夏休みまで、ピコピコハンマーは、そこで静かに佇んでいるのだろう。

 そして、俺は思う。のんにうどんをご馳走せねばと。腹一杯、のんにうどんを食わせねばと。その前にシュークリームだ。グリムスタッフ全員を中央のテーブルに集合させて、俺は新メニューのプレゼンを始めた。それに、真っ先に食いついたのは、意外にものんだった。

「三縁さん。このシュークリームすごく美味しい。20✕✕年、9月14日。9月21日、10月3日、10月28日、11月12日、11月25日……」

 試食の後。のんは、円周率でも暗唱するかのように、スラスラと謎の日付を語り始めた。いつもどこかしら、オドオドした感じがするのんなのに、この時ばかりは堂々として、自信に満ちた表情をのんは見せた。

「それ、なんの日付?」

 興味津々な目でマスターが訊く。

「はい。これは、三縁さんがカスタードクリームを作った記事の投稿日です。これまでシュークリームが14件ありました。カスタードクリームは他にプラス8件です。次の年も教えましょうか?」

 のんがあっけらかんと答える横で、ポカンと口を開けたままの奥さんがいた。どう見ても、引いている……。

「もしかして……のんちゃんは、飛川君のブログの全部……暗記してるの? まさか、そんなのしてないよねぇ。ごめん、ごめん」

 神妙な面持ちでマスターが訊く。それはたぶん、確認だ。のんの頭脳がどれだけ優秀だとしても、そんなことなどあり得ない。

「はい」

 のんは、マスターの期待をあっさりと裏切った。そして、独自の推理を語り始めた。

「だから三縁さんは、きっとシュークリームを作っているんじゃないかなぁ~って。ツクヨちゃんに意見を聞いているんじゃなかなぁ~って。ツクヨちゃんのお友達とかにも、試食を頼んじゃってたりして。ふふふ」

 のんはとても楽しげだ。そして、その推理のすべてが当たっている。やっぱ違うなぁ……俺は驚きよりも感心しながらのんの話を聞いていた。名探偵、のんの話は終わらない。

「わたし……そう、思っていました。三縁さんの得意料理なんですよ、カスタードクリーム。わたし、ずっと前からこれが食べたかった。だから今、キュンキュンです」

 マスターの質問に、丸い声でのんが答えると、マスターの表情も固まった。圧倒的なステージの差。それを俺たちは感じていた。しばらくの沈黙の後、のんが急にモジモジし始めた。すかさず奥さんが、テーブルの下で俺のスネを蹴った───すんげー痛い!

「のん、どうした? 腹、痛い?」

 冷静を装いながら、俺がのんに尋ねると、テーブルの下から二度目の蹴りが入る。クリティカルだった───俺の大切な弁慶がマジで痛い!

「あのねぇ~。わたし……よつぼしで苺ジャムを作ったの。なんかねぇ~、よかったら……三縁さんに食べてほしいなって、思って……勝手しちゃって、ごめんなさい」

 そう言うと、のんはリュックの中からジャムが入ったビンを取り出した。フタを開けると、ふわっと甘い苺の香りが広がった。それは、大学で収穫した苺で作ったジャムだと、のんが言う。口に含むと苺の甘みが舌先で広がった。その後で、爽やかな酸味が鼻奥を駆け抜ける……これはまさしく絶品だ。でも、この後味は? 何故だか、のんがジャムを作る姿が頭に浮かぶのだ。それに俺は考え込んだ。不安げな表情で、のんが俺の顔を覗き込む。

「ごめんなさい。美味しくなかった?」

我に返った俺は提案する。

「これ、美味しいね。すごく美味しい。シュークリームに、このジャムも足してみようか?」

 とっさに俺は、シュークリームに苺ジャムを塗ってみた。すると、奥さんがシュークリームを覗き込む。

「どれどれぇ〜、あら可愛い」

 自分のシュークリームにも苺ジャムを塗ると、いの一番に味見を始めた。

「あらあらあら───これ、すごく美味しい。冥土の土産がひとつ増えたわ。ダーリンも食べる? はい、口開けて。あ~ん───冥土の、お・み・や」

 冥土の土産? 縁起でもない。とはいえ、奥さんの胃袋は掴めたようだ。てか奥様、普段はマスターのことをダーリンと呼んでいらっしゃるのですか? ってことは……ダーリンは奥様をハニーとお呼びで? 半世紀ほどラブラブですかぁ?

「どれどれ……こりゃ、凄い!」

 奥さんのあ~んに、ダーリンも絶賛の声を上げる。その瞬間、満場一致で新メニューが可決された。後はブログとSNSで情報を広めればいい。そっち方面は俺の十八番だ。そして俺には〝ママ友〟という強い味方もついている。ネットとリアルの両面で攻めてみよう。ニヤケ顔した俺の背中を、マスターがポンと叩いた。

「新メニューも決まったことやし。飛川君、のんちゃんに言うことあるやろ?」

「そうですね」

 そうだよな。こういうことは、ちゃんと伝えておかないと……。

「えっと、ブログの宣伝してくれてありがとう」

 背筋を伸ばした俺は、のんに言う。

「わたし、たくさんの人に三縁さんのブログを知ってほしくて……」

 のんは頬を赤らめながら、そう答えると、可愛いつむじを俺に見せた。つむじに向かって、俺は言う───のんをゲンちゃんうどんに誘わねば。

「それと、よかったら……一緒にさぬきうどん食べに行かない? まだ食べてないって、マスターから聞いたんだ……明日のお昼って、時間ある?」

 俺の誘いに、のんは頭を上げた。表情がパッとほころんだ。

「え? ほんとに、ほんとに?」

 天使って、こんなふうに喜ぶのか。俺はその時そう思った。その場でお昼の約束をした俺は、いつものようにカウンターの隅の席へと移動した。執筆だ。それを察してのんは言う。

「あ、三縁さん。冷たいコーヒー入れるね」

「うん、ありがとう」

 俺がのんにお礼を告げると、のんはコーヒーの準備にカウンターの中へ入った。

 ポメラの中で眠る新作だって、のんが待ち望むプレゼントなのだ。いつもの席で俺はポメラを開く。それと同時にマスターと奥さんが、スーッと俺の背後に移動した。そして、小声で語りかける。今日のグリムはヒソヒソ話が多い日だ。

「ふたりだけにしてあげるよ。二時間は戻ってこないから」

「女の子を待たせちゃだめよ。告白するなら今のうちよ」

 恋バナに年齢など関係ないようだ。

「今日はこれで終わりです」

 俺は、そう答えながらキーボードを叩き続けた。ふたりから放たれる、不満オーラを背中いっぱいに感じながら……。もし俺が、のんに告る日があるのなら。それは彼女の誕生日なのだと、俺は密かに決めていた。その前に、新人賞で何らかの結果を残したい。俺に小説の道を開いてくれた、のんへの最高のお礼がそれなのだから。

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