後ろの席の飛川さん〝030 オッツーが、足りなくて……〟

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 今日は、全国的に月曜日である。

「……」

 後ろの席の飛川さんは、ぐったりしていて、今朝は元気がなさそうだ。昨日、尾辻さんとはしゃぎすぎて、エネルギーが切れたのか? ボクは、飛川さんに問いかけた。

「おはようございます、飛川さん。昨日はありがとうございました」

 飛川さんは無反応。机に突っ伏して、ぐでっとしている───あの後で、尾辻さんと喧嘩した? 空蝉うつせみのような彼女が心配になるボクである。

「オ……オッツーが……」

「尾辻さんが?」

「……キレた」

 キレた? つまり、尾辻さんが、怒ったってこと?

「は?」

「オッツーが……」

 飛川さんが、同じ言葉を繰り返す。

「はぁ」

「足りないの」

 なんだそれ?

 怪しい薬じゃあるまいに。キレたの足りないのって、意味不明な物言いだ。

「でも……昨日、会ったばかりですよね? あんなに楽しそうだったじゃないですか」

 でも今は、飛川さんを励まそう。すると、前の席の広瀬さんが、ボクらの会話に割り込んだ。

「二日酔いよ」

 二日酔い……奈良漬け事件の広瀬さんが言うと、妙に説得力があるのだが。

「いやぁ~だって。昨日は楽しそうだったじゃん?」

 ボクは反論を試みる。

「幸せはね。絶頂を迎えると、そこからは下り坂しかないものよ。でも、大丈夫。月読はバカだから。三分もすれば、忘れるわ」

 何それ、哲学?

 広瀬さんの言葉には、そこはかとない真理があった。バカは余計だと思うけど……。

「ねぇ、きいちゃん……」

 蚊の鳴くような声の飛川さん。

「私にね、赤ちゃんができて……忍にも赤ちゃんができて……きいちゃんは分からないけど、もしも……そんな日がきたら。また、桃の畑でバーベキューしようね……」

 ボクの未来は、コウノトリとは無縁らしい……未来への希望を言い残し、机に顔を伏せる飛川さん。その文言たるや、もはや遺言のようである。小さな飛川さんの後頭部を眺めながら、彼女の邪魔にならぬよう、スマホのタイマーをセットする。三分、三分……。

───三分後。

「ねぇ、きいちゃん!」

「はい」

 広瀬さんの予告どおり、後ろの席の飛川さんが、いつもの笑顔で問いかける。

「これは、なんですか?」

 そう言って、ボクにスマホをかざす飛川さん。

「飛川さんご自身の写真です」

「……」

 飛川さんが、無言でスマホをタップする。

「じゃ、これは?」

 これは、うるわしの早川さん。その写真だけでもボクにくれ!

「うる……早川さんです」

「そういうことじゃないの!」

 どういうことだよ?

「もう一度」

 そう言って、ボクの鼻先にスマホをかざす飛川さん。

「この髪型は?」

 今度は具体的な質問だ。

「おかっぱです」

「やっぱり……」

 不満たっぷりの腑に落ちない顔つきだ。

「じゃ、こっちは?」

 これは、麗しの早川さん。

「ボブカットです」

「きいちゃん。頭、大丈夫?」

 なんでだよ?

 飛川さんは、どちらも同じ髪型だと主張する。だが、誰に訊いても同じ答えなのだとか。言われてみれば、ふたりの髪型は同じである。でも、違う。上手く言えないけれど、決定的な何かが違う……。

「きいちゃん、なんで?」

「……」

「おかしくない?」

「……」

 飛川さんに詰問されても、明確な回答を見いだせず、ボクは広瀬さんに助けを求めた。広瀬さんなら、きっと明確な答えを持っているのに違いない。飛川さんとは、幼少期からの付き合いなのだ。

「少しだけ、スマホを貸してくれますか?」

 飛川さんを傷つけぬよう、対策を講じるボクである。

「いーよぉー、ほい!」

「ありがとうございます」

 飛川さんからスマホを受け取り、広瀬さんに問うてみる。

「広瀬さん。ちょっと、いい」

 広瀬さんが、いつもの真顔で振り返る。すると、たなびく黒髪の隙間から、爽やかな香りが広がった。可憐で優美。この表現がぴったりだ……外見だけは。

「何?」

「これは、なんでしょう?」

 ボクが飛川さんの写真を見せると

「バカ」

 一刀両断とは、このことだ。

「は?」

 広瀬さんは、眉ひとつ動かさない。

「じゃぁ、これは?」

 次の画像は、早川さん。彼女の美しさは神々しい。顔のパーツの黄金比たるや完璧だ。

「化けぎつね

「え?」

 一片の迷いなく、彼女は真っ直ぐな目でボクを見る。

「……」

 それに納得できないボクである。無言で抗議の意を示す。

「じゃ、女郎蜘蛛じょろうぐも

 じゃ……って。

 広瀬さんに頼ったボクこそが、バカだった……。

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