人生とはプラマイゼロ。良いことがあれば、悪いこともある……でも、なんで今夜なの? キツネとタヌキに挟まれて、その上、増援が目前に。のんの部屋の前で、俺は謎の窮地に陥っていた……。
非常階段から六人……エレベーターから四人……か。ぞろぞろと、女たちが集まってくる。キツネとタヌキで十二人って……使徒ですか? にしても、グリムで見た顔が、雁首揃えて並んでいる。とはいえ、相手は女ばかり。黙って、二、三発、殴られたら、この場も穏便に収まるだろう。のんには悪いが、俺は撤収を決め込んでいた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ、飛川三縁じゃん!」
「マジでぇ~、ウケるぅ」
「何しに来たの?」
「決まってるでしょ? 坊やに見えても、コイツは男よ」
「でもさ。早川さんも、やるわね」
「こわい、こわい、こわい」
問答無用でボコられると思いきや。お姉さま方は、小声で井戸端会議の様相である───何はともあれ、助かった。そっか、そっか。のんがグリムでバイト中、彼女たちが順繰りで見守っていたというわけか。俺は内心ホッとした。けれど、キツネ先輩の眼光は相変わらずの戦闘モードだ。
「あのねぇ~、飛川くぅーん。ウチら、こういうワケだから。素直にお家に帰ってもらえなぁ~い? ほら、親衛隊が揃っちゃったし。坊やにケガさせたくないんだわぁ~」
そう言うと、細くて長い腕を俺の肩に回す。どういうワケだよ? キツネ先輩。てか、無断で俺のパーソナルスペースに入んなや! 背中がゾクゾクして、嫌な感じだ。
「そうですよ。いくら男だって、この人数には敵いませんよ。ここは、大人しく引き下がってくれますよね? そう、ありがとう。飛川君のお帰りですよ~」
タヌキが断言しやがった!
「でも、のんが……」
俺の言葉を遮るように、親衛隊がざわついた。
「のんだって!」
「そういう関係?」
「ヤバい、ヤバい、ヤバい……呼び捨てよ」
ひな壇芸人のような反応に、どういうワケだかため息が漏れた。この人たちには、語彙がない。たとえ事情説明をしようとも、永久に俺を理解してくれなさそうだ。
「と、いうワケなのよぉ~。花音にはウチから説明しとくからさぁ~」
首に回した腕をグイっと絞めて、キツネ先輩が俺を説得すると、のんの部屋のドアが開いた。
「三縁さん。お待たせしました。あれ?……みなさん、こんばんはです」
ドアを開くと、俺の肩を抱くキツネ先輩と、十一人の親衛隊。予期せぬ光景に驚くのんは、口に両手を当てている。俺はというと、グリーンの上下のジャージに赤いカチューシャ。ラフなのんの姿に───こっちも可愛い。大人びた浴衣姿とジャージの落差に、ギャップ萌えする俺がいた。
「花音、このマンションは男子禁制なの。それは、アンタも知ってるでしょ?」
キツネ先輩の声に、慌ててのんが返事する。
「すみません、すみません。三縁さんと石あかりを歩いたら、うれしくなって忘れてました……」
「この子は、うれしくなると忘れるのか……」
キツネ先輩は、何処かで聞いたセリフを吐いた。のんはペコペコ頭を下げている。けれど、のんの〝デートしました〟宣言とも取れる言葉が、親衛隊の地雷を踏んだ。
「石あかり、行ったの?」
「ふたりきりで?」
「えーーーー浴衣でぇ~!」
親衛隊からのインタビューが止まらない。のんはホントにアイドルなんだな……。
「飛川、アンタはこっちだよ」
キツネ先輩に引きずられるように、俺は親衛隊の背後へ回る。
「いいかい。花音は親衛隊の存在を知らないんだ。絶対に漏らすんじゃないよ。もしも、花音に話したら……その場で殺すよ」
これまでとは打って変わって、キツネ先輩は俺に要件を早口で伝えた。事情はどうであれ、これだけ親身になって、のんを守ってくれる人たちなのだ。感謝以外の言葉を俺は知らない。俺は首を縦に振った。すると親衛隊の向こうから、のんの声が俺の耳に飛び込んだ。
