後ろの席の飛川さん〝027 広瀬さんの変身と蒸着の違いとは? 〟

小説始めました
この記事は約3分で読めます。

 桃畑の二日目は、心身ともに最悪だった。全身がだるくて痛くて……もう、お家に帰りたい。

「きいちゃん、おはよう!」

 脚立を担いだ飛川ひかわさんが、ボクの前を駆けてゆく。昨日といい、今日といい。彼女は人類最強の生物か?

「この桃をAとします……」

 広瀬さんは、お年寄りたちの輪の中で、桃の摘果のレクチャー中だ。これ、毎回やってるの? にしても……日差しが痛い。

 今朝の天気予報では、全国的に今年最高気温になるらしい。立っているだけでも汗ばむ陽気だ。いそいそと、ボクは桃の木陰に避難する。倒れでもしたら、割に合わない。熱中症への恐怖心がそうさせた。

「きいちゃーん!」

 広瀬さんのレクチャーが終わると、ボクに駆け寄る飛川さん。胸に何かを抱いている。

「これ、これ」

 ニヤニヤしながら、ボクに謎のベストを手渡した……クソ暑いのに、これを着ろと? 飛川さんは、本気でボクを殺す気か?

「こうやって、使うのよ」

「そ」

 ボクの目の前で、ベストを着た飛広コンビが、声をそろえてつぶやいた。

「「変身!」」

 ブーンという異音と供に、ふたりのベストが膨らんだ。てか、広瀬さん。クールに決めたのはいいけれど、昨日の〝蒸着〟は、どこいった?

「これ、空調服って言うんだよ。これで暑さを、しのぐのじゃ!」

 くるりと回った飛川さんが、腰のあたりを指さした。異音の主は、ふたつの小さな扇風機。この程度で、涼しくなるとは、お釈迦しゃかさまでも思うまい……。

「これ、重いだけじゃ……」

 ボクの声を遮るように、広瀬さんの声が飛ぶ。

「黙って、着ろ!」

 広瀬さんは、安定の無表情。彼女との心の距離は、夜明けと共にリセットされているようである。

「う……うん」

 ベスト羽織ると広瀬さんが、ボクの前ファスナーを、グイッと首まで引き上げた。

「きいちゃん、スイッチはここ。入れてみて」

 飛川さんの指示どおり、ボクがスイッチを入れるや否や

「スイッチ切る! もう一度」

 語尾を強める広瀬さん。美人の真顔が恐ろしい……。

 広瀬さんは、どうやらボクに〝変身〟と言わせたいらしい。そうは、いかない。何を言おう……ボクがもたもたしていると、飛川先生がやってきた。

黄瀬きせ君。それ、似合ってるね」

 先生に褒められると、なんでもうれしいボクである。

「ありがとうございます、先生」

「じゃ、今日もよろしく」

「はい!」

 歩きながら先生が、空調服のスイッチを入れた。

「蒸着!」

 やっぱりだ! 即座にボクは問うてみる。

「先生、若さってなんですか?」

「振り向かないことさ」

 続けて広瀬さんにボクは問う。

「広瀬さん、愛って何?」

「ためらわないことよ」

 確定だ。

 この質問は、宇宙刑事のオープニングソングの歌詞からである。こんなこともあろうかと、昨晩、ネットで調べていたのだ。先生はライダー派ではなく、宇宙刑事派なのである。これで、〝蒸着〟の謎が解けた。なんだかんだ言いながらも、広瀬さんも恋する乙女。可愛いところがあるじゃないか。

 そんなことなど、どこ吹く風で、飛川さんがボクに言う。

「きいちゃんは、今日からお年寄りチームだお」

───なななななな、なんだって!

「え?」

 心細い展開に、ボクの心はたゆとうた。

「黄瀬君は月読つくよチーム。私はサヨちゃんと一緒」

 昨日とは打って変わって、美しい笑顔を浮かべる広瀬さん。そうなのか? そうなんだ……そんなにボクが、邪魔なのか? ボクの心は複雑だ……。

コメント