後ろの席の飛川さん〝033 超絶ちゃん、爆誕!〟

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 〝まだ見ぬキミへ〟を手に取って、表紙を捲る一途いちずさん。その眼差しは、遠恋人えんれんびとを想うような、愛しさに溢れていた。その振る舞いに、ボクは確信した。彼女は作者を知っているのだと。

黄瀬きせ君、お茶にしよう。なんにする? なんでもあるよ」

 ボクの期待に反して、一途さんがメニューを見せる。

「できましたら……カルピスを」

 そう、ボクはカルピス派。夏はカルピスだと決めている。

「へぇ、カルピスかい? 可愛いじゃないか……そこの椅子に座って、少し待ってな」

「はい」

 受付カウンターの前には、五つの椅子が並んでいる。ボクが腰を下ろすのを確認すると、一途さんは、受付の奥の部屋へと姿を消した。そこに厨房があるのだろう。

 カタっと冷蔵庫を開く音。ジャーッと蛇口から流れる水の音。カランと氷がグラスに触れる音。やがて、音がピタリと止まる……いや、違う。

「……」

 静寂の厨房から、変な音が漏れている。それは、すすり泣くような声のような……。

 手持ち無沙汰に、ボクはスマホの電源を入れて絶句した。不在着信が十件を超えてる。その数にボクは恐怖した。陰キャなボクに、こんなに大量の電話だなんて……そんなことなど、あり得ない。

 恐る恐る、着信履歴を確認すると……ママ、飛川ひかわさん? ママ、ママ、飛川さん、ママ……最後の履歴は飛川さん。最初の着信は、五分前。ママに電話をしなければ! スマホ画面に指を乗せた途端、着信音が轟いた。先を越された、ママからだ。

「やっと、繋がった。ガクちゃん、どこにいるの? 電源が入ってないから、心配したじゃない!」

 荒ぶる声のママである。

「そうだ、そうだ!」

 ちょっと待て! その甲高い声は、飛川さん?

「バッテリーが切れたから、マックで充電してた……」

 本日、三度目の嘘である。ボクはこのまま、汚れた大人になるのだろうか?

「あら、そうなの。大変ね」

 ボクのママは、チョロかった。

「きいちゃん、マックにいるの? って、ことは……マクドエフスキーに、いるのですかい!」

 やかましいわ!

「今ね、美少女の広瀬さんと……えっと、あなたはどなた?」

 すると、さらに大きな声が飛んできた。

「超絶美少女の飛川さんです!」

 爽やかな、心が弾むような声だった。自分自身を、そこまで過大評価できるキミは偉い! 言っとくけど、嫌味だぞ。

「その超絶ちゃんが、家にいるの。とても可愛い、ちっちゃい子」

「飛川デス! 可愛いは、許す!」

 以降、ママに〝超絶ちゃん〟と呼ばれる飛川さん。

「どうして飛川さんが、家にいるの?」

「ガクちゃんの黄色いパーカーを貸してほしいって。ほら、お誕生プレゼントにもらった服。この子たちに、渡してもいいの?」

 理由は分からないけれど、わざわざ家まで来たのだから、飛広とびひろコンビにも考えがあるのだろう……悪巧みの可能性もあるけれど……。

「うん。パーカーは、そのふたりがくれたプレゼントだから」

「あら、あら。そうなの、そうなの」

 ママの声が裏返る。

「あーら。疑っちゃって、ごめんなさいね。広瀬さんと超絶ちゃん」

 晴れて無罪放免って声で、ママはふたりに謝った。

「飛川ですぅ!」

 ママにあらがう飛川さん。すねねた声でママに言う。なんだか、ふたりは打ち解けている気がするのだが?

「もう、超絶ちゃんったら、可愛いんだから」

 飛川さんの抵抗を、軽く流すママである。

「だ・か・らぁ~」

 どうやらママは、飛川さんを気に入ったようだ。ボクの気分は複雑だ。

「それはそうと、ガクちゃん。日暮れまでには帰るのよ!」

「う、うん……」

 なんだかボクは、怒られ損をした気分になった。

「じゃ、パーカーを取ってくるわね、超絶ちゃん」

「飛川だし……」

 それを最後にスマホが切れた。飛広コンビの行動は解せぬけど……今は、それじゃないボクである。

「何やら賑やかだねぇ~」

 一途さんが、ボクの前にカルピスを置いた。右手にコーヒーグラスを持ったまま、一途さんは、オフィスチェアをボクの正面に移動させ、ボクらは受付カウンターを挟んで対座した。さしずめそれは、ドラマで見た、飲み屋の女将おかみと客のようである。

「さぁ、どうぞ」

 一途さんがカルピスを勧めた。さっきの表情とは打って変わって、笑みを浮かべる一途さん。その艶っぽい面持ちが、谷崎潤一郎たにざきじゅんいちろう描くえがヒロインのようだ。大人の女性って感じがした。なぜだろう? ドクンドクンと、ボクの鼓動が早くなる。

「す、すみません……いただきます」

 モヤっとした気持ちを悟られぬよう、グイっとカルピスを飲むボクである。

「キミの質問に答える前に、あたしからひとつだけ質問がある。いいかい?」

「もちろんです」

 ボクは大きくうなずいた。

飛川三縁ひかわさより。彼の小説をどう思う? 忖度そんたく抜きで教えてほしい」

 一途さん顔から笑みが消え、眼光が鋭くなった───

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