「今日の帰りどうする? 本屋に寄る?」
教室の掃除当番をしながら、足立が俺に声をかけた。いつでもチャンバラ遊びができるよう、足立は箒を持っている。俺たちは学校帰りに本屋に寄ったり、駄菓子屋に寄ったり、スーパーの屋上に寄ったりと、真っすぐ帰宅しなかった。だって毎日、新たな発見があるからだ。いつだって、新たな発見がそこにはあった。
「今日は、用事があっから帰るわ」
あのキタゾエに呼び出しを食らった俺である。それなのに、俺はキタゾエのことをあまり知らない。そこへ足立を連れてはいけない。もしかしたら……上級生に囲まれて、ボコられる可能性だって否めない。リンチなど、俺の中学で珍しいことじゃない。それはたぶん、どこの中学でも似たようなものだった。
ぬるま湯の令和とは事情が違う。ここは弱肉強食の昭和の世界。教師ですらバッド片手に校内の見回りをしていたのだ。つまり、新入生の俺は警戒アラームを解くことができない。一寸先は闇───俺は思う。一度目の人生で、どうして武道を学ばなかったのかと……。でも、対策だけはしておこう。
「あ、足立。サンデー借りるわ。来週号は俺が買うから───」
「おう、持って行っちゃって」
念のため、俺はズボンと腹との間に週刊サンデーをねじ込んだ。いくらなんでも、刃物の登場はないだろう。けれど、ボディをガードする何かの必要性を感じていた。本来なら、鉄板が好ましい。てか、ぺったんこの自分の腹部にウキウキが止まらない───腹筋が……割れている。
「お前、喧嘩にでも行くのか?」
己の腹筋に見惚れている俺を、足立が心配げな顔で覗き込む。けれど「俺も行こうか?」とは言わなかった。それでいい───正解だ。
「まぁ、なんとかなるっしょ」
俺はそう言って、腹のサンデーをポンと叩いた。
中学の裏門を抜けると、道路を挟んで小さな文房具屋がある。こんなの誰が買うのだろう? 赤いボディに白い文字。〝コスモス〟の自販機が目印だ。その隣にスーパーカー消しゴムのガチャガチャが三台並ぶ。キン消し(キン肉マン消しゴム)の流行は三年後。俺が高校生になる年だから、キン消しを買った記憶は皆無だった。けれど弟は、狂ったようにキン消しを集めていた。てか、コスモスの自販機が登場したのは、俺が高校生になってからだと思うのだけれど……俺の記憶違いだったか?
コスモス自販機前の小さな道を抜け、山に向かって三百メートルほど緩やかな坂道の先に神社がある。そこから急な山道を登れば、キタゾエが指定した竹林だ。そこは、滅多に大人が来ない不良たちの秘密基地。否、喫煙所。竹林の手前で、キタゾの取り巻きが立っていた───その役目が見張りなのは明らかである。
おいおい……マジで俺をボコる気か? ふたりの取り巻きは、俺を見ながらニヤニヤしているだけだった。つい最近まで小学生。語彙とか話術の類を持ち合わせてはないのだろう。つまり、彼らの表情から状況を察するしかない。
「お疲れちゃん」
そう言って、俺はふたりの横を通り過ぎた。俺の背後でコソコソと話す声が聞こえたのだが、先ずはキタゾエがひとりであることを祈ろう。複数人なら、ゲームセットというところ……か。
太くて立派な竹の間を進むと、ふわっと上がる煙が見えた───ヤニ(喫煙)……か? 竹の隙間にキタゾエが見えた。大きな石に腰掛けて、タバコをふかすキタゾエは、校内での雰囲気とはまるで違う。子ども要素をすべて失くした感じというべきか。たとえるのなら、中学生の容姿を持つ、哀愁漂うおばさんだった。「今月は苦しいからねぇ。シフト、増やそっか……」そんな顔だ。
キタゾエが俺の顔を認識すると、胸ポッケからタバコの箱を抜き取った───そのデザインは、ブンタ(セブンスター)だな……。
俺に向かって、シュッと腕を差し出すと、数本のタバコが箱から飛び出す。俺は条件反射で、二本の指でタバコを引き抜いた。慣れた手つきでタバコを口にくわえると、キタゾエがライターに火を灯す。その火に顔を近づけて、俺は大きく息を吸った。その間、俺とキタゾエは終始無言だ。
それでも伝わるものがある。そこまでは格好よかったのだが、吸い慣れたはずのタバコの煙が、俺の肺を直撃した───過去に戻った俺の肺は、バージンだった。
「ゲホゲホ……」
咳が止まらない。あー死ぬ! 俺はタバコの煙にむせた。
「タバコって、身体に悪いのな」
思わず本音が口に出る。
「ガキが格好つけちゃって」
キタゾエがニヤリと笑う。自分の吸い殻を地面に落とすと、土に擦り付けるように吸い殻を踏みつけた。その後で、ケラケラと笑いながら、俺の指からタバコを奪った。
「無理するからだよ。勿体ないねぇ」
そう言ってキタゾエは、俺から奪ったタバコを吸った。ゆらゆらと、竹の間を煙が登る。
いわゆる間接キッスなのだが、タバコと酒にゃ~、色気もクソも感じない。風にそよぐ竹の葉が、静かに音を奏でるだけだ。こんな音色は何年ぶりか? もしかしたら何十年ぶりなのかもしれないな。哀愁に酔っている俺に、語尾を強めてキタゾエが問う。
「アンタ、リピーターだろ?」
キタゾエの表情が険しくなった。
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