十三本のロウソクの火を吹き消して、誕生日の歌をみんなで歌って、ケーキを切り分けると歓談タイムが始まった。
鼻の下を伸ばした飛川さんは、尾辻さんにべったりだ。
「いつも主人がお世話になっています。未来の妻の月読です。ほほほほほ……」
お客さんに、微笑みかける飛川さん。隣で終始無言の広瀬さん。そして、お客さんの苦笑い。
ボクにとっては、何もかもが非日常で、実感がまるで湧かない。さしずめ、映画を観ているような感覚だ。ボクはというと、芸能人の記者会見のように、ゆきさんと近藤さんから、鬼のような質問攻めだ。
「黄瀬君、彼女とかいる?」
「もう、アケミちゃん。そんなのハラスメントになるわよ」
ゆきさんが常識人でよかった。
「ねぇ、黄瀬君。好きな人はいるのかな?」
じゃなかった……。なんだか、疲れた。六時か……もう、帰りたい。
「それでは、ご自宅までお送りしましょう」
近藤さんが、ボクと広瀬さんに声をかけた。ボクにとっては、渡りに船だ。
「ありがとうございます」
「そ」
ボクが腰を上げると、広瀬さんがボクの袖を引っ張った。
「サプライズ」
「きいちゃん、みんなからのプレゼント」
飛川さんが、白い箱をボクに渡す。
「きいちゃん。これ、家に帰ってから開けるのよ。途中で開けたら……」
「どうなるの?」
「おじいさんになるから」
まさかっ、これが有名な玉手箱! ここは竜宮城だったのか? カメを助けた覚えはないけど。でも、そうかもしれない。ボクは素直にそれを信じた。刹那に終わった初恋と共に、それを美しく信じたかった。
広瀬さんは、帰りのベンツの中でも終始無言だ。長い長い二十分を経て、ボクは無事に帰宅した。
そんなボクを、ママは上機嫌で出迎えた。白い箱を見つめてママが言う。
「それ、なぁ~に?」
「みんなからのプレゼント」
リビングで、ママと白い箱の蓋を開く。中には黄色いパーカーと、便箋が一枚入っている……〝ようこそ、放課後クラブへ〟……え、そうなの?
「あら、お誕生日プレゼント? ガクちゃん、すごい、すごい」
パーカーを広げると、ママは自分のことのように喜んだ。
どうやらボクは、放課後クラブの一員にされてしまったらしい……。放課後クラブとは、なんなのか? 未だに知らないボクがいた……。
「お風呂に入っちゃって、ガクちゃん」
「うん。でも、姉ちゃんは?」
姉ちゃんの名は、美樹という。ボクが先に風呂に入ると、姉ちゃんは鬼のように怒るのだ。
「美樹ちゃんは、今夜は合コンだって」
「だったら、入る」
誕生会の疲れを癒した風呂上がり。ボクの着替えの上に、黄色いパーカが置いてあった。ボクは興味本位でパーカーに袖を通す。少しサイズが大きいようだ。飛川さんの制服姿のようにブカブカだ。そのままの姿で脱衣所から出るとママがいた。どうやら廊下で、ボクが出るのを待っていたらしい……出待ちか?
「似合うわねぇ、クルリと回って」
ママのリクエストに応えて、クルリと回る。ママは手を叩いて喜んでいるけれど、ボクは少し恥ずかしい……。
「背中の〝放課後クラブ〟って、なぁ~に? そんなの流行っているの?」
「知らない……」
「そうなの。でも、似合うわよ」
「ありがとう」
引きこもりの息子に友だちができて、誕生会までしてもらったのだ。今日のママは、いつもにも増してご機嫌だ。
「ママ。これで、いい?」
「そうね、そうね。こめんなさいね」
満足げにキッチンへ向かうママである。ボクが部屋に戻ろうとすると、ちょうど姉ちゃんが帰ってきた。合コンにしては、お早いおかえりで……。
「おかえり、姉ちゃん」
そう言って、ボクが部屋に戻ろうとすると……
「ちょいと、お待ち」
姉ちゃんが、鋭い眼光で呼び止めた。
ボクの姉ちゃんはギャルであり、ネイルの専門学校に通っている。だから、姉ちゃんの爪はいつも派手である。合コンだとあって、爪の先から気合を感じた。ちなみに、姉ちゃんの好きな映画のジャンルはVシネマ。好きな俳優は菅原文太。渋い男が好みのようだ。
「姉ちゃん……何?」
「弟よ、今夜は姉ちゃんと語らおうぞ」
姉ちゃんは、面倒見のよい姉御肌である。だから、普段はとても優しいけれど、今夜は荒れているようだ。たぶん、合コンが失敗に終わったのだろう。
「冷蔵庫から、大きなプリンを取ってきな。小さいプリンは、ガクにあげる」
我が家には、厳格なルールがひとつある。マジックで〝神〟の文字が書かれた食品に、誰もが決して触れてはいけない。それは姉ちゃんの印だからだ。
「神の封印を解きし者は、必ず天罰が下るであろう……だから、ガク。決して、触れてはいけないよ」
これは、幼少期からボクが姉ちゃんに叩き込まれた呪いである。ボクは大きなプリンを姉ちゃんに手渡すと、小さなプリンを手に持って、
「ガク、ここに座んな」
……部屋へは戻れず。
それから、姉ちゃんの詰問が始まった。姉ちゃんがボクを呼び止めた理由。それは、ボクが羽織ったパーカーにあった。
「ガク。放課後クラブ、どうして知ってる?」
「放課後クラブをボクは知らない」
それは、本当だ。
「じゃ、どうして。そのパーカーを着ている?」
「誕生会でもらった」
「ふーん……どうして?」
だから、こっちが知りたいんだって。
「飛川さんから……」
「ひ、飛川三縁?」
姉ちゃんの顔色が変わった。
「違う、飛川月読」
「おかっぱの子?」
お主。何故、それを知っている?
