いつもの屋根で家康はくつろいでいた。この一帯が家康の縄張りであり、見張りをするのに丁度いいのだ。そこのブロック塀の上、高々と尻尾を上げて歩く白い猫───ケイテイか……。家康は、ぼんやりとケイテイの姿を眺めていた。
「なぁ、家康ぅ~」
聞いたような声の先に、見たことあるような茶トラがいた……誰だっけ?
「馴れなれしいやんか? わけぇ~の。お前、誰だっけ?」
思ってもみない言葉に、信長は驚いた。
「ほら、あそこ。白猫の名前を教えてくれたやろ? どんだけ、高齢やっつーたって。二、三日前のことくらい覚えてるやろ? な、そんな目で俺を見るなよぉ~ 家康ぅ~」
信長は寂しげな瞳で家康を見つめた。
二、三日前?……ケイティ?……ん? 家康は頭の中で連想ゲームを開始する。そして、とある結論へとたどり着く。そうだった、そうだった。そんな顔である。
「覚えてるでぇ~! お前、秀吉だろ?」
「信長じゃ!」
信長のツッコミに、家康は再び悩む。深く深く悩み始めた。
「最近、物忘れが酷くなってなぁ……ごめんな、秀吉」
「だから信長やて、ゆーておろーがっ」
二度の間違いに信長は不安になる。ひょっとして、このおっさん……ケイティちゃんの名前もガセじゃないのか? 家康の言葉を疑い始める……当然だ。
「ところでお前、いくつになった? 秀吉」
家康が信長に訊く。
「もうすぐ、ひとつやけど……家康はいくつ? それと俺、信長な」
「ワイは九つや……と……思うで。尻尾はまだ一本やからな」
わっちゃー! この、おっさん。自分の年も分からんのか? 家康の曖昧な態度に、信長の不安は高まるばかりだ。とはいえ、猫は猫である。信長の興味はケイテイへ向かう。
「ひゃ~! 何度見ても、えぇ~女やな。ぜったい、あの子を嫁にする! なぁ、家康ぅ。俺、ケイテイちゃんを見る度に、エモい気持ちになるんやで」
信長はケイテイから視線を外さない。恋しさと、切なさと、寂しさが入り混じった表情で……そう、これは恋である。そんな信長に家康は問う。
「なぁ~信長。エモいって、なんや? 食えるんか?」
信長は思う……マジでこいつは……。
「エモいは、エモいや。知らんのか? そっかそっか、家康は九つやもんな。若者言葉は分からんやろな そして、ようやく俺の名を呼んでくれてありがとう」
信長の態度に家康はカチンときた。
「だったら、説明してみいや? 秀吉! エモいとは、なんぞや?」
「信長じゃ!」
信長は一瞬考えた。エモいとは……何か? 何を見ても、何を感じても、信長は「エモい」と言っていた。そう、信長の使う言葉の大半が「エモい」と「ヤバい」で構成されていたのだ。それに信長は気づいてしまう。
「エモいつーのはな、エモいつーことじゃ」
上手く説明できない信長は、ごまかし作戦に打って出た。これは偉い人が使う論法だ。なぁ~に……鳥でも鳴き始めたら、家康の意識もそっちへ向かうだろう。それが猫なのだから。
「なんやそれ? お前のオツムはレジ袋か? そんな言葉じゃ逃さへんでぇ~!」
信長は粛々と、鳥のさえずりを待っている。それさえあれば、潮目は変わる。その一方で、家康の言葉の煽りが止まらない。
「信長よ、お前の中の語彙の限りを尽くして説明してみせぇ~!」
家康の剣幕に、信長の顔がキョトンとしている。
「家康ぅ。ゴイってなんや?」
え? そっち……。信長の返事に家康はがっかりした。
「はぁ? 語彙つーのはな、語彙ってことやろ? アホか? お前」
「家康だってレジ袋やん?」
「ならば質問を変えようか、信長。レジ袋とはなんぞや?」
「……」
この問答が、数時間に渡り行われた。無意味な問答にも疲れ果て、夕焼け空を眺める二匹。瓦屋根を優しく包む赤い光と黒い影。その下で、猫の姿を指さすJKの姿があった。
「ねぇ、アケミちゃん。あの猫ちゃんたちから、哀愁が漂って見えるわ……茶トラの子、キジトラの子に恋の悩みでも相談していたのかしら……」
「そうかもね。あれは確かに……エモいわね」
こう使う。
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