明光中学に入学してから早いもので、一週間が過ぎ去った。ボクは相変わらずのボッチだけれど、イジメなき世界は素晴らしい。
「ねぇ、きいちゃん」
後ろの席の飛川さんは、いつも笑顔で問いかける。
「きいちゃんは、小説を書かないの?」
教えてあげよう、飛川さん。小説家は、ハイリスクでローリターン。割に合わない職業なのだ。断言しよう。『オモロない』のひと言で、ボクの心は闇落ちすると……二発も喰らえば息絶える。
「ボクには、そんな才能ないですからね。やっぱり、作家先生のサポートがしたいかな……」
飛川さんは残念そうな顔をするのだけれど、ボクにはボクの道がある。
「小説を読むの───そんなに好きなら、何かお話を書けばいいのに……そうだ。即興で何かお話を作ってよ! サヨちゃんは作ってくれたよ。〝畑の天下一武道会〟とか」
だからサヨちゃんって、誰ですか? どうして、そんなに晴れやかな笑顔なの? でもそれ、大喜利みたいで面白いかも?
「じゃ、ひとつ。飛川さんにだけ、特別に。そうですね……彼氏は太郎で、彼女は花子の設定にしましょうか?」
「だったら、月読とオッツーにしてよぉ」
飛川さんが、すがるような目でボクを見る。なぜだかボクは、その目に弱い。お腹を空かせた子猫のようだ。
「はい、かしこまりました」
飛川さんの世界は、オッツー君を中心に回っている。ボクは口が動くままに、思いつくままを語り始めた。
※※※
『いつも一緒』 明光中学一年一組 黄瀬学公
朝、身支度をして街に出た。今日は、初デートの日なのである。雲ひとつない青空と、きらめく太陽の眩しさが、オレの心を表すようだ。今朝のオレは、絶好調に幸せだった。
「待った?、月読」
「ううん、ちっとも……一時間だけ」
「え?」
待ち合わせの一時間前から、月読はオレの到着を待っていた。
「ここにいると、一時間も長くオッツーと一緒にいられる気がして……待つ時間だってデートのうちよ」
はにかみながら月読が笑う。その微笑みに、オレは申し訳ない気がした。埋め合わせと言ってはあれだけど、今日は全力で頑張ろう。
「ほら、オッツー! おっきい建物ねぇ~。ここで、記念撮影しようよぉ~」
「いや、写真は……」
「ね、ね。すみませ~ん! 写真撮ってもらってもいいですかぁ?」
通りすがりの男性に、オレたちが写真を撮ってもらっている場所は、最近オープンしたショッピングモールである。そこへ、人気のアパレルショップが出店したのだ。そんな女子たちの夢の国へ、オレが入ってもよいのだろうか? その心配は不要だった。店内はカップルばかりだ。むしろカップルでなきゃ、気まずい雰囲気の店である。
テテテテテ……月読の後をオレは歩く。
「あ、これ、これ。た~くさん、種類があるねぇ~」
大きな瞳をキラキラさせて、月読が服を選び始めた。赤、青、ピンク……とっかえひっかえ、胸に当てるワンピース。その度にオレに訊く。
「似合う? 似合わない? これは?」
そんなことを訊かれても、オレには全部が可愛く見える。この店内のどの子よりも月読が可愛い。
「これ、着てみるね。少しだけ待っててね」
ようやく月読が選んだのは、薄藍色に白い花柄のワンピースだった。この夏。月読は、大人の雰囲気で攻めるようだ。
「うん……あ、慌てないでいいから。転ばないでよ」
「はーい」
月読の試着が始まってから間もなく、オレたちに悲劇が起きた───火事である。
出火元は三階で、四階にいたオレたちは、あっという間に煙に巻かれた。オープンしたばかりのショッピングモールは、人で溢れパニックで身動きが取れない。もはや逃げ場がないのも理解した。月読の小さな体を抱きしめて、涙ぐむ彼女にオレは言う。
「この命にかえても、オレが月読を守るから」
「ずっと一緒だよ、ごめんね。私……オッツー……お買い物……に付き合わせちゃって……ゴホ、ゴホ……」
月読は声にならない声で、オレを見上げて涙を流す。激しい煙の中で、オレの意識は遠のいた───
「……う……うぅ……ここは?」
目覚めると、知らない天井が見えている。うっすらと意識を取り戻したオレの顔を、月読がうれしそうに覗き込み、小さな手のひらがオレの手を優しく包む。
「よかった……三日間、意識がなかったのよ。月読、心配しちゃった」
「ずっと、月読が看病してくれたの?」
「うん。だって、私のオッツーだもの」
月読はホッとした表情で、オレの顔を見つめている。月読は無傷で救出されたらしく、見たところ怪我はない。オレは月読を守れたことが、何よりもうれしかった。
「月読が無傷なら、それでいい」
月読は寂しげな笑顔で頷くと、オレの手を握りしめた。彼女の手は、氷のように冷たかった。
オレが意識を取り戻してから、一週間が経過した。月読は昼夜問わず、オレにそばに寄り添ってくれた。月読のお陰で、オレの怪我は急ピッチで回復した。
「今日の調子はどうですか?」
病室のベッドで主治医が訊いた。
「ええ、快調です。彼女が付き添ってくれたから」
オレが月読に目をやると、主治医は眉をひそめて頭を下げた。
「お連れの女性は……お気の毒でした。月読さん、でしたか……」
オレには主治医の言葉が理解できない。だって、月読はそこにいる。そこに月読はいるじゃないか!