「みなさんにご紹介します。この方が、飛川三縁さんです。いつもお話ししている、わたしの大好きなお友だちです!」
お・と・も・だ・ち……膝から崩れ落ちる俺を「しっかりしな」と言って、キツネ先輩が抱きかかえた。とても気分よさげな顔だ……眉毛のない顔で半笑いしてやがる。俺とのんとの関係を察したキツネ先輩は、上機嫌でこう言った。
「さぁ。今夜は、お開きにするよ。花音、今夜は特別だからね。お友だちが何かしたら、大声を出すんだよ」
「はい」
先輩からの許可が下りると、のんはとても喜んだ。
「三縁さん。どうぞ、どうぞ───ではみなさん、おやすみなさい」
そう言い残すと、のんは俺の手を引っ張った。
「なんかねぇ~、ごめんなさい。先輩たち、とても優しくしてくれるの……子ども扱いされるのかな?」
そだね。あんなに優しい先輩なんて、そうそう出会えるものじゃない。祭りの後の静けさに、個室でのんとふたりきり。我に返ると、その現実が津波のように俺を襲う……今夜こそ、告白を……。
「こっちこっち」
のんの部屋は、八畳ほどの空間だった。一軒幅のクローゼットに白い事務机と小さな本棚。その上部に、これまた白色のロフトベッドが配置されている。壁紙も安定のホワイトである。思っていたよりも質素な部屋。それが、俺の第一印象だった。
「あ、ポメラ!」
「だめだめ!」
デスクに置かれたポメラを見つけると、のんは慌てて引き出しに隠す。
「どうして、隠すの? 俺とお揃いじゃん」
「なんかねぇ~、恥ずかしかったから……」
のんがそう言って、俺に向かってつむじを見せると、ベッド側の壁(タヌキ先輩の部屋)からドンという音がした。にしても……のんの部屋の窓を塞ぐように、大きなホワイトボードがあるのだが……。のんは折り畳み椅子を開くと、俺をそこに座らせた。そして、シロクマのぬいぐるみを俺の膝の上に置く。これは何かのおまじない? もしかして、喋るとか?
「しろたんです。今夜は共にがんばりましょう!」
何をでしょうか……?
のんは満面の笑顔で、ホワイトボードに文字を書く───〝輪廻転生〟
「三縁さん。この文字で思い浮かんだことを、わたしに教えてください」
いつもはおっとりしているのに、キリっとした口調でのんが言う。そこで俺は気づいてしまう。赤いカチューシャの模様が〝HISSYOU(必勝)〟の文字であることに。さしずめ、勝負パンツならぬ勝負カチューシャなのだろう。そして、俺は理解した。のんは今夜、俺の作品と向き合うつもりなのだと。
「今夜の告白は、お預けかな?」
膝の上のしろたんを抱き上げ、俺はしろたんに問いかける。すると、しろたんの代わりに、ベランダからキツネ先輩の声がした。もしかして……覗いてる?
「花音! 大丈夫かい? 変なことされてないかい?───お友だちに」
キツネ先輩、なんか腹立つ!……隣の部屋のタヌキ先輩は、今頃きっと、壁にコップを当てて俺の動向をうかがっているのに違いない……こんな厳しい条件下で、どんな悪さができるのか? こんなの警備会社よりも、完璧なセキュリティじゃないか! 俺は残念な気持ちで一杯になった───
「大丈夫でーす! 今、ホワイトボードに〝輪廻転生〟って、書きましたぁ~。みなさんは、〝輪廻転生〟如何ですか?」
のんの返事に、俺には、もう、ワケが分からん。
「そっちに、行ってもいいのかい?」
キツネよ、図々しいにも程がある。
「はい。みなさんにも、コーヒーを淹れますね」
───は?
ベランダに向かって、のんは楽しげに返事した。そして俺に、こう言った。
「小説のアイディアは、沢山あった方がいいですよね」
───え?
「ま……まぁ、そうなるよねぇ……」
のんの笑顔の前で、何ひとつ否定できない俺がいた……。
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