こんなの、タイパの極みじゃないか!
ヤフーメールにAI機能が搭載された。AIが下書きを書いてくれるのだ。ビジネスメールは、これで十分。なんなら自動で返信しちゃって(笑)
そんなぶらり散歩気分で、試しにやってみようかと思ったけれど、規約を読んでスルーした。
思うところは多々あれど、見ず知らずの人たちに情報提供する気にはなれなくて、そもそも、AIを使った経験もなくて、その一線を超えられず、今までどおりに書いている。
「ひとり殺すも、ふたり殺すも……」それは、昭和のドラマで定番のセリフだけれども、AIの便利さにかまけて、書くを怠けるのに決まってる。そこまで僕は強くない(汗)
過去に書いた文章を、AIに学習させて
「僕らしく、こんな内容で書いてはくれまいか?」
これだけで
「任されてぇ~!」
っと、瞬時にAIが書くのだろう。二十年前なら心機一転、僕も乗ったのに違いない。ブロガーは記事数が欲しいのよ。こんなの最強最大の武器じゃ~ないか。一度でも、その美酒に酔ってしまえば、そりゃもう、ドラえもんくらい便利なのだから、手放せないのに決まってる(笑)
話は変わるが、「行間を読む」という言葉がある。書き手が書いていないこと。敢えて書かない内容を、読み手が想像力で読み解くことだ。
気づかない人は、そのままで。気づいた人は、別の意味を感じ取る。とりわけて、すごいことでもないのだけど、気づいた人には味わい深く、ほのかに惹かれたりもするものだ。文豪小説なんて、まさにそれ。
この「行間」とは、書き手の「闇」とか「迷い」とか。「含み」とか「匂わせ」だとか。僕はそう解釈している。
そこには「愚痴」だったり「不平不満」だったり「もの申す」だったり。負の意味だってあるのだろう。AIには、それが書けない。そこは、AIには認識できない。それには、書き手の思考や人生のすべてが必要になるからだ。
赤裸々がもてはやされるネット社会に、書かぬ美学は古すぎて、昭和的でもあるけれど。AIならば、そこも上手いこと書いてくれるのに違いない。何はともあれ人類は、AI戦略に振り切った。
映画でもアニメでも、危険と隣り合わせの諸刃の剣は、最強最大の武器となる。それを、使いこなす猛者たちが、AIを駆使して時代を切り開いてゆくのだろう。そこは、どんな世界になるのだろう? それはそれで楽しみだ(笑)
さりとて時代遅れのロートルは、静かに引くのが分相応。
小学校の新学期……学校帰りの道草で、空に輪を描くトンビを眺め、畑の虫や野菜に目をこらし、ゆうゆうと、海を泳ぐ魚を目で追うように。感じたことを、自由気ままに書けばいい。それを望む人もいる。
「何がタイパじゃ、本でも読んでろ! お前は時を無駄にしろ」
結局のところ、これである(笑)
先日、ある人物から手書きの絵画をいただいた。やさしく目を閉じた、女性の横顔が描かれいる。そのモデルは成人した飛川月読。僕の小説のヒロインだ。
絹糸のような細いラインが、一本、そしてまた一本と……それが無数に集まって、月読の雲鬢を描き出す。繊細な数多の線に、どれだけの時間を費やしたのだろう。どんなに月読の未来を読みたかったのだろう。その絵は今、僕の事務所の壁にある。
絵も文章も、行間とは、そういうことだよ(笑)
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