これは、松坂ですか? 飛騨ですか?
半分に切ったドラム缶。その中で、備長炭が燃えている。炭火の上には、大きな大きな網があり、整然と、それでいて丁寧に、びっしりと並んだ肉の列───
飛川さん。これ、スマホで撮ってもいいですか? その豪華さに、呆気にとられるボクである。
日曜日の昼下がり。今日の作業を終わらせて、桃畑はバーベキュー会場さながらだ。参加者は、ボクと先生。そして、飛広コンビの四名である。ボクとしては、早川さんの不参加が残念だ……。
「きいちゃんが、今日の主役よ!」
飛川さんの話では、これはボクの歓迎会。大量の高級肉と飲み物は、ゆきさんからの差し入れだそうだ。こんなことまでしてもらって、いいのかな? と、ボクは思う……。
さりとて、ゆきさんからの差し入れは、厳選された肉であるのに違いない。霜降り肉から漂う風格が、スーパーのそれとは別格だ。
ジュージューと、肉汁と炭火が奏でるハーモニー。その音色と相まって、白い煙が放つ香りが、飛広コンビに火をつけた。
「「時は来たれり!」」
ふたごのように声をそろえ、遠山か? それとも、大岡か? トングを離さぬ、肉奉行。手慣れた手つきで肉を焼き、見事な箸さばきで胃袋へ。次から次へと手品のように、焼けた肉が消えてゆく。
飛広コンビは、ひと言も喋らず、口がもぐもぐ動くだけ……だがしかし、その手は絶え間なく働き続ける。私は用意周到な女ですもの。そう主張でもするかのように、肉が消えた空間に、新たな肉が補充され、網の上にはいつだって、常に肉がある状態だ。その手際のよさたるや、相撲部屋でも敵うまい。
こいつらは、どこの部屋の小兵だよ?
ボクはというと、四つ星シェフ気分で吟味した、肉の焼き上がりを待っていた。ボクの選んだトビちゃんが、もう少しで焼き上がる……きっと、口の中でとろけるはずだ。至福の時は、すぐそこに。
厠のマブダチ、中原君から借りた本。そのヒロインの名を肉につけ、今か今かと、焼き上がりを待っていると、肉しか見えない飛広コンビの背後から、野太い声が飛んできた。
「やってんねぇ~! ツクヨっち」
声の主は、尾辻さん。大きな手のひらが、飛川さんの頭を撫でている。
「私のオッツー!」
その顔を見るや否や、尾辻さんの太い腕にしがみつき、ふにゃり顔になる飛川さん。オッツー、オッツー……興奮した飛川さんの甲高い声が止まらない。
小兵改め。こいつは、セミか?
「じゃ、オレも!」
紙皿を手にした尾辻さんが、小兵の間に割り込むと
「これ、どうぞ」
飛川さんが、しれっとボクのトビちゃんを連れ去った!
「これ、うめーな。焼き具合が最高じゃん! 肉が口の中でとろけたよ」
そりゃそうでしょう! ボクが焼いた肉だもの。
「でしょ、でしょ。月読、きっとそうだと思ったの」
こいつの笑顔が憎らしい。
ささやかな、ボクのお昼の楽しみが、今は尾辻さんの口の中……あんぐりと口を開け、何も言えないボクである。がっかりだ。
「黄瀬君も、しっかり食べないと大きくなれないぞぉ~」
肩を落とすボクの紙皿に、先生が肉を入れた。
「ありがとうございます」
飛川先生、ボクはアナタについて行きます! 心の中で手を合わせ、そう思うボクである。
にしても……目の前で肉を頬張る三人は、戦闘民族ではなかろうか? 彼らの食べっぷりを見ているだけで、ボクの食欲が奪われる。フードファイトを見ているように、食べてないのに、食べた気になってしまうのだ。
「ごちそうさん」
その思いは同じようで、早々に食事を終えた先生は、桃の木陰に腰を下ろすと、ボーッと空を眺めている。先生の後を追うように、ボクも食事を切り上げた。
「先生。お隣、いいですか?」
「構わんよ」
先生の隣に座ると、妙に気分が落ち着いた。リラックスしたボクは、素朴な疑問を問いかけた。先ずは、軽い質問からである。
「飛川さんの背中にぶら下がっている、大きなトンボのおもちゃはなんですか?」
「あ、あれはオニヤンマ君。虫除けだね。蚊とかスズメバチとか、寄ってこないらしいよ。イチロさんにもらったらしい」
釣りの時にも思ったけれど、イチロさんとは、誰なのか?
「イチロさん?」
「あぁ、イチロさんは俺のじいちゃんだ」
「そうなんですね」
なるほど、なるほど。謎がひとつ解けた。それでは本丸といきましょう。
「ところで先生。昨日は、会員カードありがとうございます。邂逅とは、どんなお店ですか?」
ゆっくりと、先生の目が雲を追う。
「邂逅は、読書好きが集いしカフェだから、なんだか敷居が高くてね。俺、読書苦手だし……」
それは確かに、先生のブログの中にも書いてある。
「本が好きな黄瀬君になら、ぴったりかなと思って……気に入ってもらえると、うれしいけどね。きっと、一途さんなら喜ぶよ」
「一途さん?」
「邂逅のオーナーだよ。彼女はね……」
目を細めて先生は、カフェ・邂逅の話を始めた。そこは小説家の語りである。細かな情景描写が目に浮かぶ。寂しいような、悲しいような……そこに隠れた行間を、ボクはなんとなく感じ取っていた……。
七月最初の金曜日。僕は、真相を知ることになる。
コメント