真っ赤な夕陽に照らされた、高い高いのシルエット。
広瀬さんの写真には、幼き頃の飛川月読が写っていた。尾辻さんの肩の上、桃の実に袋をかける飛川さん。夕焼け空と黒い影。その幻想的なコントラストが、ボクの想像力を刺激する。
「オッツー、右」
「あいよ」
「もうちょい、上」
「あいよ」
仲睦まじい、ふたりの姿が目に浮かぶ。父娘、兄妹、恋人……そして、未来の夫婦。このふたりには、すべての言葉が当てはまる。きっと、前世も、現世も、来世だって……写真が放つ幸せのオーラが、ボクをそう思わせてしまうのだ。
ふたりは、この夕暮れを何度も繰り返したのに違いない。繰り返す幸せ……その言葉と共に、彼女の自己紹介を思い出す。
「私の将来の夢は、オッツーの花嫁になります!」
中学生と社会人。ふたりには、立場の壁と年齢の壁があるのだけれど、飛川さんの夢が叶うといいな───
「あの写真の飛川さんは、いくつかな?」
桃の摘果の帰り道。ボクは広瀬さんに問うてみる。
「六つか、七つ」
「幼稚園くらかと思ってた」
「ぷ」
広瀬さんが、クスクス笑う。
「今だって、月読は小学生みたいじゃない」
それは……そうではあるけれど、ボクの口からは言えないセリフだ。ボクの隣の広瀬さんは、いつもと違って穏やかだ。
「はなよめは……あの桃は。今年、ネットで販売するの。あの写真は、フロントページに使うのよ。ネットショップは、桜木君が作ってくれた」
桜木さんは、神なのか?
「それ、いいよ。すごく、いい。ところで、あの写真。広瀬さんが撮ったの?」
「サヨちゃん」
誇らしげな顔で、広瀬さんがボクに言う。あっちもあっちなら、こっちもこっち。広瀬さんだって、幸せになってほしいけど、恋敵が早川さんとなると……可能性は、ほぼゼロだ。でもそれも、ボクの口から言えないセリフだ。
「サヨちゃんがね、月読のために物語を書いてくれるの」
「え?」
飛川三縁ファンとしては、そっちを先に言ってほしかった! 先生の話題になると、蒸着ならぬ、饒舌になる広瀬さん。
「桃の商品名も決まっているの。サンセット・プリンセス。月読が決めた名前よ」
「黄昏姫……かな?」
「サヨちゃんは、夕姫だって。その題名で書いてくれるの」
「何をでしょう?」
「決まってるでしょ、小説よ」
先生は夕姫に、どんな物語を紡ぐのだろう。俄然、興味が湧いてきた。
「って、ことは───書籍化とかするのかな?」
「できない」
飛川先生はプロの小説家。ボクには〝できない〟の意味が理解できない。
「どうして?」
「飛川三縁として書かないからよ。プロ作家は不自由なの。飛川三縁を自分勝手にできないの」
出版社の手前……ということか。
「飛川三縁とは、別の名前を使うってこと?」
「そ、覆面作家」
「もう、決まってるの?」
「〝無名〟と書いて、〝むみょう〟と読む」
なんか、微妙だ……先生の雰囲気から察すれば、小泉八雲っぽい響きが合ってるのに……素直に喜べないボクである。
「サヨちゃんは、もう一度。何者でもない自分として、新たな物語を書くそうよ」
先生にも、思うところがあるのだろう。ボクは、新作〝夕姫〟に期待した。
交差点の信号待ちで、広瀬さんが話題を変えた。
「黄瀬君、明日も来る?」
ボクとしては、一度きりかと……。
「明日も来てね。野菜もたくさんあげるから」
広瀬さんが、広瀬さんらしからぬ顔をした……これは、何かの罠なのか? そういえば、勝手に野菜を持って帰って、後で怒られたりしないだろうな? そっちの方も心配だ。
「あれ、いいの? こんなにたくさん……」
ボクは広瀬さんのキャリーバックをチラ見した。
「い。だって……」
広瀬さんの眉間にシワが寄り、予想外の言葉が飛び出した。
「この野菜たちは、捨てるのよ!」
こんなに立派な野菜を捨てるとは!
「イチゴも?」
イチゴを捨てるバカなどいない!
「そ!」
「マジか? 広瀬さん!」
「マジよ、黄瀬君!」
これからボクは、農家の闇を知ることになる。
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