酔っぱらった美少女の隣で、飛川さんの声が荒れていた。スマホに向かって吠えている。
「ばあちゃん! 忍に奈良漬け食べさせたでしょ。どうして、そんなことするのかな。今、こっちは大変なんだから!」
飛川さんのスマホから「ごめんねぇ」の声が漏れている。なんか……おばあちゃん、ごめんなさい。ボクは、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
スマホを切ると、真っすぐボクを見つめる飛川さん。その顔から、いつもの幼さが抜けている。
「忍の両親はね、岡山の人なの。だから、忍は岡山弁が抜けないの。方言が恥ずかしいってね、サヨちゃんと上手く話せなかったの……。忍はね、心を開いた人だけに、本当の自分を見せる子なの。私の知る限りでは、他には、わたしのオッツーだけね……」
「切ないですねぇ……」
「でも、私と違って、忍はビジュアルがいいから。サヨちゃんよりも、いい男が見つかるわ」
「そ、あ、いえ……なんでもないです」
あっぶねぇー、こっちも地雷だ。
「サヨちゃんが小説を書いたこと。それが、のんちゃんへのプレゼントだったこと。それは、忍も知っていたの。でも……のんちゃんへ、小説を届けに行ったことは知らなかったの……」
そのウラ事情をボクは知らない。
「で、忍が初めて動いたの。小四のことよ。サヨちゃんに、バレンタインのチョコを渡すんだって。だから、私の部屋でサヨちゃんの帰りを待っていると……」
飛川さんの視線が、広瀬さんの寝顔に移った。スヤスヤと眠る広瀬さんの顔は、まるで眠り姫のようである。
「で、どうしたんですか?」
「サヨちゃんが、のんちゃんから貰ったチョコをね。家に持って帰ってきたの。あれは最悪だった。オッツーと喜んで、チョコを食べている姿を忍に見られちゃって。私が目を離した隙に、忍が自分で用意した、バレンタインチョコを全部食べちゃったの。それが悲劇の始まりよ……」
「ちょっと待ってください。飛川さん、これはチョコの話ですよね?」
チョコで人は酔いません。胃もたれがいいところ。
「なるのよ。大人の味覚、ウィスキーボンボンなら」
「ウィスキーボンボン?」
それは……酔うかも。
「デパートで忍が『大人の男性に渡す』って相談したら、店員さんが選んでくれたらしいの。よりにもよって、ウィスキーボンボンを……高校生って言えばいいのに、忍も見栄を張ったのね」
こりゃ、好意が生んだ悲劇だな……。
「それで、どうなったんですか?」
「サヨちゃんは、のんちゃんに首ったけでしょ?」
ホントにゴメン、よく知らない。
「それに年齢の壁もあるから、私とオッツーのようにはねぇ」
おい、それは違うぞ。
「酔った忍は、サヨちゃんへの気持ちを吐き出した。サヨちゃんは、最後まで忍の話を聞いたの。その上で、のんちゃんへの想いを語ったの。サヨちゃんは、いい加減な対応をしなかった。忍はね、サヨちゃんにひとつだけお願いしたの」
「何をですか?」
「作家、飛川三縁のファンでいたい……って」
健気すぎて、ボクの方が泣きそうだ。
「だから、忍は本を売る……」
いい感じに……言いますね……。
ボクらは、広瀬さんの寝顔に目を落とす。しばしの間、しんみりとした時間が流れた。
「では。広瀬さんがクラスで喋らないのも、方言が原因ですか?」
「そうだお」
「最初はドキっとしますけど、気にせずに話せばよいのでは? 少なくとも、ボクは大丈夫ですけれど」
友だちだもの、気にしない。
「ありがとう。きいちゃんの気持ち、伝えておくね」
「よろしくお願いします」
「月読……」
広瀬さんが目覚めたようだ。しきりに目を擦っていると、玄関が賑やかになった。ドタドタドタ……。
「ちょっと、ちょっと、ちょっとぉ! 忍ちゃん、大丈夫?」
慌ただしく、二階堂ゆきさん登場。
「どうして、知ってるの?」
キョトンと、ゆきさんを見上げる飛川さん。
「おばあちゃんから、連絡があって。泣いてたわよ、ツクヨちゃんに怒鳴られたって、号泣よ。で───忍ちゃん、どうかな?」
ゆきさんが、広瀬さんのほっぺに手を当てた。広瀬さんは、ポーっとしている。
「だいぶん酔いは、醒めたみたいね。吐き気とかない?」
虚ろな瞳で長い髪をかき分けて、首を横に振る広瀬さん。
「じゃ、寝かせておけば復活するでしょう、奈良漬けだし。折角だからね、晩ご飯の用意をしよう」
ゆきさん、料理ができるのですか?
「黄瀬君、玄関の発泡スチロールの箱。キッチンまで持ってきて」
「は、はい」
キッチンで、発泡スチロールの蓋を開くと、中に大きなズワイガニが入っている。カニと言えば、お鍋でしょう?
「鍋にするには、白菜とネギが必要ですね。買って来ましょうか?」
ゆきさんの指示を仰ぐと、驚くべき回答が───
「なんで? これ、ズワイでしょ? だったら、カニしゃぶよ。ほら、出汁だって入ってるし。後は、ご飯があれば十分よ」
これが噂の贅沢の極み〝ゆっきースペシャル〟というやつか? ゆきさんは、大勢で賑やかな晩御飯が食べたくなると、高級肉、魚介類、人気スイーツ……。飛川家へ高級食材を持ち込むらしい。
大学のサークル仲間とでは幼児期から慣れ親しんだ、飛川家の雰囲気が出ないのだそうだ。若い男の前では気が抜けないとも言っていた。一応……ボクも若い男なのだけれど。
「じゃ、黄瀬君。ご飯を炊いて」
「え?」
ボクでいいのか?
「わたしはね。ご飯の炊き方、分かんない」
さらりとそんな発言ができるだなんて、さすがは良家のお嬢様。
「それじゃ、飛川さんは?」
「ツクヨちゃんに、ご飯を炊かせるつもり? 何て恐ろしいことを……」
ゆきさんがボクから目を逸らす。きっと、冗談ではないのだろう。
「ボクがやります!」
親指を立てて、ゆきさんが頷いた。
「忍ちゃん、お味噌汁にする? 赤だしにする? 二日酔いには、塩分大事よ」
ゆきさんが広瀬さんに向かって、インスタントの袋を振っている。どうやらこれが、ゆきさんの得意料理のようである。
「お味噌汁」
いつもの、広瀬さんらしい返事である。この調子なら、もう心配はなさそうだ。
「ボクは、ご飯の支度をしますね」
ボクは上着の袖をまくり上げ、ご飯を炊く準備に取りかかる。やったこと、まるでないけど。
コメント
ウイスキーボンボン買おうかなって思ったが、そういえばワシ、酒強かった(笑)
羨ましいのう……ワイは下戸や(汗)