後ろの席の飛川さん〝023 ボクに女子の気持ちは分かりません〟

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 ボクに冷たい視線を浴びせる広瀬さんとは対照的に、先生はなんてお優しい人なのだろう。桃の木の根元に置かれたクーラーボックスを指さして

黄瀬きせ君も、好きなのどれか選びなよ」

 ボクが、勝手に桃畑を抜け出したことには触れもせず、そう言ってくれるのだ。

「先生、ありがとうございます」

 クーラーボックスのふたを開くと、中にはコーヒー、紅茶、麦茶、スポーツドリンクにジュース……様々な飲み物が入っている。

 ヘビ騒動でカラカラに乾いたボクの喉は、迷うことなく麦茶を選ぶ。それを一気に飲み干すと、ボクは地面に腰を下ろした。休憩だ。

「さ、やろ」

 間髪入れずに、広瀬さんの声がする。

「え?」

 いくらボクが若くても、少しくらい休憩しないと、身が持たないと思うのだが?

「じゃ、お先に!」

 先生が脚立に足を掛け、摘果の再開をするようだ。渋々、ボクも立ち上がる。さっきといい、今といい。広瀬さんは鬼だと思う。

「……」

「……」

 涼しい顔で桃を間引き、ボクに無言のプレッシャーを与え続ける広瀬さん。静寂に支配された桃畑。そこに聞こえるのは、広瀬さんと先生が落とした桃の実が、ポトポトと地面に当たる音。そして、ホトトギスの鳴き声だけだ。心の中でボクはつぶやいていた。こいつは鬼だ、あんたは鬼だ、お前は鬼だ……広瀬忍は鬼なのだ。頭の中で、ボクはそれだけを繰り返す。

「広瀬さん……」

 続く無言に耐えきれず、口を開いたのはボクだった。

「何?」

 通常モードで答える広瀬さん。

「飛川さんのアレ。キュウリだった」

「知ってた」

 悪びれることなく、それ言うか? 再びボクは言葉を失う。

「黄瀬君」

 広瀬さんのターンが始まる。

「え?」

「袋がけだけじゃ、ここではモノにならないわ」

「は?」

 ここでモノになる必要性を、ボクはまったく感じていない。

「桃の実の殺し方、目で盗んで覚えてね」

 なんだ、こいつ。盗むって、江戸時代の大工かよ。

「努力します」

「よろしい」

 なんでだよ? 嫌な予感が脳裏を過る。これからずっと、広瀬さんのターンが続くのか? そんなの嫌だ。ボクは自力で、己の道を切り開く。

飛川ひかわさんのことだけど……」

 飛川さんは、コンビニで戦闘中だ。

「エリちゃんね」

 飛川さんのことならば、なんでも知ってる広瀬さん。

「今、コンビニで口喧嘩しているよ」

「いつものことよ」

 何もかも、お見通しって目でボクを見る。

「そうなん?」

「プロレスだもの」

 さっき、口喧嘩だと言ったでしょ? 殴り合いや、技の掛け合いなどしていない。

「プロレスって?」

月読つくよはオッツー、エリちゃんは彼ピ。互いに惚気のろけたいだけなのよ……滑稽こっけいね」

 そっか、そっか、そういうことか。そりゃ滑稽だ。ボクが共感していると、どこからともなく声がする。

「どうぉ、しって、おなかが、へるのかな? ケンカをすーると、へるのっ、かな♪」

 帰ってきた! これぞまさしく、飛川さんの歌声だ。ブンブンとレジ袋を振り回し、声高らかに〝お腹のへるうた〟を歌う飛川さん。とても空腹なご様子で、広瀬さんにこう言った。

「忍! 嘘はダメよ。めっ!」

 飛川さんは、ご立腹でもあるようだ。そこは安定の広瀬さん。たったのひと文字で身をかわす。

「そ」

「忍、ヘビはダメよ。ギリギリアウト」

 飛川さん、それ違う。完全にアウトだよ。

「そ」

 ここまでは、ノーダメージの広瀬さん。薄ら笑いを浮かべて、飛川さんが強烈な一撃を解き放つ。

「いくらサヨちゃんと、ふたりきりがよくったって……」

 いいのが入った! 刹那に、広瀬さんの眉間にシワが寄る。ボクは心の中でほくそ笑む。しめしめの流れである。

「だから?」

 出た、伝家の宝刀〝だから〟である。何もかもをリセットする、この三文字に勝てる男子をボクは知らない。だが、飛川さんはロックオンでもしたかのように、追従の手を緩めない。ボクは、次の一手に期待した。飛川さんお願いだ、もっとやれ!

「今年は人手不足なの。だから、人材が必要なの。この際、誰でもいいの! きいちゃんでも、いないよりはマシなのよ!」

 ちょっと待ってよ、飛川さん。今の一撃は、ボクにいいのが入りました。ボクのメンタル、大火傷おおやけど……。

 すかさず、一文字ですべてを語る、胆力たんりょくモンスターからのカウンター。桃畑に熱風が駆け抜ける。

「ぬ」

 ……ぬ? この意味が、ボクには分からない。〝ぬ〟とはいったい、なんなのか? 今か今かと、飛川さんの返しを待っていると───遠い山の向こうから、正午を知らせるエーデルワイスが鳴り響き、桃の畑にひとりの天使が舞い降りた。

「三縁さ~ん! お昼ですよぉ~」

 あの声は、うるわしの早川さん!

 脚立の上の先生に向かって、早川さんが大きく手を振ると、先生も笑って手を振り返す。昼ドラか? 連続テレビ小説ですか? もう、ふたりとも───ご結婚されたらどうですか?

「チッ! 女狐めぎつねめっ!」

 この舌打ちは、広瀬さん。泥棒猫の次は、女狐か……。余程、早川さんが気に入らないのだろう。不機嫌な顔でゴーグルを外し、上着を脱いで〝蒸着じょうちゃく〟を解除すると、中から美少女が飛び出した。パッとその場が輝いて見える。その輝きに、勿体ないなとボクは思う。

 広瀬さんほどの美貌があれば、より取り見取りで彼氏なんて作れるだろうに。実際、男子生徒からの人気は、群を抜いて校内トップクラスなのだから。

 これは〝とにかく女子にモテたい男〟二組の中原君から得た情報だ。つまり、そこまで先生に執着しなくとも、広瀬さんは楽しい中学生活をエンジョイできる身分である。ルッキズム(外見至上主義)の頂点に君臨できる容姿を持ちながら、どうしてそれを有効利用しないのか?

 一途いちずと呼べば美しくも聞こえるだろう。だが、その一途さが、ボクにはとても不憫に思えた。そして、ボクは思うのだ。先生のことなど諦めて、広瀬さんは未来の扉を開けばよいのにと……。

「わーい!」

 耳に飛び込む声の主は、無邪気に重箱の蓋を開ける飛川さん。てか……それは、先生のために早川さんが用意したお弁当じゃないですか? 飛川さんが先生の姪っ子だとて、あまりにもそれは、早川さんに対して失礼ではなかろうか?

 そんな飛川さんの隣で、平然とおむすびを頬張る広瀬さん。一途とは、なんなのか? ボクには女子の気持ちが分からない。

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