後ろの席の飛川さん〝011 七月に、人類が滅亡するってホントかな?〟

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 今ボクは、飛川家のダイニングテーブルの前に座っている。ボクの隣にゆきさんが、ボクの前には飛広コンビが座っている。アウェイでプレイするサッカー選手。その心理が、よく分かる。

 飛川先生はキッチンで、アジフライを作っている。飛川家では、女子をお姫さま扱いをする習わしなのか? 先生だけが働いているのが、とても気まずい。

 それよりも、ボクは他所さまのお宅に伺うことにも慣れていなくて、なんだかとても居心地が悪い。借りてきた猫のように背中を丸めて、ボクは一点を見つめている。猫の箸置きが……愛らしい。

「ど?」

 真っすぐな目で、ボクに問う広瀬さん。きっと、今日の感想を訊いているのだ。ボクには、彼女の心が見えている。

「釣りは初めてだったので、とても楽しかったです」

 これは本心だ。

「違う……ブログ王」

 そっちか。

「飛川先生の文体が、ボクの大好きなブロガーと似ていて、そう思うと、どんどん物語に惹き込まれて……早く続きが読みたいなって……」

「黄瀬ちゃん。そのブロガーって、誰かしら?」

 ゆきさんは、興味津々の眼差しだ。

「みなさんは知らないと思いますけど、カブトムシという人のブログです。最近、更新が止まっちゃって寂しいですけど……ボクが尊敬するブロガーです」

「アツっ!」

 先生が水道の水で手を冷やしている。フライパンの油が跳ねたようだ。

「それ、サヨちゃんのブログじゃない? こんなことって、ある?」

 ゆきさんが、興奮したようにボクの背中に手を添えた。さっきから、ゆきさん距離が……近いです。

「飛川先生は、ブロガーなんですか?」

「そ、カブトムシ」

 先生の背中に視線を送る広瀬さん。ボクは椅子から立ち上がり、先生の背中に問いかける。

「え、あ、う───そ、そうなんですか? ホントに? あの伝説の、オスとメスのカブトムシが合体して───」

「そ・こ・ま・で・♡」

 ゆきさんが、ボクの言葉を遮った。

「の、ようだ……」

 先生は大人だなぁ。まったく動じず、フライパンから目を離さない。

 偶々偶然の邂逅に、驚くばかりのボクである。そうなれば、だとすれば……

「飛川先生、テントウムシさんをご存じですよね?」

 躊躇なくボクは訊く。

 テントウムシさんは、引きこもりの世界から、ボクを外へ連れ出してくれた恩人だ。先生がカブトムシさんということは、テントウムシさんの素性が分かるやも。しかし、先生からの返事がない。

「ご存じですよね?」

 チリチリチリ……聞こえるのは、油が弾ける音だけだ。誰も何も語らない。

「カラッと揚がった、俺って天才。これからジャンジャン揚げてくぜい!」

 先生の菜箸の先には、揚げたてのアジフライ。それを満足そうに眺めながら、先生がボクに言う。

「黄瀬君の目の前におるよ、テントウムシ───」

 待って、待って。どっちだ、どっちだ。ボクは飛広コンビの顔を交互に見る……どっちかと言えば、広瀬さん?

「月読よ」

 広瀬さんが、飛川さんに目を向ける。飛川さんは、この話題になってから、ずっと顔を伏せている。

「どうして、教えてくれなかったんですか? 飛川さん。あなたはボクの恩人です。あなたがいなければ、今でもボクは、引きこもりだったかもしれません」

 飛川さんは、いつもとは別人のように動かない。

「言えなかったの、月読は……」

 広瀬さんが間に入る。広瀬さんも、小学時代のボクのことを知っているのだろう。引きこもりの黒歴史さえも……。

「月読はね。猛勉強して明光中学に入ったの。どうしてか……黄瀬君、分かる?」

 その理由は明白だ。テントウムシさんが、ボクに受験を勧めたからだ。

「明光中学で待ってるって……ボクに言ったから?」

「そ。あの時の月読はね、とても明光に入れる成績じゃなかったの───月読はバカなの」

 親友に向かって、それ言う?

 広瀬さんの言葉に反応するように、ゆきさんの猫耳がピクピク動く。

「でも、どうして?」

「責任感よ。責任感だけで、月読は猛勉強したの」

「ボクのために? そうなんですか? 飛川さん」

 ゆっくりと、飛川さんが頷いた。

「だったら、名乗ってくれても……」

 頑なに、顔を伏せる飛川さん。

「月読にはもうひとつ、やるべきことがあったから……」

 意味深なことを言う広瀬さん。

「何をですか?」

「黄瀬君を守ること」

 広瀬さんの言う意味が理解できない。

「黄瀬君。イジメられるのは、辛いでしょ。中学で、イジメられたくもないでしょ」

 もしかして……ボクは言葉を失った。

「明光中学に入ったのも、研究会を発足したのも。すべて───黄瀬君のそばにいて、あなたを守るためにしたことよ」

 他人のボクに、そこまでのことができるのか?