「そうだけど。どうして、姉ちゃんが飛川さんを知っているの?」
「飛川三縁は、姉ちゃんの高校の先輩だからね。おかっぱも、ウチらの高校じゃ有名だよ。だって『わたしの、オッツー』だからね。じゃ、尾辻先輩も?」
「うん。二階堂さんと近藤さんも」
姉ちゃんの瞳孔が大きく開く。
「うわぁ、ガチモンじゃん。放課後クラブじゃん。懐いじゃん。ガクちゃん、誕生日おめでとう……じゃん」
姉ちゃんの興奮の中に、闇が見えた。危険を察知し、それに備えるボクである。
「最初の出会いは、高一の春だった……校庭の裏だったよ……」
やっぱ、喧嘩の話だ。これから、姉ちゃんの武勇伝が始まるのだろう、うんざりだ。
「ウチらさ……ガクだって、知ってるだろ? ランとスー」
ランちゃんとスーちゃんは、子どもの頃から姉ちゃんとつるんでいる友だちだ。
「三人でボロられてたんだわ……男子五人に囲まれてね。たらさ、ウチらを助けてくれたんだわ、三人組が。びっくりしたよ、ギュィィーーーーン!って、ベルトを鳴らせて登場したから」
よく似た話もあるものだ。
「そしたらさ。ツカツカって、飛川先輩がウチの手を引いたんだ。『お嬢さん、危ないよ』って」
なんだか、先生なら言いそうなセリフだ。
「で……メンツを潰された五人は、もう後には引けない。三人がかりで、飛川先輩に殴る蹴るだよ。飛川先輩は、ちっこいから心配したよ」
ボクの目から見ても、先生は弱そうだ。
「で?」
「その攻撃が当たらないんだよね、飛川先輩に」
「どういうこと?」
「ほら、わたぼこりってあるじゃん。ふわふわして、つかもうとしてもつかめない……そんな感じ」
姉ちゃんが、宙を手でつかむ。
「人は見かけによらないつーけど、手品でも見てるのかと思ったわ。でね、尾辻先輩が、残ったふたりの首根っこをつかんで離さねーの。見てのとおり、尾辻先輩は怪物だから……相手の方が、お気の毒だったよ」
尾辻さんなら、それもあり得る。それで済んだのなら、相手だって幸せだ。
「で、先生は?」
「先生って?」
「飛川三縁先生は、作家だから、先生だよ!」
これは、姉ちゃんであろうが譲れない。
「そっか、先輩。作家になったのね───知ってる、それ嘘でしょ?」
なんて、理想どおりのリアクションなんだ。
「事実だよ、姉ちゃん。後で本を見せてあげる」
「本は、いい。どうせ、字ばっかだろ?」
まぁ、これも姉ちゃんらしい回答だ。
「でさ、不思議なんだよねぇ」
「何が?」
姉ちゃんが、プリンの蓋を眺めている。
「飛川先輩。攻撃を避けてるだけなのに、三人がコロコロと転ぶんだよ。そのうち、三人の息が上がって、三人ともへたり込んじゃって……飛川先輩がニヤニヤし始めて、鳴らすんだよ。指をポキポキってね。総決算ですって感じでね」
もっと、敷衍して論じてくれ。
「すんげーの。ありゃ、織田信長の顔だね。天下とったりぃ~、って顔してんの。これから地獄が始まるってところで、『飛川君、そこまでです。もう、おやめなさい』って、桜木先輩の一言で、すべてが一件落着になっちゃった」
それも、どっかで聞いた話である。
「その時にね、ウチ……心臓がキュって鳴ったんだ……」
それ、グリムで体験したやつだ。あれは切ない……。
「飛川先生に?」
「桜木先輩に」
「は?」
姉ちゃんの好みなら、飛川先生だと思ったけれど、姉ちゃんの話しぶりも、そんな感じだったのに。
「それが、ウチの初恋だった……」
姉ちゃんが大きくため息をつく。そして、プリンの蓋をペロリと捲った。余程、合コンで嫌な思いをしたのだろう……気の毒に。
「これからが、本題よ」
姉ちゃんが頬を赤らめて、プリンにスプーンを突き立てた───姉の口から、桜木さんの全貌が見えるだろう。これは、願ったり叶ったり。椅子に座り直して、ボクもプリンの蓋をペロリと捲った。姉は椅子に胡坐をかいた。
今夜は、長い夜になりそうだ。
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