不幸の手紙

雑談
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 インターネットのなかった時代、僕らの通信手段は電話と手紙であった。隅っこに謎の相合傘がちょこっと書かれた、駅の伝言板も含まれる。今回は手紙の話だ。忌まわしき不幸の手紙。その内容は、ネット時代のチェーンメールのようなものだが、詐欺メールのように一定数は真に受ける。それは、今と比べものにならないくらい、膨大な数になるだろう。不幸の手紙が全国で飛び交うとすれば、ゆうびん屋さんはウハウハだ(笑)

 これは、日本全国に口裂け女の噂が広まった八十年代の話である。同時期に、不幸の手紙がインフルエンザのように流行した。少し年上の先輩の頃は、幸福の手紙であったそうだ。

───不幸の手紙が来た!

 噂話が現実味を帯びたのは、火曜日の中二の教室で始まった。当時の中学生は情報に疎い。ゆえに、突然の脅威に怯える。そして、悩みを友達に打ち明ける。当然の流れであるのだが、決して親には打ち明けない。僕が通った中学は、全校生徒が千五百名ほどのマンモス校であった。確率からすれば、犯人捜しは容易ではない。疑えば、誰もが犯人に見えてくる。

───この手紙を一週間の間に書き写して、七人の友だちに送ってください。さもなければ、あなたは死にます。

 先輩たちが語る、幸福の手紙は幸せを分かち合うような内容だった。実行しなくても害はない。不幸の手紙は、真逆に位置する。不幸の手紙をもらった女子は、秘密裏に放課後の教室で行われる、こっくりさんの常連だった。まぁ、当時はキューピットさんと呼ばれていたけれど……。

 学校で禁止されていたキューピットさんの常連客。彼女は、オカルト話を信じるタイプに違いない。きっと、ノストラダムスの大予言だって、かなり真面目に受け止めていたはずだ。そこへ「死にます」のパワーワードが投入されたのだ。朝から女子たちがパニクっている。

 クラスの女子と、そこまで親交を持たない僕は、なんかやってんなぁ……という感じで見ていた。誰かのいたずら。もしくは、恋のねじれ現象なのだろう。だったら、僕には無縁の話だが、わら半紙の真ん中に丸をひとつ書いて、その周りに七つの丸を書く。それを線で繋いで、七つの丸の近くに七つの丸を書いてゆくと……〝ルックルックこんにちは〟で説明していた、天下一家の会事件のような図式になった───これ、考えた人は賢いな。子どもながらにそう思った。

 翌日、翌々日と、不幸の手紙の話が増えた。てめぇ、やりやがったな! と思いつつも、男子からの情報はなく、女子だけの痴話ちわげんかのようだった。

 異変が起こったのは金曜日である。不幸の手紙第一号(男子)! 男子生徒の中で噂が流れた。その名前こそ、浮上しなかったものの、三年生の男子らしい。誰もがなんだか、嫌な気分になっていた。家の郵便ポスト、下駄箱、机の中……。ありもしない不幸の手紙が、あるような気がするのも思春期の妄想である。

 だが突如として、不幸の手紙がピタリと止まった。その原因は分からない。きっと決死の覚悟で、魂の勇者たちが不幸の連鎖を止めたのだろう。だが現実は、そう単純なものではなかった……。

 不幸の手紙の噂から、一ヶ月が過ぎた頃。僕宛に差出人不明の封筒が届く。それは、薄い桜色の封筒で、そこはかとなくラベンダーの香りがした。不幸の手紙など忘れた僕は、別のことを考えていた……これが噂のラブレターというやつか? にんまり顔で封筒を眺める。だが、決して僕は騙されない。

 当時の手紙の中には、不幸の手紙よりも恐ろしい手紙が存在する。カミソリだ。アイドルが受け取るファンレターの中には、アンチから鋭利なカミソリ入りの封筒が送られる。素手で安易に開封すると、指に大ケガを負うらしい。それは、雑誌「明星」で読んだ確実な情報である。時代は、横浜銀蝿全盛期。僕だってバカじゃない。

 手探りで封筒の上から異変を探る……カミソリはないようだ。ハサミで慎重に開封し、ゆっくりと中を覗くと、一枚の便箋が入っている。便箋も、女子らしい桜色だ。ようやっと、警戒態勢を解除して、僕は便箋に目を落とした。

───この手紙を一週間の間に書き写して、七人の友だちに送ってください。さもなければ、あなたは死にます。誰かに話すとその場で死にます。

 可愛らしい文字に僕は思った。なるほどな……。

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