書けなくなったわけでなく、先が思いつかないわけでもなくて、小説執筆に休止符を入れたのは、読みたい本があるからだ。今だからこそ読むべき本……そう言い換えた方がしっくりくる。
───突然に、どっさり送ってすみません。プレッシャーになるかもしれませんが、読みたい時に読んでくださいね。ほら、本には賞味期限がないって言うでしょ?
大切な人から本をもらった。漫画と小説、そして文豪資料。50冊にも及ぶ本。読書家というよりも書淫レベルの本好きが、僕だけに選んだ本だ。彼が適当に本を選ぶわけもなく、そこには隠れたメッセージが込められている。彼との付き合いの中で、それを重々承知している僕である。だからこそ、避けていた本が数冊ある。〝最後に「ありがとう」と言えたなら〟〝これが最後のおたよりです〟〝天国からの宅配便〟……無意識ではなく意図的に。
これらを半分ほど読み終えて、別の小説に手を伸ばす。〝最後の人〟と〝すいかの匂い〟は、今日読み終えた2冊である。このところ、僕は3、4冊の小説を並行して読んでいる。それは、一気読みを防ぐためだ。一気に読むと記憶に薄く、数日をかけた方が記憶に残る。それを実感してからはそうしている。枯れた脳みそには、こんな工夫も必要だ。読んでも忘れたら本末転倒なのだから。
それに加えて、本の読み方を少し変えた。遅読な黙読から視読に切り替えた。そうすることで、倍以上の速さで読むことができる。ビジネス本やハウツー本、メールは視読しているのだから、やろうと思えばいつでもできた。
こと小説に関して黙読を貫いた。それには、それなりの理由があった。あらすじだけなら視読で十分。なんなら飛ばし読みという奥の手もあるのだが、行間を読みながら作品を味わおうとしたからだ。いうなれば、極上の料理を味わって食するか、早食いで胃袋に流し込むかの違いである。とはいえ、本を読む知識も蓄えた。読書中に睡魔に襲われることも少なくなった。視読を使ってもよい頃合いになったと思う。
とはいえ、文豪とは恐ろしいもので、彼らの作品は視読を許さず、どうしても、黙読で読んでしまう。そこに山ほど得るものがあるのだろう。悪い言い方をすれば、彼らから何かを盗もうとしているのかもしれない。すべては猿真似から入るのだから、この過程は外せない……か。
未読の本は作者別にデスクの前の本棚へ。既読の本は、壁の本棚に読み終えた順番で並べている。目の前に未読書を飾るのは、自分へのプレッシャーとして。未読書を段ボール箱に入れて、僕の視界から遮れば、いつまで経っても読み始めることすらしないであろう。だらだらと、YouTubeを見て過ごすのに違いない。そして何年後に思うのだ……こんなことなら、本を読んどきゃよかったと。
さてさて、くだんの半分だけ読んだ本。それらを、今日から読もうと思う。いつまでも読まぬわけにもいかないし、辛くなればタイパ重視の視読という手もあるのだから。こうやって、読むとブログに宣言すれば、読まぬ選択肢もなくなるし。
ゆっくりと、デスクの前の本棚の空き地が広くなって、壁の本棚が窮屈そうになってゆく。本棚が空き地ばかりで空っぽになった時、僕は何を思うのか? すべてを読み終えるには、まだまだ時間が必要だけれど、名残を惜しんで読むペースを緩めるのかもしれないな。
だって、本には賞味期限がないのだから……な、アニキ。

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