四月も半ばを過ぎた頃。飛川さんが事件を起こした。
「ねぇ、きいちゃん」
後ろの席の飛川さんは、いつも笑顔で問いかける。
「ゾンビの知り合いっている?」
満面の笑みを浮かべる飛川さん。勉強のしすぎで壊れたか?
「そうですね、今のところ……いませんね」
ボクは冷静に対処する。
「私、ひとりだけいるの。ゾンビの知り合い」
「そ……そうなんですね」
重症だ、後で保健室の先生に相談しよう。カウンセリングが必要だ。
「あれれぇ。きいちゃん、反応が薄いのね」
この場合「ぎょえぇぇぇ!」っと叫べばよかったのか?
「ゆきちゃんって名前なの」
新キャラのお出ましだ。一時間目のチャイムまで五分ある……少し遊んであげるとしよう。
「ゾンビのゆきちゃんは、人間に嚙みつくのでしょうか?」
「きいちゃんは、屋島山上にある、やしまーるを知ってるかい?」
きっとこいつは、ボクをバカにしているのに違いない。
「一応、ボクも高松市民ですから、その程度は存じています。お正月に屋島寺参拝の後で、やしまーるへも足を運びました。ゾンビとは会えませんでしたけれど……」
「そのやしまーるでね、子どもに噛みついていたんだよ、ゆきちゃんは」
小さな口を大きく開き、ケラケラ笑う飛川さん。大きなリュックからタブレットを取り出すと、画面をタップしながら画像を探す。飛川さんだって、女の子。ゾンビのぬいぐるみが妥当な線だ。
我が明光中学は、教材の多くをタブレットで提供している。グループトークも標準装備。それは、クラス単位で閉ざされたSNSである。学校行事の連絡や、担任からの注意事項。そして、クラス間での質問などは、グループトークで行われる。
つまり生徒の持ち物は、概ねタブレットと弁当である。それゆえ、登下校は小さなリュックで十分なのだ。
それを鑑みれば、飛川さんの大きなリュックと、広瀬さんのキャリーケースは、一種独特の雰囲気を醸し出している。何を入れて持ち歩いているのだろう?
大きなリュックからひょっこりと、子猫が顔を出したりしないかな? 飛川さんなら、やりかねない。
「あった、これこれ。ゆきちゃんです」
「……ぐ」
飛川さんのタブレットには、子どもに噛みつくゾンビの姿。飛川さんが、小さな指でタップすると、ゾンビがゆるゆると動き始めた。ゾンビに追われて、小さな子どもが逃げている。
動画の背景から察すれば、まさしく撮影地はやしまーる。にしても……なんなんだ? このゾンビのクオリティの高さと、盛りに盛られた双璧のチョモランマは? ブルンブルンと揺れる胸元に、ボクは思春期の夢を見た。
「すごいですね、メイク技術」
「違うって、きいちゃん。これ、ゾンビなんだって」
つぶらな瞳を見開いて、熱弁する飛川さん───やっぱり、こいつはダメだ。
「あ、そうだ! クラスのみんなにも見せてあげよう!」
「ちょっとそれは……どうだろう?」
ボクはやんわりと抵抗したけれど、しめしめの流れとばかりに、飛川さんがグループトークにゾンビ動画をアップした。
すると、刹那にクラスがざわついた。新しい投稿には、お知らせ機能が働くからだ。
「何よ、これ……」
「ゾンビとちゃうか?」
「ギャー!」
画面を見つめる生徒の中に、悲鳴を上げる女子もいる。男子はおっぱいに釘付けだ。
「飛川さん!」
いつも温厚な花園先生が、血相を変えて教室に飛び込んだ。
「はい! すみれ先生」
背筋を正して、折り目正しく、右手を上げる飛川さん。
「これは、どういうことですか!」
先生の問いに、飛川さんが元気な声で、ゆきちゃんの人となりを語り始めた。
「ゆきちゃんです。ゆきちゃんは、オッツーとサヨちゃんの友だちで、大きなおっぱいがチャームポ……」
「飛川さん、そこまでです。説明はそこまで!」
花園先生が両手を振って、飛川さんの口を遮った。
「ゾンビの説明は不要です。飛川さん、こういう動画を怖がる生徒もいるのよ。しばらく、飛川さんの投稿権限を停止します」
「え~」
飛川さんは不満げだ。
「まったく、もう。え~、じゃありません」
花園先生が呆れた顔で、クラスの中を見渡した。
「みなさんも、不適切な発言や動画を投稿しないように。飛川さんの投稿は、先生の方で削除しておきますから。飛川さんは、お昼の休憩時間に職員室まで来るように。もう、動画サイトだったら大変なことになっていたわ」
飛川さんは怪訝な顔だ。
「なんで? サヨちゃんも、小学校の時にね。インターネットのことで、校長先生に呼ばれたの……」
校長先生だって? 何をしたんだ? サヨちゃんは。
「なんでじゃありませんし、サヨちゃんって誰ですか?」
そうだ、そうだ。もっとやれ! ボクは激しく、先生を応援する。
教師用タブレットを開いた花園先生は、指を動かす度にため息を漏らす。飛川さんは、ほっぺを膨らませて悔しそうだ。そのほっぺをつついてみたい。パンパンに膨らんだほっぺに気を取られていると、ボクの背中を誰かがつついた。
「黄瀬君、ちょっと……」
広瀬さんが、澄んだ瞳でボクを見る。こんなことは初めてだ。その瞳の奥に、ボクは何かを期待した。期待せずにはいられない……。
「ゆきちゃんは、実在するわ」
「は?」
やっぱり、こいつもダメだった。
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