明晰夢(金閣寺)

ショート・ショート
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 俺の勧誘と生徒会長の口添えもあり、俺達は読書部としての活動を開始した。とはいえ、俺は本を読むだけなのである。足立と山田は〝スーパーカー消しゴム落とし大会〟に夢中になっている。

 スーパーカー消しゴム落とし大会とは、自分の消しゴムをノック式ボールペンで弾いて相手の消しゴムにぶつける。それを繰り返し、自車が机から落ちる。もしくはひっくり返れば負けという遊びである。負けた側のスーパーカー消しゴムは、勝った側のモノとなる。これは遊びではなく賭けであった。アツくなるのも無理はない。だがしかし、賭博対象として、このゲームは学校側から禁止される。

 今のうちに遊んどけ……。俺は金閣寺が眠る本棚に向かった。サクラギは図書室の隅っこで、ぼろぼろになった、古文書のようなものを読んでいた……。今のところ、芥川あくたがわの姿はない。

───マジであった。エスパーかよ? 芥川……。

 芥川が言ったとおりの本棚に、お目当ての金閣寺があった。棚に伸ばす俺の手を、美藤がパシッと平手でさえぎった。

「金閣寺はさ、お預けだって。これ、芥川からの宿題ね」

 ピラピラと振る原稿用紙を、美藤が俺の胸に押し当てた。

「原稿用紙……どういうこった?」

「知らないわよ。これに何かを書けだって。書く内容は、一切問わないらしいわよ。反省文でも書いてみれば?」

 部長になった美藤の態度が───なんか腹立つ! そうなんだよ、愚かな者に権限や権力を与えると、昭和でもこうなるんだよ……納得できぬ俺は、消しゴムで遊んでいる、足立と山田を指さした。

「俺だけか?」

「そうみたい」

「俺だけなのか?」

「お気の毒───ぷっ!」

 芥川の意図は不明だが、今は顧問の先生である。80年代、学内での教師の権限は、警察官より上である。もしかしたら、総理大臣よりも上なのだろう。シブシブ俺は、芥川のおおせのままに机に座った。一度目の人生で、書きかけにした小説の冒頭文を書いてみよう。どうせ書くのだ。読書ジャンキーの評価も得られるだろう……400文字なら10分もあれば、書き終えるさ。俺は、原稿用紙にシャーペンを走らせた。

「これでいいか?」

「げっ! もう、書いたの? つまんない……」

 当然だ。俺は胸を張って金閣寺に手を伸ばす。すると芥川が、こう言った。てか、なんの気配も感じなかった……いつの間に!

「金閣寺を読み終えたら、もう一度、同じのを書け。あ、明日の日曜。図書室の鍵───開けとくからな。暇なら本を読みに来い。日曜日の学校は、静かでいいぞぉ~」

 それだけ俺に伝えると、芥川は受付デスクの上に足を乗せ、単行本を読み始めた。どうせ、土曜日の午後である。本を借りる生徒も少ない……てか、いない。にしても、ここでも煙草をふかすのか……。

 どうも俺は、サクラギが苦手なようだ。俺はサクラギと真反対の奥の席に座り、金閣寺を開いた。そして、どうしようもない沼に落ちた……。そこには太宰とはまた別の、文字の世界が広がっていた。俺は10ページほど読み終えると、タバコをふかす芥川の前に立った。

「どうした、圧倒されたか?」

 芥川の言うとおり。またしても、俺は文豪に圧倒されていた。美藤からの情報を信じて、俺は芥川の明日の予定を訊いた。

「明日、一日かけて読もうと思います。津川先生は何時に来られますか?」

「ほう……明日は、日曜なのだが?」

 芥川の視線が、初めて俺の姿をはっきり捉えた。そのまま続けて芥川は言う。

「どうせ暇だし、早朝六時ってのはどうだい? 金閣寺は300ページ弱だから、12時間もあれば、お前なら読了できるだろう」

「分かりました。明日の早朝六時に出直します」

「へぇ~……それじゃ、楽しみにしているよ」

 俺が意思を伝える終わると、芥川は視線を本に戻した。空に浮かぶ雲のよう。ふわふわしていて要領が掴めない。まだまだ小僧だと下に見るには、この男。俺にとって悪手あくしゅだと思われた。これからの中学生活で、芥川から盗めるものは全て頂く。密かに俺はそう誓った。

───にしても……金が……ねぇ。

 金閣寺を読む前に、俺にはやるべきことがあったのだ。家に帰って新聞チラシを集めなければ。人間失格の主人公は、金がないと散々ボヤく。きっと文豪は皆そうなのだろう……それは、俺も同じであった。チラシの裏でメモ帳を作る。それで、金閣寺に眠る語彙を記録する。当然、メモは大量に必要だと思われた。昭和の新聞には、大量にチラシが挟まれていた。その中には、片面印刷のチラシも多数あった。

「それでは、みなさん。さようならぁ……」

 俺が図書室から出ようとすると、芥川に向かってサクラギの声がした……。

「僕も明日、図書室に参ります。構いませんよね? 津川先生」

 何かの危険を察してか? 即座に美藤が声を上げた。

「わたし、塾なので……」

 美藤は日曜日も塾なのか。ま、どうでもいいけど……。俺は帰りの道中で、知り得る限りの知人の家に立ち寄った。

「おばちゃーん! 裏の白いチラシをおくれよぉ~」

「なんに使うの?」

「勉強するのに必要だけど、ノートを買うのは勿体ないから」

「あらららららら───感心だね、持ってきなっ!」

 すると、お菓子と一緒に膨大なチラシが集まった。昭和とは、なんつーのどかな時代なんだ……俺は、もらったビスコを齧りながら家路を急いだ。

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