悪魔の罠、大気圏再突入

ショート・ショート
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───ピピピピピピ……!!!

 大気圏再突入、警報機の悲鳴、PC画面の表示領域から語りかける宇宙飛行士。

「ジャッキー!」

 夫が死んでしまう───イザベラは絶叫した。画面に向かって、愛しい夫の名を叫ぶ。ジャッキーの横で新たな表示領域が展開した。そこに、総指揮官ジョーカーの姿が映し出される。

「ジャッキーを助けて! 総指揮官」

 イザベラはジョーカーに懇願した。

「奥さん……申し訳ない。ジャッキーは有能な宇宙パイロットだった。我が国のために尽くしてくれた。そして、大切な我々の仲間だった……これから97秒後。大気圏再突入と共に、彼の宇宙船との通信は途絶える。上司として、友として、私からのお願いだ。彼に最後のお別れを……」

 そうイザベラに告げると、ジョーカーは静かに目を伏せた。

「イザベラ、すまない。どうやら私は最後らしい。どうか聞いておくれ。心から君を愛している。今も……そしてこれからも。地球に戻って、君とリサを抱きしめたかった。娘は……リサは目を覚ましているかい? さぁ! 私に見せておくれ。リサの顔を───」

 真っ赤に充血したジャッキーの瞳から、大粒の涙が溢れている。死を前に、それでもジャッキーは明るく振る舞った。その笑顔がぎこちない……。

「えぇ、起きてるわ。リサ、パパよ。私たちの自慢のパパよ。パパに話しかけてあげて。ハイハイだって、できるようになったんだから。ね、見てあげて」

 カメラに娘の顔が映るように、イザベラは娘を抱きかかえた。

「パーパ」

 死にゆく父に、リサは両手を広げて無邪気に笑う。その無邪気さが痛々しい。父と娘の今生の別れ、ジョーカーは目頭を押さえている。ジャッキーはリサに向かって語りかけた。これが、父として愛娘へ最後の言葉……。

「リサ……あぁ……リサ。愛しい我が子よ。パパはこれからお星さまになるんだ。だからもう、お前とは会えない。よく聞いてくれ、ママの言うことを聞いてステキなレディになるんだよ。ママみたいにね」

 ジャッキーは、娘に向かってウインクをする。

「イザベラ……リサのことをよろしくたのむ。私は星になって、君たちの姿をずっと見ている。ずっと見守り続ける。今まで本当にありがとう。君たちのお陰で、私は今まで幸せだった」

 ジャッキーの右の手のひらが画面いっぱいに広がった。ジャッキーの手のひらに、イザベラも手のひらを重ね合わせた。画面越しにジャッキーの想いが染み込むようだ。もう、イザベラは涙で何も見えない。嘘でしょ、嘘でしょ───誰でもいいから……嘘だと言って! イザベラは心の中で叫びながらジャッキーに話しかけていた。

「ジャッキー……愛しいアナタ。私たちは大丈夫。私がきっと、リサを立派に育ててみせるわ。愛してる……アナタ……」

 ハイスクールの彼、キャンパスの彼、初めてのキス、初めての夜……彼との想い出がイザベラの脳裏を走馬灯のように駆け抜けた。彼のすべてが大切な宝物。

「いいかい、イザベラ。私はずっと、空から君たちを見ているからね。それだけは、忘れてはいけないよ。グッバイ、イザ……」

 それがジャッキーの最後の言葉になった。ジャッキーの姿が漆黒の画面の中に消えた。もう、何も映らないし聞こえもしない。イザベラはリサを抱きしめて、声を上げて泣きじゃくった。

「ジャッキー、ジャッキー、ジャッキー……ジャ……ふふふふふ、ほほほほほほほほ」

 イザベラの泣き声は、いつしか高笑いに変わっていた───。

「計画どおりね、ジョーカー。でもアナタ、NESAにいなくてもよかったの?」

パチパチと鳴り響く拍手の音。拍手の主はジョーカーであった。

「おいおい……イザベラ。いつの時代の話をしているんだ? 一日に、どれだけの宇宙船が行き来してると思っているんだ? 私はコンビニじゃないんだよ。今日は一日オフなのさ……にしても、名演技だったね。ハリウッド女優顔負けだったよ。いやぁ~、実に素晴らしい。ブラボーだ」

