夏目漱石は、一八六七年生まれって……慶応じゃね? 江戸じゃん! 夏目漱石の生まれ年が、大政奉還と坂本龍馬の近江屋事件と同年なのも、ついさっき判明して……こりゃぁ、読書どころでは済まないわ……。
『通信簿、万年国語2』
これがキャッチフレーズの僕だけれど、社会科だって負けず劣らずで、まさかの江戸の響きにグフっとなった。
こんなことを調べ始めたのは、相棒からの小包が切っ掛けで、開封の儀の場には、同僚ワーちゃんが同席していた。相棒からの頼まれ物があったからだ。初めて見る開封の儀では、クリスマスプレゼントを開く幼子のように、ワーちゃんの好奇心の目がギラギラしている。
「うわぁ~、ちゃんと区分してるのね」
「そう、いつもキチンと区分してある」
段ボール箱の中の荷物には、カテゴリごとに梱包が施されている。感心するワーちゃんに、スゲーだろ? 僕は誇らしい気分になった。梱包された書籍を開くと、漫画や現代の小説が顔を出す。いつもそう、いつだってそう。僕の知らない題名が並ぶ。SPY×FAMILYの最新刊以外は「初めまして」なのである(汗)
八日目の蝉(角田光代)は映画化もされていて、舞台が小豆島なので知っていた。けれど、小説どころか映画も観てない。残像に口紅を(筒井康隆)も、何年か前にカズレーザーが絶賛したのをツイッターで見かけた記憶があるけれど、どんな内容なのかさっぱりだ。つまり、知らない(汗)
「どんなんだろうね?」
「うん、まるで分からん」
知ったかぶりをしたとて、すぐに阿呆がバレるだけ。余計なマウントを取ることもなく、僕は最後の包装に手を伸ばす───あっ!
「「出た、谷崎潤一郎!」」
ワーちゃんまでもが、声を上げたのが意外だった。
「ワーちゃん、知ってんの? 谷崎潤一郎」
「知らなぁ~い。キジトラ君は、知ってるの?」
「うん、知らね」
三島、太宰、芥川、漱石、宮沢賢治と中原中也……昨年から、相棒からの文豪シリーズであるのだが、まさかの谷崎潤一郎とは、僕の予測を超えていた。漠然とだけれど、太宰とひと悶着あった、雪国の川端康成だろうと考えていたからだ。
谷崎シリーズの題名を眺めると『卍(まんじ)』の文字で目が留まる。え? ちょっと待って……。これ、中学だったか、高校だったか。樋口可南子主演で映画化されたやつじゃね? 確か……子どもは見ちゃダメ! な記憶があるのだが? 若かりし僕の勇者が、そうだと判断した記憶ある。
今でこそ、うっふん♡情報なんて、ネットを探せばてんこ盛りだけれど、僕らの時代には、主に映画館の大きな看板が情報源だ。その雰囲気で、僕らはカテゴリ分けをしていたのだから。なんとなくのイメージで、僕は『卍(まんじ)』の作者を、縄の魔術師、団鬼六だとばかり思っていた。四十二年の時を経て、ちょとしたマンデラエフェクトな気分である(汗)
「ありがとうって、伝えてね」
ワーちゃんが、ホクホク顔で事務所を出た後、僕にはやるべきことがあった。文豪の時代背景がさっぱり分からない……。一旦、これを整理しなければ、取り返しのつかない勘違いを起こす気がした。そして、たぶん……それをやる。
- 966 清少納言(枕草子の人)
- 978 紫式部(源氏物語の人)
- 1867 夏目漱石
- 1886 谷崎潤一郎
- 1892 芥川龍之介
- 1896 宮沢賢治
- 1899 川端康成
- 1907 中原中也
- 1909 太宰治
- 1925 三島由紀夫
今さらだけれど、こうやって並べると、へぇ~とか、ほ~とか……思うところが山積みで、たとえるのなら年齢差。十五歳も年上の太宰治を嫌いだと豪語した、三島由紀夫はチャレンジャー。太宰は太宰で、十二歳も年上の川端康成に向かって、手紙で『刺す』って書いたのも、些か狂ってるわと思うわけで。なんつーか。文豪の時代は、ある意味で戦国時代じゃなかろうかと。
そんな中で、ノートに『芥川龍之介』の名を書き連ねた、太宰治少年の可愛らしいエピソード。様々な断片情報が繋がって、気持ちよさすら感じてしまう。もっと、はよやれ! って、感じでもあるのだが……。
こんなことすら知らないのは、小説を書いている身としては恥だよな。そう思うけれど、知らないものは知らないのだから、ブログに記録してみた次第です。関連付けして記憶しないと、なんにも覚えられない頭ですから(笑)
ちなみに『猫と庄造と二人のおんな』は、薄い本なのですぐに読めた。落語のようなストーリー展開もさることながら、それよりも何よりも、谷崎潤一郎の猫の描写が〝猫あるある〟の連続で───この人、めっちゃ猫好きじゃん! 元猫飼いの僕からすれば、好感度が爆上がりなのですよ(笑)
その勢いに乗って『痴人の愛』の五十頁辺りを爆読中。こ、これは……光源氏の紫の上ではなかろうか? そうなれば、この先に待つのは……って感じです(汗)
コメント