「だって、彼女はそこにいますよ。ずっと、毎日いたじゃないですか!」
オレが月読に向かって指さすと、彼女の姿は消えていた。そして二度と、オレの前に姿を見せることはなかった。
あれから何年の月日が経っただろう。大人になったオレは、消防士の仕事に従事している。あんな悲劇を繰り返さないために。ふたり目の月読を生まないために。
「火災発生、火災発生。火災現場は───」
オレは消防車に飛び乗った。その先に、救うべき命があるからだ! オレは写真を取り出して、あの日の笑顔に語りかける。
「行ってくるよ、月読。いや、一緒に行こうな」
そう、いつも一緒だ。
※※※
「オ、オッ……ヅーぅぅぅ!」
飛川さんが泣いている。ボクの後ろで泣いている。これで泣くの?
「いや、これは作り話ですから……てか、どっちかと言えば、ホラーとか怪談の類ですよ?」
飛川さんにボクの言葉が届かない。どっぷりと、謎の世界に浸っている。
「月読ちゃんは、幸せだったんだよ。だって、死んでもオッツーに寄り添えたんだから。これは、尊い愛の物語だよ。きいちゃんは、小説家になるべきよぉぉぉ」
こいつはダメだ。
ボクの作り話を、恋愛ものだと勘違いしている。
「あ、ティッシュをどうぞ」
「あでがどう……」
テッシュを渡すと豪快に、ブシューっと飛川さんが鼻をかむ。その音を合図に、クラスの女子たちが集まった。
「どうしたの? 飛川さん 黄瀬君、また泣かしたの?」
失敬な。泣かしたのは、初めてだ!
その後で、ボクがクラスの女子に囲まれたのは言うまでもなく、飛川さんは泣きじゃくるばかりで、クラスの女子から、ボクはサンドバッグにされていた。
遠巻きに見ている平岡君と津島君は、ボクを助ける気などないらしい。お気の毒……って顔でボクを見る。
「いいの。私だけが我慢すれば……それでいいの」
〝だけ〟って、なんだよ? それって、誤解を生むだけじゃないか?
「どうしたの、飛川さん? 何があったの? 鼻がトナカイさんみたいだよ。保健室、行く?」
慌てて大西さんが、飛川さんの背中をさする。
広瀬さんは、小刻みに背中を揺らせながら読書をしている。広瀬さんが飛川さんの親友って話は、どうやらボクの聞き違いだったらしい。
「いいの。後でサヨちゃんの所へ連れていくから」
誰をですか? ボクをですか? つーか、その度々出てくるサヨちゃんって、誰ですか?
飛川さんが口を開く度に、ボクの状況が悪化する。飛川さん、もう何も言わないで。
───キン、コン、カン、コ~ン♪
授業開始のチャイムが鳴って、ようやくボクは解放された。ボクが机に向かうと、広瀬さんと目が合った。
「黄瀬君は、悪くない」
相変わらず、無表情な広瀬さん。
「広瀬さんは、どうしてチャイムの前に言ってくれなかったの?」
広瀬さんは、真っすぐな目でボクに言う。
「だって、面白かったもの」
こいつもダメだ。
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