後ろの席の飛川さん〝005 こいつはダメだ〟

小説始めました
この記事は約7分で読めます。

 明光めいこう中学に入学してから早いもので、一週間が過ぎ去った。ボクは相変わらずのボッチだけれど、イジメなき世界は素晴らしい。

「ねぇ、きいちゃん」

 後ろの席の飛川ひかわさんは、いつも笑顔で問いかける。

「きいちゃんは、小説を書かないの?」

 教えてあげよう、飛川さん。小説家は、ハイリスクでローリターン。割に合わない職業なのだ。断言しよう。『オモロない』のひと言で、ボクの心は闇落ちすると……二発も喰らえば息絶える。

「ボクには、そんな才能ないですからね。やっぱり、作家先生のサポートがしたいかな……」

 飛川さんは残念そうな顔をするのだけれど、ボクにはボクの道がある。

「小説を読むの───そんなに好きなら、何かお話を書けばいいのに……そうだ。即興で何かお話を作ってよ! サヨちゃんは作ってくれたよ。〝畑の天下一武道会〟とか」

 だからサヨちゃんって、誰ですか? どうして、そんなに晴れやかな笑顔なの? でもそれ、大喜利みたいで面白いかも?

「じゃ、ひとつ。飛川さんにだけ、特別に。そうですね……彼氏は太郎で、彼女は花子の設定にしましょうか?」

「だったら、月読つくよとオッツーにしてよぉ」

 飛川さんが、すがるような目でボクを見る。なぜだかボクは、その目に弱い。お腹を空かせた子猫のようだ。

「はい、かしこまりました」

 飛川さんの世界は、オッツー君を中心に回っている。ボクは口が動くままに、思いつくままを語り始めた。

※※※

『いつも一緒』 明光中学一年一組 黄瀬学公きせがく

 朝、身支度をして街に出た。今日は、初デートの日なのである。雲ひとつない青空と、きらめく太陽の眩しさが、オレの心を表すようだ。今朝のオレは、絶好調に幸せだった。

「待った?、月読」

「ううん、ちっとも……一時間だけ」

「え?」

 待ち合わせの一時間前から、月読はオレの到着を待っていた。

「ここにいると、一時間も長くオッツーと一緒にいられる気がして……待つ時間だってデートのうちよ」

 はにかみながら月読が笑う。その微笑みに、オレは申し訳ない気がした。埋め合わせと言ってはあれだけど、今日は全力で頑張ろう。

「ほら、オッツー! おっきい建物ねぇ~。ここで、記念撮影しようよぉ~」

「いや、写真は……」

「ね、ね。すみませ~ん! 写真撮ってもらってもいいですかぁ?」

 通りすがりの男性に、オレたちが写真を撮ってもらっている場所は、最近オープンしたショッピングモールである。そこへ、人気のアパレルショップが出店したのだ。そんな女子たちの夢の国へ、オレが入ってもよいのだろうか? その心配は不要だった。店内はカップルばかりだ。むしろカップルでなきゃ、気まずい雰囲気の店である。

 テテテテテ……月読の後をオレは歩く。

「あ、これ、これ。た~くさん、種類があるねぇ~」

 大きな瞳をキラキラさせて、月読が服を選び始めた。赤、青、ピンク……とっかえひっかえ、胸に当てるワンピース。その度にオレに訊く。

「似合う? 似合わない? これは?」

 そんなことを訊かれても、オレには全部が可愛く見える。この店内のどの子よりも月読が可愛い。

「これ、着てみるね。少しだけ待っててね」

 ようやく月読が選んだのは、薄藍色うすあいいいろに白い花柄のワンピースだった。この夏。月読は、大人の雰囲気で攻めるようだ。

「うん……あ、慌てないでいいから。転ばないでよ」

「はーい」

 月読の試着が始まってから間もなく、オレたちに悲劇が起きた───火事である。

 出火元は三階で、四階にいたオレたちは、あっという間に煙に巻かれた。オープンしたばかりのショッピングモールは、人で溢れパニックで身動きが取れない。もはや逃げ場がないのも理解した。月読の小さな体を抱きしめて、涙ぐむ彼女にオレは言う。

