後ろの席の飛川さん〝015 見かけで人を判断してはいけません〟

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 十三本のロウソクの火を吹き消して、誕生日の歌をみんなで歌って、ケーキを切り分けると歓談かんだんタイムが始まった。

 鼻の下を伸ばした飛川ひかわさんは、尾辻おつじさんにべったりだ。

「いつも主人がお世話になっています。未来の妻の月読つくよです。ほほほほほ……」

 お客さんに、微笑みかける飛川さん。隣で終始無言の広瀬さん。そして、お客さんの苦笑い。

 ボクにとっては、何もかもが非日常で、実感がまるで湧かない。さしずめ、映画を観ているような感覚だ。ボクはというと、芸能人の記者会見のように、ゆきさんと近藤さんから、鬼のような質問攻めだ。

黄瀬きせ君、彼女とかいる?」

「もう、アケミちゃん。そんなのハラスメントになるわよ」

 ゆきさんが常識人でよかった。

「ねぇ、黄瀬君。好きな人はいるのかな?」

 じゃなかった……。なんだか、疲れた。六時か……もう、帰りたい。

「それでは、ご自宅までお送りしましょう」

 近藤さんが、ボクと広瀬さんに声をかけた。ボクにとっては、渡りに船だ。

「ありがとうございます」

「そ」

ボクが腰を上げると、広瀬さんがボクの袖を引っ張った。

「サプライズ」

「きいちゃん、みんなからのプレゼント」

 飛川さんが、白い箱をボクに渡す。

「きいちゃん。これ、家に帰ってから開けるのよ。途中で開けたら……」

「どうなるの?」

「おじいさんになるから」

 まさかっ、これが有名な玉手箱! ここは竜宮城だったのか? カメを助けた覚えはないけど。でも、そうかもしれない。ボクは素直にそれを信じた。刹那に終わった初恋と共に、それを美しく信じたかった。

 広瀬さんは、帰りのベンツの中でも終始無言だ。長い長い二十分を経て、ボクは無事に帰宅した。

そんなボクを、ママは上機嫌で出迎えた。白い箱を見つめてママが言う。

「それ、なぁ~に?」

「みんなからのプレゼント」

 リビングで、ママと白い箱の蓋を開く。中には黄色いパーカーと、便箋が一枚入っている……〝ようこそ、放課後クラブへ〟……え、そうなの?

「あら、お誕生日プレゼント? ガクちゃん、すごい、すごい」

 パーカーを広げると、ママは自分のことのように喜んだ。

 どうやらボクは、放課後クラブの一員にされてしまったらしい……。放課後クラブとは、なんなのか? 未だに知らないボクがいた……。

「お風呂に入っちゃって、ガクちゃん」

「うん。でも、姉ちゃんは?」

 姉ちゃんの名は、美樹みきという。ボクが先に風呂に入ると、姉ちゃんは鬼のように怒るのだ。

「美樹ちゃんは、今夜は合コンだって」

「だったら、入る」

 誕生会の疲れを癒した風呂上がり。ボクの着替えの上に、黄色いパーカが置いてあった。ボクは興味本位でパーカーに袖を通す。少しサイズが大きいようだ。飛川さんの制服姿のようにブカブカだ。そのままの姿で脱衣所から出るとママがいた。どうやら廊下で、ボクが出るのを待っていたらしい……出待ちか?

「似合うわねぇ、クルリと回って」

 ママのリクエストに応えて、クルリと回る。ママは手を叩いて喜んでいるけれど、ボクは少し恥ずかしい……。

「背中の〝放課後クラブ〟って、なぁ~に? そんなの流行っているの?」

「知らない……」

「そうなの。でも、似合うわよ」

「ありがとう」

 引きこもりの息子に友だちができて、誕生会までしてもらったのだ。今日のママは、いつもにも増してご機嫌だ。

「ママ。これで、いい?」

「そうね、そうね。こめんなさいね」

 満足げにキッチンへ向かうママである。ボクが部屋に戻ろうとすると、ちょうど姉ちゃんが帰ってきた。合コンにしては、お早いおかえりで……。

「おかえり、姉ちゃん」

 そう言って、ボクが部屋に戻ろうとすると……

「ちょいと、お待ち」

 姉ちゃんが、鋭い眼光で呼び止めた。

 ボクの姉ちゃんはギャルであり、ネイルの専門学校に通っている。だから、姉ちゃんの爪はいつも派手である。合コンだとあって、爪の先から気合を感じた。ちなみに、姉ちゃんの好きな映画のジャンルはVシネマ。好きな俳優は菅原文太すがわらぶんた。渋い男が好みのようだ。

