ボクへの誕生日プレゼントを発端に、姉ちゃんの初恋の相手が、桜木さんだと発覚した。でもそれは、ボクの想定の範囲内。うどん県は、日本で最も狭い県である。讃岐の田舎じゃ、あり得ないことでもない。むしろ、その逆。コミュニティは小さい。よくある話だ。
「姉ちゃん、それから?」
姉ちゃんの恋バナに、ボクは耳を傾けた。
「ウチの高校じゃ、桜木先輩は、神童って呼ばれていたんだ。成績は群を抜いていて、常に学年トップだった。てか、全国模試でも上位だったらしい」
桜木さんは、ボクの目から見てもそんな感じだ。
「沈着冷静で、いつも穏やか。そして、あのフェイス。ウチのような隠れファンは多かったと思う。でも、目に見えない壁を感じた」
「彼女とか、いなかったの?」
そこは詳しく。
「まるで、次元が違うのさ。何人かの女子に告られもしただろうけれど、成功例をウチは知らない。いつも、三人一緒だった。偶に……おかっぱも混ざってた。なんだよ、あのチビは?」
それは、告るのも大変そうだ。ムスッとした表情で、姉ちゃんが話を続ける。
「放課後クラブは、幼稚園の頃に結成されたそうよ。飛川、尾辻、近藤、二階堂。元々は四名構成で、桜木先輩は小学からの参入らしい」
「そんなに昔から?」
「名付け親は、二階堂先輩らしい……ねぇ、ガク。何を食べたら、あんなに胸が育つの? やっぱ、栄養かな? いい肉食べたら、大きくなるかな? どう思う?」
そうだよね、ゆきさんといえば、胸に聳える双璧だ。
「……遺伝じゃね?」
ママだって、そんなに大きくないし。
「遺伝って治るのかな?」
遺伝は病気じゃありません!
「で、姉ちゃんは……どうしたの?」
「おっぱいが?」
「桜木さんが!」
ボクの今後に関わる問題でもある。しっかり話を訊き出さないと。
「バレンタインの前日に、ウチの恋は散ったのさ」
「告ったって、こと」
姉ちゃんが、頬を赤らめて目を伏せた。
「告れなかった。だって、そうでしょ?」
どうでしょう?
「バレンタイン前日の放課後。ウチは手作りチョコを、桜木先輩の下駄箱に入れようとしたんだ」
知ってる、そんなシーンをドラマで見かけた。きっと、それが定番なのだろう……でも、下駄箱にチョコっての。ボクには不衛生に思えるのだが……。
「そしたらさ、桜木先輩が……いたんだよ。下駄箱に」
「中に?」
「前に! もしかして、ガク。ウチをバカにしてる? まぁ、それはいいわ……ちょっと待って。心の整理するから」
いつも強気の姉ちゃんが、胸に手を当てて深呼吸をしている……え、あの姉ちゃんが? いったい、下駄箱で何があったんだ! 続きを早く、もっとくれ。
「ウチは、見てはいけないものを……見てしまったんだよ」
姉ちゃんの頬から色が抜けてゆく。
「別の女の子に、下駄箱の前で告白されてたとか?」
それ以上のことが思いつかない。
「だったらマシよ、戦えるもの。桜木先輩……下駄箱の中にチョコを入れたんだ。ウチは、目の前が真っ暗になった……」
状況が把握できない、ボクである。
「ちょっと、姉ちゃん。話を整理しよう。桜木さんが、放課後に下駄箱の前にいて、誰かの下駄箱の中にチョコを入れた……ってことで、いい?」
「そう、確かに入れた。ハートの絵柄のラッピングがしてある、可愛らしいチョコだった───あぁ、なんてこと……地獄やぁ~!」
一旦、バレンタインのルールを外そう。別に、男子から女子へチョコを渡しても、よしとしよう。ボクも心の準備を整えた。
「桜木さんのハートを射止めた女子とは?」
こんな弱気の姉ちゃんを、ボクは今まで見たことがない。
「飛川三縁……」
蚊の鳴くような声で姉ちゃんが言う。これは、三島の禁色だ。
「あの時の気持ち、ガクに分かる?」
「分からないけど、辛いのは分かる」
「でしょ、でしょ? 飛川三縁が相手だなんて……姉ちゃんさ、思ってもみなかったわ!」
「康子だよ」
「康子って?」
「三島の小説の話だけど……訊く?」
「いらねー」
姉ちゃんがそう言って、テーブルに突っ伏した。
桜木さんが、先生にチョコを渡した。現実は小説よりも奇なり……か。ボクは何も言えなくなった。
飛川さんは、BL小説の表紙絵を描いているそうだ。放課後クラブでは、そういうのが当たり前なのだろうな……。頑張ろうな、姉ちゃん───強く生きよう。
姉ちゃんのつむじを見守るボクである。
「で、桜木先輩。どうだった?」
ムクっと顔を上げた姉ちゃんが、桜木さんの今を訊く。
「うん。シュッとした美男子だった」
美男子なのだから嘘はつけない。
「じゃ、飛川先輩と一緒にいたの?」
姉ちゃんの目が切なげだ。
「先生には彼女がいるよ。早川花音さんって、美人の彼女が……」
でもこれ、姉ちゃんに言ってよかったのか? 変なスイッチを入れたかも。
「じゃぁ~さ、じゃぁ~ね、フリーってこと?」
姉ちゃんの目に光が宿る。獲物を狙う、オオカミのような眼光だ。
「とは言ってない」
「姉ちゃんさ、リベンジやろっかな。ガクは、桜木先輩の連絡先を知ってるよね? 教えてよ」
可能性はゼロじゃない。でもそれは、限りなくゼロである。姉ちゃん、手を打つのが遅すぎだ……。
「でも……桜木さんは、T大生だよ」
「だよねぇ……。どんなに好きでも遠距離だしねぇ……。やっぱ、ウチ。身近な男を探すわ」
桜木さんに、二度もフラれた姉ちゃんだった。どちらも不戦敗であるのだけれど。
「ところで姉ちゃん。今夜の合コンは?」
「最悪じゃい!」
プリンを一気にたいらげて、ガツンガツンと姉ちゃんが、スプーンでカップの底を突いている。
ボクは思う。今夜だけでも優しい弟でありたいと。
「姉ちゃん。これ、食べてないから」
ボクは、そっと姉ちゃんの前にプリンを差し出した。姉ちゃんは二個目のプリンに手を伸ばし、鼻をすすりながらこう言った。
「ガク……覚えてな。七つの海は、女の涙でできているのよ。ウチ、もっとキレイになってやる───」
姉ちゃんの前向きな宣言に、ボクは内心ホッとした。そして思った。瀬戸内海は、七つの海には入らない……。
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