「この命にかえても、オレが月読を守るから」

「ずっと一緒だよ、ごめんね。私……オッツー……お買い物……に付き合わせちゃって……ゴホ、ゴホ……」

 月読は声にならない声で、オレを見上げて涙を流す。激しい煙の中で、オレの意識は遠のいた───

「……う……うぅ……ここは?」

 目覚めると、知らない天井が見えている。うっすらと意識を取り戻したオレの顔を、月読がうれしそうに覗き込み、小さな手のひらがオレの手を優しく包む。

「よかった……三日間、意識がなかったのよ。月読、心配しちゃった」

「ずっと、月読が看病してくれたの?」

「うん。だって、私のオッツーだもの」

 月読はホッとした表情で、オレの顔を見つめている。月読は無傷で救出されたらしく、見たところ怪我はない。オレは月読を守れたことが、何よりもうれしかった。

「月読が無傷なら、それでいい」

 月読は寂しげな笑顔で頷くと、オレの手を握りしめた。彼女の手は、氷のように冷たかった。

 オレが意識を取り戻してから、一週間が経過した。月読は昼夜問わず、オレにそばに寄り添ってくれた。月読のお陰で、オレの怪我は急ピッチで回復した。

「今日の調子はどうですか?」

 病室のベッドで主治医が訊いた。

「ええ、快調です。彼女が付き添ってくれたから」

 オレが月読に目をやると、主治医は眉をひそめて頭を下げた。

「お連れの女性は……お気の毒でした。月読さん、でしたか……」

 オレには主治医の言葉が理解できない。だって、月読はそこにいる。そこに月読はいるじゃないか!

「だって、彼女はそこにいますよ。ずっと、毎日いたじゃないですか!」

 オレが月読に向かって指さすと、彼女の姿は消えていた。そして二度と、オレの前に姿を見せることはなかった。

 あれから何年の月日が経っただろう。大人になったオレは、消防士の仕事に従事している。あんな悲劇を繰り返さないために。ふたり目の月読を生まないために。

「火災発生、火災発生。火災現場は───」

 オレは消防車に飛び乗った。その先に、救うべき命があるからだ! オレは写真を取り出して、あの日の笑顔に語りかける。

「行ってくるよ、月読。いや、一緒に行こうな」

 そう、いつも一緒だ。

※※※

「オ、オッ……ヅーぅぅぅ!」

 飛川さんが泣いている。ボクの後ろで泣いている。これで泣くの?

「いや、これは作り話ですから……てか、どっちかと言えば、ホラーとか怪談の類ですよ?」

 飛川さんにボクの言葉が届かない。どっぷりと、謎の世界に浸っている。

「月読ちゃんは、幸せだったんだよ。だって、死んでもオッツーに寄り添えたんだから。これは、尊い愛の物語だよ。きいちゃんは、小説家になるべきよぉぉぉ」

 こいつはダメだ。

 ボクの作り話を、恋愛ものだと勘違いしている。

「あ、ティッシュをどうぞ」

「あでがどう……」

 テッシュを渡すと豪快に、ブシューっと飛川さんが鼻をかむ。その音を合図に、クラスの女子たちが集まった。

「どうしたの? 飛川さん 黄瀬きせ君、また泣かしたの?」

 失敬な。泣かしたのは、初めてだ!

 その後で、ボクがクラスの女子に囲まれたのは言うまでもなく、飛川さんは泣きじゃくるばかりで、クラスの女子から、ボクはサンドバッグにされていた。

 遠巻きに見ている平岡君と津島君は、ボクを助ける気などないらしい。お気の毒……って顔でボクを見る。

「いいの。私だけが我慢すれば……それでいいの」

 〝だけ〟って、なんだよ? それって、誤解を生むだけじゃないか?

「どうしたの、飛川さん? 何があったの? 鼻がトナカイさんみたいだよ。保健室、行く?」

 慌てて大西さんが、飛川さんの背中をさする。

 広瀬さんは、小刻みに背中を揺らせながら読書をしている。広瀬さんが飛川さんの親友って話は、どうやらボクの聞き違いだったらしい。

「いいの。後でサヨちゃんの所へ連れていくから」

 誰をですか? ボクをですか? つーか、その度々出てくるサヨちゃんって、誰ですか?

 飛川さんが口を開く度に、ボクの状況が悪化する。飛川さん、もう何も言わないで。

───キン、コン、カン、コ~ン♪

 授業開始のチャイムが鳴って、ようやくボクは解放された。ボクが机に向かうと、広瀬さんと目が合った。

「黄瀬君は、悪くない」

 相変わらず、無表情な広瀬さん。

「広瀬さんは、どうしてチャイムの前に言ってくれなかったの?」

 広瀬さんは、真っすぐな目でボクに言う。

「だって、面白かったもの」

 こいつもダメだ。

コメント

ブログサークル