後ろの席の飛川さん〝029 トビちゃん、バーベキューに散る〟

小説始めました
この記事は約4分で読めます。

 これは、松坂ですか? 飛騨ですか?

 半分に切ったドラム缶。その中で、備長炭びんちょうたんが燃えている。炭火の上には、大きな大きな網があり、整然と、それでいて丁寧に、びっしりと並んだ肉の列───

 飛川ひかわさん。これ、スマホで撮ってもいいですか? その豪華さに、呆気にとられるボクである。

 日曜日の昼下がり。今日の作業を終わらせて、桃畑はバーベキュー会場さながらだ。参加者は、ボクと先生。そして、飛広コンビの四名である。ボクとしては、早川さんの不参加が残念だ……。

「きいちゃんが、今日の主役よ!」

 飛川さんの話では、これはボクの歓迎会。大量の高級肉と飲み物は、ゆきさんからの差し入れだそうだ。こんなことまでしてもらって、いいのかな? と、ボクは思う……。

 さりとて、ゆきさんからの差し入れは、厳選された肉であるのに違いない。霜降り肉から漂う風格が、スーパーのそれとは別格だ。

 ジュージューと、肉汁と炭火が奏でるハーモニー。その音色と相まって、白い煙が放つ香りが、飛広コンビに火をつけた。

「「時は来たれり!」」

 ふたごのように声をそろえ、遠山か? それとも、大岡か? トングを離さぬ、肉奉行。手慣れた手つきで肉を焼き、見事な箸さばきで胃袋へ。次から次へと手品のように、焼けた肉が消えてゆく。

 飛広コンビは、ひと言も喋らず、口がもぐもぐ動くだけ……だがしかし、その手は絶え間なく働き続ける。私は用意周到よういしゅうとうな女ですもの。そう主張でもするかのように、肉が消えた空間に、新たな肉が補充され、網の上にはいつだって、常に肉がある状態だ。その手際のよさたるや、相撲部屋でも敵うまい。

 こいつらは、どこの部屋の小兵だよ?

 ボクはというと、四つ星シェフ気分で吟味した、肉の焼き上がりを待っていた。ボクの選んだトビちゃんが、もう少しで焼き上がる……きっと、口の中でとろけるはずだ。至福の時は、すぐそこに。

 かわやのマブダチ、中原君から借りた本。そのヒロインの名を肉につけ、今か今かと、焼き上がりを待っていると、肉しか見えない飛広コンビの背後から、野太い声が飛んできた。

「やってんねぇ~! ツクヨっち」

 声の主は、尾辻さん。大きな手のひらが、飛川さんの頭を撫でている。

「私のオッツー!」

 その顔を見るや否や、尾辻さんの太い腕にしがみつき、ふにゃり顔になる飛川さん。オッツー、オッツー……興奮した飛川さんの甲高い声が止まらない。

 小兵改め。こいつは、セミか?

「じゃ、オレも!」

 紙皿を手にした尾辻さんが、小兵の間に割り込むと

「これ、どうぞ」

 飛川さんが、しれっとボクのトビちゃんを連れ去った!

「これ、うめーな。焼き具合が最高じゃん! 肉が口の中でとろけたよ」

 そりゃそうでしょう! ボクが焼いた肉だもの。

「でしょ、でしょ。月読つくよ、きっとそうだと思ったの」

 こいつの笑顔が憎らしい。

 ささやかな、ボクのお昼の楽しみが、今は尾辻さんの口の中……あんぐりと口を開け、何も言えないボクである。がっかりだ。

「黄瀬君も、しっかり食べないと大きくなれないぞぉ~」

 肩を落とすボクの紙皿に、先生が肉を入れた。

「ありがとうございます」

 飛川先生、ボクはアナタについて行きます! 心の中で手を合わせ、そう思うボクである。

 にしても……目の前で肉を頬張る三人は、戦闘民族ではなかろうか? 彼らの食べっぷりを見ているだけで、ボクの食欲が奪われる。フードファイトを見ているように、食べてないのに、食べた気になってしまうのだ。

「ごちそうさん」

 その思いは同じようで、早々に食事を終えた先生は、桃の木陰に腰を下ろすと、ボーッと空を眺めている。先生の後を追うように、ボクも食事を切り上げた。

「先生。お隣、いいですか?」

「構わんよ」

 先生の隣に座ると、妙に気分が落ち着いた。リラックスしたボクは、素朴な疑問を問いかけた。先ずは、軽い質問からである。

「飛川さんの背中にぶら下がっている、大きなトンボのおもちゃはなんですか?」

「あ、あれはオニヤンマ君。虫除けだね。蚊とかスズメバチとか、寄ってこないらしいよ。イチロさんにもらったらしい」

 釣りの時にも思ったけれど、イチロさんとは、誰なのか?

「イチロさん?」

「あぁ、イチロさんは俺のじいちゃんだ」

「そうなんですね」

 なるほど、なるほど。謎がひとつ解けた。それでは本丸といきましょう。

「ところで先生。昨日は、会員カードありがとうございます。邂逅かいこうとは、どんなお店ですか?」

 ゆっくりと、先生の目が雲を追う。

「邂逅は、読書好きが集いしカフェだから、なんだか敷居が高くてね。俺、読書苦手だし……」

 それは確かに、先生のブログの中にも書いてある。

「本が好きな黄瀬君になら、ぴったりかなと思って……気に入ってもらえると、うれしいけどね。きっと、一途いちずさんなら喜ぶよ」

「一途さん?」

「邂逅のオーナーだよ。彼女はね……」

 目を細めて先生は、カフェ・邂逅の話を始めた。そこは小説家の語りである。細かな情景描写が目に浮かぶ。寂しいような、悲しいような……そこに隠れた行間を、ボクはなんとなく感じ取っていた……。

 七月最初の金曜日。僕は、真相を知ることになる。

コメント