後ろの席の飛川さん〝006 おっぱいゾンビ〟

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 四月も半ばを過ぎた頃。飛川ひかわさんが事件を起こした。

「ねぇ、きいちゃん」

 後ろの席の飛川さんは、いつも笑顔で問いかける。

「ゾンビの知り合いっている?」

 満面の笑みを浮かべる飛川さん。勉強のしすぎで壊れたか?

「そうですね、今のところ……いませんね」

 ボクは冷静に対処する。

「私、ひとりだけいるの。ゾンビの知り合い」

「そ……そうなんですね」

 重症だ、後で保健室の先生に相談しよう。カウンセリングが必要だ。

「あれれぇ。きいちゃん、反応が薄いのね」

 この場合「ぎょえぇぇぇ!」っと叫べばよかったのか?

「ゆきちゃんって名前なの」

 新キャラのお出ましだ。一時間目のチャイムまで五分ある……少し遊んであげるとしよう。

「ゾンビのゆきちゃんは、人間に嚙みつくのでしょうか?」

「きいちゃんは、屋島山上にある、やしまーるを知ってるかい?」

 きっとこいつは、ボクをバカにしているのに違いない。

「一応、ボクも高松市民ですから、その程度は存じています。お正月に屋島寺参拝の後で、やしまーるへも足を運びました。ゾンビとは会えませんでしたけれど……」

「そのやしまーるでね、子どもに噛みついていたんだよ、ゆきちゃんは」

 小さな口を大きく開き、ケラケラ笑う飛川さん。大きなリュックからタブレットを取り出すと、画面をタップしながら画像を探す。飛川さんだって、女の子。ゾンビのぬいぐるみが妥当な線だ。

 我が明光めいこう中学は、教材の多くをタブレットで提供している。グループトークも標準装備。それは、クラス単位で閉ざされたSNSである。学校行事の連絡や、担任からの注意事項。そして、クラス間での質問などは、グループトークで行われる。

 つまり生徒の持ち物は、概ねタブレットと弁当である。それゆえ、登下校は小さなリュックで十分なのだ。

 それをかんがみれば、飛川さんの大きなリュックと、広瀬さんのキャリーケースは、一種独特の雰囲気をかもし出している。何を入れて持ち歩いているのだろう?

 大きなリュックからひょっこりと、子猫が顔を出したりしないかな? 飛川さんなら、やりかねない。

「あった、これこれ。ゆきちゃんです」

「……ぐ」

 飛川さんのタブレットには、子どもに噛みつくゾンビの姿。飛川さんが、小さな指でタップすると、ゾンビがゆるゆると動き始めた。ゾンビに追われて、小さな子どもが逃げている。

 動画の背景から察すれば、まさしく撮影地はやしまーる。にしても……なんなんだ? このゾンビのクオリティの高さと、盛りに盛られた双璧のチョモランマは? ブルンブルンと揺れる胸元に、ボクは思春期の夢を見た。

「すごいですね、メイク技術」

「違うって、きいちゃん。これ、ゾンビなんだって」

 つぶらな瞳を見開いて、熱弁する飛川さん───やっぱり、こいつはダメだ。

「あ、そうだ! クラスのみんなにも見せてあげよう!」

「ちょっとそれは……どうだろう?」

 ボクはやんわりと抵抗したけれど、しめしめの流れとばかりに、飛川さんがグループトークにゾンビ動画をアップした。

 すると、刹那せつなにクラスがざわついた。新しい投稿には、お知らせ機能が働くからだ。

「何よ、これ……」

「ゾンビとちゃうか?」

「ギャー!」

 画面を見つめる生徒の中に、悲鳴を上げる女子もいる。男子はおっぱいに釘付けだ。

「飛川さん!」

 いつも温厚な花園先生が、血相を変えて教室に飛び込んだ。

「はい! すみれ先生」

 背筋を正して、折り目正しく、右手を上げる飛川さん。

「これは、どういうことですか!」

 先生の問いに、飛川さんが元気な声で、ゆきちゃんの人となりを語り始めた。

「ゆきちゃんです。ゆきちゃんは、オッツーとサヨちゃんの友だちで、大きなおっぱいがチャームポ……」

「飛川さん、そこまでです。説明はそこまで!」

 花園先生が両手を振って、飛川さんの口をさえぎった。

「ゾンビの説明は不要です。飛川さん、こういう動画を怖がる生徒もいるのよ。しばらく、飛川さんの投稿権限を停止します」

「え~」

 飛川さんは不満げだ。

「まったく、もう。え~、じゃありません」

 花園先生があきれた顔で、クラスの中を見渡した。

「みなさんも、不適切な発言や動画を投稿しないように。飛川さんの投稿は、先生の方で削除しておきますから。飛川さんは、お昼の休憩時間に職員室まで来るように。もう、動画サイトだったら大変なことになっていたわ」

 飛川さんは怪訝けげんな顔だ。

「なんで? サヨちゃんも、小学校の時にね。インターネットのことで、校長先生に呼ばれたの……」

 校長先生だって? 何をしたんだ? サヨちゃんは。

「なんでじゃありませんし、サヨちゃんって誰ですか?」

 そうだ、そうだ。もっとやれ! ボクは激しく、先生を応援する。

 教師用タブレットを開いた花園先生は、指を動かす度にため息を漏らす。飛川さんは、ほっぺを膨らませて悔しそうだ。そのほっぺをつついてみたい。パンパンに膨らんだほっぺに気を取られていると、ボクの背中を誰かがつついた。

黄瀬きせ君、ちょっと……」

 広瀬さんが、澄んだ瞳でボクを見る。こんなことは初めてだ。その瞳の奥に、ボクは何かを期待した。期待せずにはいられない……。

「ゆきちゃんは、実在するわ」

「は?」

 やっぱり、こいつもダメだった。

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