お好み焼き屋のカウンター席で、私は緑川涼子と談笑をしていた。涼子は同じ大学に通う親友だ。唐突に、涼子は私に質問を投げた。
「なんで琥珀は、アイツなの?」
それは、涼子からの剛速球のストレートだった。
「何が?」
一瞬、私は答えに困った。アイツとは、同じ大学に通う赤城純主のことである。
「どうして琥珀が、あのバカなんだろう……って、思ってね。バカと言ったのには悪意はないのよ。でも、バカでしょ? 赤城君」
アイツをバカと呼べるのは、私の専売特許なんですけどぉ……その気持ちを私は抑えた。大きな会社のご令嬢が、あのプライドの塊が、庶民の恋愛事情に興味を示したのだ。それだけでも奇跡に近い。とはいえ、K大の策士として名高い涼子である。きっとこれは何かある。そう察しつつ、私は涼子の話に乗る。きっと涼子のお目当ては、あの新入生のはずだから。彼の情報なら、たぁ~んとあるわよ。
「まぁ……ね。でも、涼子が恋バナなんて珍しいわね」
私は冷静さを装った。
「あら、知らないの? 私だって、女の子なのよ」
クールな涼子が乙女の笑顔を見せるのだが、親友の私には、違和感しか感じない。
「でも、いつから私とヨシ君が付き合い始めたかなんて知らないでしょ? 涼子───」
ここからずっと、私のターン。
「そうね。他人の恋愛なんて興味ないもの」
涼子からの一撃で、私のターンが終わってしまった。身も蓋もないとはこのことだ。だったら、なんで私に訊くのよ? 名前のとおり、涼子の顔は涼しげだ。無表情で話を続ける。
「でも、ふたりが恋人関係じゃないのは知っているわよ。だから、私に小細工は不要なの。琥珀の質問へのベストな解答は……赤城君を意識したのは、小学生の高学年から中学時代ってところかしら」
私の親友は侮れない……。
「そうね。私の気持ちを決定づけたのは……小六の修学旅行だった。夢の国でアイツはね、大人と大喧嘩し始めたのよ」
一瞬、眉間にシワを寄せた涼子の前で、私は大きなため息をついた。
「それ、面白そうなお話ね。ふふふ……」
涼子の笑みは氷の微笑だ。私は思う。一度でいいから、涼子の慌てた顔が見たいものだと。氷に向かって、私は修学旅行の想い出を語り始めた。
「アイツはバカだからね。夢の国に入園するなり脱兎の如く姿を消したわ。当時の私は、アイツに興味なんてなかったから、女子グループに混ざって、アトラクションを回っていたの。三つ目のアトラクションに向かう途中で、それは起きたわ」
「あら、事件かしら?」
「そうね、事件ね。二組の大人のカップルとアイツが大声で口論していたの。でね、アイツの隣におばあさんがいたわ」
「おばあさん?」
涼子が身を乗り出した。彼女と私との距離が近くなる。
「同じ制服なものだから、私たちも素通りできないでしょ? なんて日よ! コイツのお陰で、夢の国から追い出されでもした大変よ。そう思いながら、スタッフさんを探したの。私たち」
「そうなるわね……で?」
涼子の目がキラキラしている。その眼差しは、ゴシップ記事でも読んでるようだ。
「大人の男に胸ぐらつかまれても、一歩も引かないのよ、アイツ。その理由……分かる?」
涼子は少し考えたけれど、答えはみつからなかったようである。
「その大人たちと肩でも触れたの?」
ブッブー! ハズレ。
「小学生だもの。肩が触れるほど大きくないわよ。今じゃ、あんなにデカいけどね」
「じゃぁ、何よ?」
「おばあさん」
涼子はハッとした顔をした。
「なんてことなの! 琥珀、そうなのね。大人の男とおばあさんを奪い合いでもしていたの? 美魔女なんだ、そのおばあさん。やるわね、赤城君も……おばあさんも……」
涼子の氷が軽く溶けた。ウンウンと胸の前で腕組みしながら頷いている。構わず私は話を続けた。
「違うわよ、涼子。白い杖よ」
「白い杖? そういうことね」
「おばあさんが、そいつらにぶつかったの。偶々、それを見ていたアイツが切れたの『そこをどけ! 道を開けろ』の一点張りよ。ほら、涼子も知ってのとおり、アイツ……語彙力ゼロだから」
今の赤城はブロガーで、それなりに人を引き込む文章を書く男だ。けれど小説を嗜む私から見れば、未だに語彙力不足は明白だった。
「確かに赤城君。熱血だけで生きているものね。お年寄りを目の前に、黙っていられなかったのね。で、どうなったのかしら? アナタたち」
涼子は何かを期待しているようだ。
「なんせ、四対一の口論よ。しかも相手は大人でしょ? 誰が見ても勝ち目がないのに、アイツはおばあさんの前に立ってるのよ、おばあさんを守るように。なんだか私、胸がこう……熱くなっちゃってね。気づくとアイツと一緒に、ダブルバカップルと喧嘩してたわけ。それからね、アイツのことが気になり始めたのは……。中学は同じだったけど、高校からは別だった。私の初恋もそれで終わり。でも、大学のキャンパスにアイツがいたのよ。随分背が伸びてたけれど、私、ひと目で分かったわ。アイツも私のこと、覚えてた───」
そこまで話すと喉が乾いた。私はグイッと水を飲んだ。心配そうな表情で、私に涼子が話し始めた。
「それも不思議な縁ね。恋バナというよりも、武勇伝だったけれど。で……いつ、琥珀は告白するの? 都会の女は怖いわよ。早く手を打たないと、すぐに誰かに取られるわ。あいつら、しれっと持っていくわよ。知らないの? 告ハラって言葉。今の時代、おいそれと男子は告白できないのよ。女子から声をかけないと、彼氏獲得なんて夢物語よ。分かってる? 琥珀」
涼子が諭すように私に言う……そんなの私だって分かってる。私だって都会の女の怖さを知っている。大学生活で、そんな修羅場を何度も見てきた。でも、告るタイミンが計れない。アイツとの関係が崩れそうで……。
───だがしかし!
私の話題はここまでだ。次は私の番だから。
「てか、涼子ちゃん。本当に聞きたいのは、新入生坊やの話じゃないの?」
涼子の視線が私から外れた。私の勘はビンゴだった。
「何か新情報があるのなら、私に教えなさ……そうじゃないわね。私に教えてくれませんか? 琥珀様……」
うっすらと、涼子の頬が赤く染まった。
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