桃畑の二日目は、心身ともに最悪だった。全身がだるくて痛くて……もう、お家に帰りたい。
「きいちゃん、おはよう!」
脚立を担いだ飛川さんが、ボクの前を駆けてゆく。昨日といい、今日といい。彼女は人類最強の生物か?
「この桃をAとします……」
広瀬さんは、お年寄りたちの輪の中で、桃の摘果のレクチャー中だ。これ、毎回やってるの? にしても……日差しが痛い。
今朝の天気予報では、全国的に今年最高気温になるらしい。立っているだけでも汗ばむ陽気だ。いそいそと、ボクは桃の木陰に避難する。倒れでもしたら、割に合わない。熱中症への恐怖心がそうさせた。
「きいちゃーん!」
広瀬さんのレクチャーが終わると、ボクに駆け寄る飛川さん。胸に何かを抱いている。
「これ、これ」
ニヤニヤしながら、ボクに謎のベストを手渡した……クソ暑いのに、これを着ろと? 飛川さんは、本気でボクを殺す気か?
「こうやって、使うのよ」
「そ」
ボクの目の前で、ベストを着た飛広コンビが、声をそろえて呟いた。
「「変身!」」
ブーンという異音と供に、ふたりのベストが膨らんだ。てか、広瀬さん。クールに決めたのはいいけれど、昨日の〝蒸着〟は、どこいった?
「これ、空調服って言うんだよ。これで暑さを、しのぐのじゃ!」
くるりと回った飛川さんが、腰のあたりを指さした。異音の主は、ふたつの小さな扇風機。この程度で、涼しくなるとは、お釈迦さまでも思うまい……。
「これ、重いだけじゃ……」
ボクの声を遮るように、広瀬さんの声が飛ぶ。
「黙って、着ろ!」
広瀬さんは、安定の無表情。彼女との心の距離は、夜明けと共にリセットされているようである。
「う……うん」
ベスト羽織ると広瀬さんが、ボクの前ファスナーを、グイッと首まで引き上げた。
「きいちゃん、スイッチはここ。入れてみて」
飛川さんの指示どおり、ボクがスイッチを入れるや否や
「スイッチ切る! もう一度」
語尾を強める広瀬さん。美人の真顔が恐ろしい……。
広瀬さんは、どうやらボクに〝変身〟と言わせたいらしい。そうは、いかない。何を言おう……ボクがもたもたしていると、飛川先生がやってきた。
「黄瀬君。それ、似合ってるね」
先生に褒められると、なんでもうれしいボクである。
「ありがとうございます、先生」
「じゃ、今日もよろしく」
「はい!」
歩きながら先生が、空調服のスイッチを入れた。
「蒸着!」
やっぱりだ! 即座にボクは問うてみる。
「先生、若さってなんですか?」
「振り向かないことさ」
続けて広瀬さんにボクは問う。
「広瀬さん、愛って何?」
「ためらわないことよ」
確定だ。
この質問は、宇宙刑事のオープニングソングの歌詞からである。こんなこともあろうかと、昨晩、ネットで調べていたのだ。先生はライダー派ではなく、宇宙刑事派なのである。これで、〝蒸着〟の謎が解けた。なんだかんだ言いながらも、広瀬さんも恋する乙女。可愛いところがあるじゃないか。
そんなことなど、どこ吹く風で、飛川さんがボクに言う。
「きいちゃんは、今日からお年寄りチームだお」
───なななななな、なんだって!
「え?」
心細い展開に、ボクの心はたゆとうた。
「黄瀬君は月読チーム。私はサヨちゃんと一緒」
昨日とは打って変わって、美しい笑顔を浮かべる広瀬さん。そうなのか? そうなんだ……そんなにボクが、邪魔なのか? ボクの心は複雑だ……。
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