後ろの席の飛川さん〝003 便所飯の脅威は去った〟

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 平岡修斗ひらおかしゅうと君からの助け舟で、便所飯の脅威は免れた。平岡君に吸い込まれるように、ボクは彼の席へと移動する。

「まぁ、黄瀬きせ君。ここに座んなよ。にしても、すげぇ~のな。飛川月読ひかわつくよだっけ? 夢が花嫁って、ピュアの申し子って感じだな。それとも、ウケ狙いかな? でも、あの子……どっかで見た気がするんだけどなぁ。思い出せないのがモヤモヤする」

 平岡君が首をひねる。飛川さんの容姿に、ボクも同じことを感じていた。彼女は、芸能人や有名人の誰かに似ているのだろうか? そう言われたら……誰かに似ている。

「そんなことより、飯だ、飯」

 制服の上からもうっすら分かる筋肉が、彼の自信の源なのだろう。弁当箱をふたつ並べて、平岡君がニヤニヤしている。片方の弁当箱は、白米が敷き詰めれられていて、もう片方には肉の山。いわゆる茶色いおかずのお弁当だ。マッチョな平岡君と差し向かいに座ってるのが、今朝から気になっていた津島新二君つしましんじである。津島君の弁当箱は、女子の弁当箱と同じくらい小さい。これで午後の授業がもつのだろうか?

「津島君は、小食なの?」

「僕は……空腹という感覚がさっぱり分からないんだ……小食ですいません」

 まさしく君は人間失格。絵に描いたような太宰治だ。ボクは内心ワクワクしていた。

「俺さ、津島のあんなところが嫌いなんだ。飯食わねーと、筋肉つかねーってんの」

 ステーキを頬張る平岡君が、グイっと太い腕を曲げて力こぶを作って見せた。このふたりの共通点は、共に文豪の本名を持つことだ。もう、ボクの目には、平岡君は三島で、津島君は太宰だざいにしか見えていない。ボクは津島君に、気になっていた疑問をぶつけた。

「そういえば、津島君。今朝、二組の中原君に追っかけられてたよね?」

 中原君は受験の時、ボクの隣の席に座っていた男子である。会話すらしていないのだけれど、汚れちまった悲しみに……ボクには中原の名が忘れられない。

「そうなんだよ。中原は同じ小学校で、昔っから、僕を見ると親の敵のように追いかけてくるんだ……僕は逃げ足だけは速いから、害はないけど」

 エビさんウィンナーを箸でつまんで、津島君が寂しげに語っている。その時、ボクは違うことを考えていた。太宰の異名『はやぶさの銀』───いただきました! ステーキを平らげて、トンカツに箸を伸ばす平岡君。

「黄瀬君は成績優秀なんだね。副委員長は、学年二位の成績だもの。これで、クラスのパワーバランスが決まったな。ところで、黄瀬君。サッカー部に入らないか?」

「え?」

 平岡君の誘いにボクは驚いた。サッカーなんて、パパにも誘われたことがないのに。驚きのあまり、ボクは言葉を失くした。

「どうだろう? 黄瀬君。サッカー、俺と一緒にやらないか?」

 ボクを二度も誘った。人生で初めて誰かに誘われたこの事実。それが、とてもうれしかった。こんなことは、もうないだろう。広瀬さんに引き続き、青春の思い出がまたひとつ。

「ごめん、平岡君。ボクは走るの苦手なんだ……」

 平岡君の目が軽く曇る。でも、無理強いはしなかった。男らしくあっさりと引いてくれた。

「いいんだ、いいんだ、黄瀬君。でも、部活はした方がよろしいぞ。内申点に響くからな。へぇ~、その本。三島由紀夫かぁ」

 そう、平岡君。君の本だよ。

「読んでみる?」

 遠慮がちに三島の本を勧めると

「いいや、俺はサッカーひと筋だから」

 ボクの誘いは謎の理論で、やんわりと断られた。ボクと平岡君との沈黙を、待ちかねたように津島君が口を開く。

「ねぇ、黄瀬君。黄瀬君の前の席の子……広瀬忍ひろせしのぶさんだっけ。可愛いよね」

 広瀬さんは、飛川さんの隣で弁当を食べている。津島君は広瀬さんに、ひとめ惚れでもしたのだろう。他の女子には目もくれず、広瀬さんばかりをチラチラ見ている。いい表情で津島君は語るのだが、君は黙っていても女子が寄ってくるタイプだから。

 太宰の小説では、そのはずだから。

「うん。キレイな人だとボクも思う」

 広瀬さんは、ボクには無縁の相手だけれど。でも、津島君のような美男子に、女子はコロッとなるのだろう。恋愛とはなんなのか? ボクは津島君の動向を、これから観察しようと心に決めた。

「早く弁当食えよ、津島! グランド、先に行くからな。女好きも程々にしとけ」

 広瀬さんを見つめる津島君を、平岡君が急き立てた。

「平岡君って、早食いなんだね」

「黄瀬君、時は待ってくれないんだよ」

 サッカーボールを脇に抱えて、平岡君は教室を飛び出した。津島君はマイペースだ。小さな弁当箱の中身が半分ほど残っている。

「津島君もサッカー部に入るの?」

「そのつもりだよ。放課後、平岡と入部届を出すんだ」

 ちょっぴり、津島君がはにかんだ。

「ふたりとも、同じ小学校?」

「違う、違う。サッカークラブが同じだったから。平岡とは、小学校の三年からの付き合いだよ。僕は平岡に好かれてないけど、この学校じゃ友だちもいないだろ? だから、取りあえずくっ付いてるって、感じかな。で、どう? 黄瀬君も僕らとサッカーやらない?」

 津島君までボクを誘ってくれた。それはとてもうれしいけれど、ボクがどう足掻いても、サッカーボールがボクを拒絶する。どんなにボールを追いかけても、ボクからボールが逃げてゆく。

 その日の放課後、教室の窓からグランドを眺めると、サッカーボールを追いかけるふたりの姿があった。

 すべてをねじ伏せるように、ゴールへと突き進む平岡君。敵の隙間をかいくぐり、器用にドリブルで駆け抜ける津島君。力の平岡君とスピードの津島君。素人目だけど、彼らのプレイは先輩たちよりも格上に見えた。そんなふたりが羨ましかった……友だちか。こんな気持ちになったのは初めてだ。ふたりのプレイを眺めながら、ぼんやりボクは考えていた。

 飛川さんに似ている人物とは、誰なのか……。

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