五月、最後の金曜日。
太宰で攻めるか、それとも三島か。最近、川端文学にも興味湧く。この休みを利用して、古本屋めぐりもしてみたい。休日の読書に想いを馳せる。それが、ボクの楽しみなのだから、自然に顔がにやけてしまう……。
「ねぇ、きいちゃん」
後ろの席の飛川さんは、いつも笑顔で問いかける。至福の時間を邪魔されたボクは、悟られぬようにムッとした。
にしても……最近、釣りでもしたのだろうか? すっかり小麦色の肌になっちゃって。太陽の光を体に浴びて、パワーアップでもしたかのようだ。ただでさえパワフルなのに、飛川さんの戦闘力が増している。
「お休みの日。きいちゃんは、何をしているの? やっぱり、塾とかに通ってる?」
コトンと首を傾けて、飛川さんがボクに訊く……ま、まさか! これは、デートの誘いじゃあるまいな? それはダメだよ、飛川さん。あなたには尾辻正義という、ステキな彼氏がいるじゃないか。そんな誘いは、断固拒否だ。
「読書ですね」
気持ちを抑えて、素知らぬ顔で答えると、
「じゃ、決まりね」
なんだ、それ? ボクの同意を得ることもなく、軽々しく言いますね。
口角を上げた唇に白い八重歯を覗かせて、ギラリと輝く彼女の瞳は、これぞまさしく詐欺師の微笑み。その表情にボクは察した。きっと、よからぬ誘いに違いない。それにボクは身構える。
「明日の朝、九時に集合よ。場所はメールで知らせるね、約束よ」
「……は?」
約束も、承諾も、快諾すらも、した覚えはないのだが? ボクが否定を試みるや否や、華麗に先手を打つ飛川さん。
「忍、きいちゃんがいいって!」
刹那にボクがたゆたうと、長い髪をなびかせて、くるりと振り向く広瀬さん。そこはかとなく、甘い香りが広瀬さんから漂っている。
「そ、楽しみ」
飛川さんとは対照的な透けるような柔肌に、抗える男子がいるのだろうか?
「そ……そうだね」
絶妙なチームプレイだと知りつつも、同意してしまうボクである。まぁ……殺されて、海に沈められることはないだろう。そうだと信じたいボクがいた。
夕食を済ませ、風呂に入り、一息ついたところで、飛川さんからのメッセージ……というよりも、その内容は指示書であった。甘い言葉のひとつもない。せめて、こんばんは。そのひと言だけでも欲しかった。
───時は来たれり!
それから始まるメールには、地図と注意事項が記されている。集合場所は、海ではなくて山の中。服装は長袖の体操服で、タオルとエコバックを持参するようにと書いてある。つまり、それ以外は不明である。飛川さんと言えば海である。山と結びつかない混乱に、それってどうよ? と、ボクは思う。悶々とした夜をボクが過ごしたのは、これもまた、当然の帰結であった……。緊張して眠れない。
───翌朝。
メールの指示に従って、自転車を押して山道を歩く。眠い目を擦りながらも目的地に到着すると、そこに数人のお年寄りが集まっていた。お年寄りの輪の真ん中で、飛広コンビが立っている。
お揃いの白い長袖シャツにオーバーオール。頭には大きな大きな麦わら帽子。足にはこれまたお揃いの、赤い長靴を履いている。首には、戦隊ヒーローのようなゴーグルが……その重装備。これから何が始まるというのだろうか? 広瀬さんが、地面に何かの図を描いて、お年寄りに謎の説明をしているようだ。数学の授業のようで、そうでない。
「この実をAとします。隣の実をBとします。従って、この実はCとなります。該当しない実は、すべてXと位置づけます。枝の長さをLとすると、ひとつ節目を空けて摘果です。丸い実は、将来変形するので、Bに該当する実だとしても、それは容赦なく殺すように───」
容赦なく皆さんで、これから何を殺すのか? 不安を抱くボクに向かって、大きく手を振る飛川さん。今朝も元気で何よりだ。その元気さが実に不気味である。
「きいちゃん、おはよう。みんなで待ってたんだよぉ~」
「おはようございます、飛川さん」
その場にいた全員の視線が、もれなくボクに集まった。みんなの顔が綻んでいる。無表情の広瀬さんを除いては……。
「若いねぇ~、頑張れよ」
「ピチピチしてるねぇ~、お疲れさん」
「おうちはどこ?」
「飴ちゃん、食べる?」
優しい声の数々に、ボクは姉ちゃんと見たホラー映画。〝猫鳴村〟の冒頭シーンを思い出していた───こうやって、安心させられた主人公は、小さな村で悲惨な末路を辿るのだ。
お年寄りの優しい声と、飛川さんのキンキンボイス。それに加えて、ホトトギスの美しいさえずりだけが、山の中で響いている。状況がつかめないボクは、借りてきた猫のように、その場でオドオドするだけだ。
「じゃ、きいちゃんは忍に任せるわ。きいちゃんは、忍の指示に従ってね。それと、ヘビとイノシシには気をつけて」
「え?」
そう言って、飛川さんは林の中へと姿を消した。その後を、お年寄りたちがついてゆく。彼らを目で追うボクの耳元で、広瀬さんが囁いた。
「大丈夫、怖くない」
これからボクは、どうなるの?
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