「もしかして、ゾンビ事件も?」

 ゆきさんの猫耳が大きく反応したのだが、ゆきさんは口を挟まない。

「そ、吊り橋効果の応用ね。花園先生との距離を一気に縮めて、有利に交渉するためのお芝居よ」

「ボクには分からない。そこまでして、なんのメリットがあるんですか?」

 広瀬さんは、妹を見るような眼差しで、飛川さんの頭を撫でた。

「自分のためにやったの。この子、イジメられっ子だったのよ。だから、黄瀬君を放っておけなかったの、それだけよ。特別じゃない」

 底抜けに明るい飛川さんが、イジメの過去を持っていた? それなのに……ボクは……。

 登校初日、飛川さんの自己紹介。「イジメは絶対に許しません!」その言葉にボクが何を思ったか───ひねた考え、あざとい憶測、ゲスの勘繰り……ボクは、穴があったら入りたい。

「冷たくするなら最初から、優しくするなら最後まで……サヨちゃんの口癖」

 広瀬さんが、先生を見た。

「アツっ!」

 また、先生に油が飛んだ。

「でもこれは、月読の口癖でもあるの。だから、それを実行したまでよ。黄瀬君が気にすることじゃない」

 そんなことを言われても、何もしないわけにもゆかない……。知ってしまったからには……。そっか、だから飛川さんは、今まで黙っていたのか?

「こんなにしてもらって、ボクはどうすれば……」

 気持ちがどうしようもなくなって、ボクまでもが顔を伏せた。有り難い、でも、辛い……。

「いーんじゃねーの、笑っとけば。アツアツのアジふりゃ~じゃ。ナンボでもあるから、食ってくれ」

 先生がボクの背中をポンと叩き、ゆきさんがボクの肩に手を添えた。

「黄瀬ちゃん。ツクヨちゃんは、オッツーと同じで正義の味方なの。だから、やっちゃうの。そんな子なの」

 ボクは、飛川さんの自己紹介で、もうひとつの言葉を思い出す。

「飛川さん。もし……イジメを見つけたら、飛川さんならどうします?」

 花園先生の質問に

「正義の味方に変身します!」

 と、飛川さんは答えた。その真意は?

「あの……飛川さんって、変身するんですか? いや、自己紹介の時に言っていたので……」

「するよ。月読が小学二年の時だっけ? なぁ、ゆきも覚えてるよな?」

 飛川先生が、懐かしそうだ。

「そうそう、運動会。ギュィィーーーーン!って、格好良かったわね、ツクヨちゃん」

 ゆきさんも、懐かしむ。

「マジっすか?」

「そ」

 広瀬さんが、にこりと笑った。飛川さんは、魔法少女か? いや、この子ならあり得るかも?

「これは、お前らだけに特別な。港からの帰りに、知り合いの漁師から鯛をもらった。刺身にしたから、腹一杯食え。それと、忍と黄瀬君。おみや作ってるから、お家に持って帰ってくれ」

「飛川先生、ありがとうございます」

「なんの、なんの。また来いよ」

 憧れの飛川先生がそう言うと、軽くボクの頭をポンポンと叩いた。それだけで、ボクは夢のような気分になった。

「俺は、じいちゃんちに魚を届けてくるから。後は、ゆきに任せたよ」

 飛川先生が、ゆきさんに言う。

「そんなこと言っちゃってぇ~。サヨちゃん、のんちゃんちにも行くつもりね。あ~あ。アジフライくらい、アツい、アツい」

「バレたかぁ~」

 先生は、笑いながら出掛けてしまった。その背中を追う、広瀬さんの目が切なげだ……。

 この後も、飛川さんは無口だった。意を決して、飛川さんにボクは言う。今、言わないといけない気がした。

「よ、よかったら……飛川さん。ボクと友だちになってもらえませんか?」

断られたらどうしよう……口から心臓が飛び出しそうだ。

「え?」

 むくっと顔を上げた、飛川さん。キョトンとした目でボクを見る。

「い、いえ……」

 嫌な予感が脳裏を駆ける。

「あれれぇ、きいちゃんは、小学校の時から友だちだよぉ~。ねぇ、忍ぅ」

「そ」

 それはボクにとって、初めて友だちができた瞬間だった。飛川さんが、ボクに向かってケラケラ笑う。いつもの飛川さんが戻ってきた。

 広瀬さんも、平常運転になっている。広瀬さんはもう少し、口数が多い方がいいのにな。

※※※

 午後六時三十分、ゆきさんの車の中。

「一晩だけ」

 広瀬さんが、ボクに愛読書を手渡した。

「え?」

「黄瀬君のブログ王、ロッカーだから」

 そうだった、そうだった。荷物一式、ロッカーだ。

「い、いいの?」

「い、友だちだから。でも、笑わないでね」

 広瀬さんの切なさにも似た、はにかんだ微笑が気になった。

 その夜、ボクはブログ王に目を通す。物語の終盤になると、ページの所々に涙の花が咲いていた。その涙の意味を、ボクは取り違えていたのだけれど……ねぇ、津島君。残念だけれど、広瀬さんの城門突破は……予想以上に難しそうだ。

※※※

 翌朝。

「ねぇ、きいちゃん」

 後ろの席の飛川さんは、いつもの笑顔で問いかける。

「七月に、人類が滅亡するってホントかな?」

 さて、飛川さん。どんな回答をご期待か? ボクは頭の中で考える。その答えを全力で探す。だって、そうでしょ? ボクにとって、初めての友だちへの回答だもの。

「そうですねぇ……」

「うん、うん」

 今日も、飛川さんのネームプレートはピカピカだ(笑)

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