ブログのアクセスとは不思議なものです。楽しんで書いた記事こそアクセスなんぞが跳ねちゃって。これまで書いた渾身の一本が、どれだけ不発に終わったことやら(汗) もうね、「これ、好きぃぃぃ!!!」な気分で書いた、勢いだけの、他愛もない記事ほど跳ねるのです。経験則として、そりゃそうなのだろうなと諦めもしています。
とはいえ、24時間縛りとなれば、それこそ、気力と体力と時間との戦いです。書けなきゃ死ぬの勢いで書きました。膝の上に愛猫を乗っけて、あたふたと、怒涛の如く、記事を書く日々が続きます。小説という未知の領域に、片足を突っ込んでからは、そりゃもう、僕の思考回路の中では、昭和の体育会系理論が優位となって〝為せば成る、為さねば成らぬ〟の根性論で、ウララ~!、ウララ~! がんばれ!!ロボコンくらい頑張りました(笑)
僕らの少年時代では、野球ですら命を懸けてが当然で、魔球ひとつに血反吐を吐くのも当たり前。真面目な飛雄馬は、苦しみながら大リーグボールを。陽気な番場の蛮ちゃんは、男は地獄で笑うもの。ハイジャンプ、大回転、分身魔球の開発に勤しんだものです。その思考回路が弾き出した回答が〝特訓〟の二文字に集約されるのも、僕には当然の帰結でした。かめはめ波の孫悟空だって修行をします。バカは体で覚えるしかないのです。指先に覚え込ませるしかないのです。つまり、場数で勝負。これが分かるアナタ、そりゃもう、お友だちです。共に言葉の魔球を開発しましょう!
1000日も書き続ければ、幾らなんでも、僕だって、少しはマシになるだろう。今は、制限時間の呪縛から解き放たれて、着の身着のままな不定期更新となりました。毎日更新と読書の中である程度、幾つかの語彙を手に入れた。その実感はありますけれど、文体と言うか、構文というか……執筆スタイルは、1000日かけた右往左往の末に、元々あった、僕の素の文体に戻ったような。深く思考するでなく、無理するでもなく、肩の力がすっかり抜けて、とても気楽に書けています。この気分も悪くない。それもまた、無茶をやってこそ、息を切らせて富士山を登ってこそ、見えた眺めだとも思うのです。何つーの? そうそう、満足感と達成感みたいな(笑)
楽しく書くのがブログなら、小説を楽しんで書くも、さもありなんだと思うのですが、ブログと小説とでは勝手が違って、変な話。僕には何かを憑依させるひと手間があって……昨今ならば、召喚とか口寄せとでも申しましょうか。その何かは気まぐれで、僕と待ち合わせる気すらないようで、約束事は苦手なようです。貞子でさえきっちりと、時間と場所を守るのに。なのに何かは、ラブストーリーくらい突然に、ふっと、僕の頭の中へ舞い降りてくるのです。夢の中でさえ予告なく、舞い降りるほどの気まぐれで、こちらの都合などお構いなしに。それは、拗れた彼女のような……(汗)
今はまだ、楽しんで小説なんて言い切れませんが、プロット、あらずじ、ログライン。そんな構想や妄想の段階で、しっかりと楽しめるようになりました。視点が高くなったのでしょう。物語の全体が見渡せるようになりました。普段は冴えない僕だって、この時ばかりは神様ですもの。小説を文字に起こす段階で、その勢いのまま書き進めれられたら、僕もちゃんとした作品が書けるようになるのでしょう。だって、そうでしょ? 小説とブログは楽しく書くのが理想的(笑)
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