「姉ちゃん……何?」

「弟よ、今夜は姉ちゃんと語らおうぞ」

 姉ちゃんは、面倒見のよい姉御肌である。だから、普段はとても優しいけれど、今夜は荒れているようだ。たぶん、合コンが失敗に終わったのだろう。

「冷蔵庫から、大きなプリンを取ってきな。小さいプリンは、ガクにあげる」

 我が家には、厳格なルールがひとつある。マジックで〝神〟の文字が書かれた食品に、誰もが決して触れてはいけない。それは姉ちゃんの印だからだ。

「神の封印を解きし者は、必ず天罰が下るであろう……だから、ガク。決して、触れてはいけないよ」

 これは、幼少期からボクが姉ちゃんに叩き込まれた呪いである。ボクは大きなプリンを姉ちゃんに手渡すと、小さなプリンを手に持って、

「ガク、ここに座んな」

……部屋へは戻れず。

 それから、姉ちゃんの詰問が始まった。姉ちゃんがボクを呼び止めた理由。それは、ボクが羽織ったパーカーにあった。

「ガク。放課後クラブ、どうして知ってる?」

「放課後クラブをボクは知らない」

 それは、本当だ。

「じゃ、どうして。そのパーカーを着ている?」

「誕生会でもらった」

「ふーん……どうして?」

 だから、こっちが知りたいんだって。

「飛川さんから……」

「ひ、飛川三縁ひかわさより?」

 姉ちゃんの顔色が変わった。

「違う、飛川月読」

「おかっぱの子?」

 お主。何故なにゆえ、それを知っている?

「そうだけど。どうして、姉ちゃんが飛川さんを知っているの?」

「飛川三縁は、姉ちゃんの高校の先輩だからね。おかっぱも、ウチらの高校じゃ有名だよ。だって『わたしの、オッツー』だからね。じゃ、尾辻先輩も?」

「うん。二階堂さんと近藤さんも」

 姉ちゃんの瞳孔が大きく開く。

「うわぁ、ガチモンじゃん。放課後クラブじゃん。なついじゃん。ガクちゃん、誕生日おめでとう……じゃん」

 姉ちゃんの興奮の中に、闇が見えた。危険を察知し、それに備えるボクである。

「最初の出会いは、高一の春だった……校庭の裏だったよ……」

 やっぱ、喧嘩の話だ。これから、姉ちゃんの武勇伝が始まるのだろう、うんざりだ。

「ウチらさ……ガクだって、知ってるだろ? ランとスー」

 ランちゃんとスーちゃんは、子どもの頃から姉ちゃんとつるんでいる友だちだ。

「三人でボロられてたんだわ……男子五人に囲まれてね。たらさ、ウチらを助けてくれたんだわ、三人組が。びっくりしたよ、ギュィィーーーーン!って、ベルトを鳴らせて登場したから」

 よく似た話もあるものだ。

「そしたらさ。ツカツカって、飛川先輩がウチの手を引いたんだ。『お嬢さん、危ないよ』って」

 なんだか、先生なら言いそうなセリフだ。

「で……メンツを潰された五人は、もう後には引けない。三人がかりで、飛川先輩に殴る蹴るだよ。飛川先輩は、ちっこいから心配したよ」

 ボクの目から見ても、先生は弱そうだ。

「で?」

「その攻撃が当たらないんだよね、飛川先輩に」

「どういうこと?」

「ほら、わたぼこりってあるじゃん。ふわふわして、つかもうとしてもつかめない……そんな感じ」

 姉ちゃんが、そらを手でつかむ。

「人は見かけによらないつーけど、手品でも見てるのかと思ったわ。でね、尾辻先輩が、残ったふたりの首根っこをつかんで離さねーの。見てのとおり、尾辻先輩は怪物だから……相手の方が、お気の毒だったよ」

 尾辻さんなら、それもあり得る。それで済んだのなら、相手だって幸せだ。

「で、先生は?」

「先生って?」

「飛川三縁先生は、作家だから、先生だよ!」

 これは、姉ちゃんであろうが譲れない。

「そっか、先輩。作家になったのね───知ってる、それ嘘でしょ?」

 なんて、理想どおりのリアクションなんだ。

「事実だよ、姉ちゃん。後で本を見せてあげる」

「本は、いい。どうせ、字ばっかだろ?」

 まぁ、これも姉ちゃんらしい回答だ。

「でさ、不思議なんだよねぇ」

「何が?」

 姉ちゃんが、プリンの蓋を眺めている。

「飛川先輩。攻撃を避けてるだけなのに、三人がコロコロと転ぶんだよ。そのうち、三人の息が上がって、三人ともへたり込んじゃって……飛川先輩がニヤニヤし始めて、鳴らすんだよ。指をポキポキってね。総決算ですって感じでね」

 もっと、敷衍ふえんして論じてくれ。

「すんげーの。ありゃ、織田信長の顔だね。天下とったりぃ~、って顔してんの。これから地獄が始まるってところで、『飛川君、そこまでです。もう、おやめなさい』って、桜木先輩の一言で、すべてが一件落着になっちゃった」

 それも、どっかで聞いた話である。

「その時にね、ウチ……心臓がキュって鳴ったんだ……」

 それ、グリムで体験したやつだ。あれは切ない……。

「飛川先生に?」

「桜木先輩に」

「は?」

 姉ちゃんの好みなら、飛川先生だと思ったけれど、姉ちゃんの話しぶりも、そんな感じだったのに。

「それが、ウチの初恋だった……」

 姉ちゃんが大きくため息をつく。そして、プリンの蓋をペロリと捲った。余程、合コンで嫌な思いをしたのだろう……気の毒に。

「これからが、本題よ」

 姉ちゃんが頬を赤らめて、プリンにスプーンを突き立てた───姉の口から、桜木さんの全貌が見えるだろう。これは、願ったり叶ったり。椅子に座り直して、ボクもプリンの蓋をペロリと捲った。姉は椅子に胡坐をかいた。

 今夜は、長い夜になりそうだ。

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