 そう言いながら、ジョーカーはグラスにシャンパンを注ぎ始める───祝杯の準備である。

「何よ、アナタこそ。宇宙船のプログラムを書き換えて、私の夫を殺しておいて……うふっ。でも、拍手なんて最高じゃないの」

 そう、イザベラとジョーカーとは不倫関係にあったのだ。ジャッキーへの想いなど、とうの昔にイザベラの中から消えていた。イザベラはジョーカーにぞっこんなのだ、三年も昔から。ジョーカーを見るイザベラの笑顔は輝いていた。それは、新たなる未来に向けた希望の笑みだった。

「イザベラ……もう君は、悲劇の宇宙飛行士の遺族だからね。人々は君たち母子に同情し、国から君へ大金が転がり込むだろう。それよりも何よりも、君はこれから自由の身だ。もちろん私は、総指揮官婦人の座を用意して待っているよ。愛してる、マイハニー。そして私の娘、リサ。私が本当の父親だ」

 リサはイザベラとジョーカーとの間にできた愛の結晶である。邪魔者のジャッキーは死んだ。ふたりは幸せの絶頂の中にいた。そう今こそが、幸せの絶頂だった。後は奈落の底へと落ちるのみ。ふたりはそれを知らずにいた。

「私もよ、ジョーカー……」

 イザベラがジョーカーに向かって投げキッスをした瞬間。漆黒の表示領域に光が戻り、ジャッキーの顔が映し出された。どうして……ジャッキーの顔が? イザベラは混乱の表情を見せた。

「私の睨んだとおりだった。システムに異変を感じて秘密裏に調査していたのさ。総指揮官には内緒でね。地球の仲間にも協力してもらった。そして、細工された大気圏再突入プログラムを修正したんだ。だから今、私は地球に帰還中さ。もうすぐ宇宙船は、太平洋に着水する。ありがとう、協力してくれたNESAの諸君! 心から感謝する」

 ジャッキーの鋭い視線がイザベラを睨む。憎悪の塊をぶつけるような眼光に、イザベラは慌てた。

「違うの、これは違うの! 信じて───ジャッキー! 愛してる、アナタだけを愛しているのぉぉぉぉ」

 イザベラはとっさに口を開き、ジョーカーの表示領域に視線を動かす。けれど、ジョーカーの姿はそこにはなかった。そこには、飲みかけのシャンパングラスがあるだけだ。無表情でジャッキーは言う。

「君と総指揮官との会話は記録されているし、同時にNESAの職員にもライブ放送されている。つまり、総指揮官は殺人未遂の現行犯として逮捕される。宇宙開発は国のミッションでもあるからな……罪は更に重くなるだろう。極刑は免れても、禁固200年くらいにはなるだろう。きっと、もうすぐ捕まるさ。ポリスがジョーカーの家に向かっているからな。本当に残念だよ、イザベラ……法廷で会おう」

 イザベラは横に頭を振りながらジャッキーに叫ぶ。

「ねぇ、私の話を聞いて。違うの、そうじゃないの!」

 ジャッキーから大きなため息が漏れた……。

「だから言ったろ? 私はずっと、空から君たちを見ているからね───ってね。もう、忘れたのかい? 君たちの恋愛ゲームは終わったんだよ」

 もう、イザベラには何も聞こえない。ジャッキーの声も届かない。パトカーのサイレンと、激しく叩く玄関ドアの音だけが、イザベラの聴覚を襲っていた……。

───25年後……。

 教会にリサの姿があった。手にブーケを持ち、純白のドレスに身を包んだリサがいた……。

「パパ、今まで育ててくれてありがとう。わたし、知ってたの。ママのことも、パパが本当のパパじゃないことも。でもパパは、わたしのパパよ。今までも、これから先も、ずっと……ねっ(笑)」

 リサは照れくさそうに微笑んだ。その笑顔がジャッキーには眩しく見えた。娘からの言葉にジャッキーが答える。

「ありがとう、リサ。そして、おめでとう。たとえ血の繋がりがなくても、お前は自慢の娘だよ。私の最愛の娘だよ。さぁ、これから連れてゆこう。私の……新たな息子のところまで」

 数多あまたの記憶に父は想う───娘よ、私に幸せをありがとう。

 腕を組みバージンロードを歩く父と娘。初めてリサが立ち上がった日、初めて一緒に歩いた日、この子を誰にも渡さないと誓った日。ひとつひとつの想い出を、一歩ずつ噛み締めながら……。

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